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KANDAルネッサンス 99号 (2014.06.25) P.13 印刷用

第152回神田学会レポート「神田百年企業2―老舗が語る歴史と心懸け」

2月25日に御茶ノ水ソラシティカンファレンスセンターにて第152回神田学会開催いたしました。昨年9月に開催し、大好評を博した老舗トークの第2弾である今回も、神田の老舗企業3社の講師に歴史から経営理念まで幅広く語っていただきました。

株式会社小山弓具  創業文化2年(1805)
代表取締役会長 8代目 小山雅司氏


 私どもは元を辿ると、16代前に家康と一緒に江戸へ出てきた下級武士でした。弓屋を始めたのは8代後の小山源祐という者からです。この時代、禄を失った源祐は弓を作るのが上手であったこと、また当時は町民も矢を射っており、町矢場がたくさんあったことで家業として成り立っておりました。
 しかし6代目の勝之助は廃刀令の影響で武具の市民権が失われ、弓のほか籐細工を作りました。それから私の父で先代の茂治は、占領軍の古武道中止命令で武具屋ができず、終戦後は電気モーターを売ったりして、弓屋から随分離れた時代もありました。
 しかし、昭和8年には今の天皇がお生まれになったときに献上する弓を製作し、天皇即位の儀の弓のご用命もいただきました。父と私の2代に渡り弓をご献上する栄誉に恵まれたのです。
 さて私の代で行ったことは、新しい素材を使用した弓矢の開発です。弓は癖があるものだと、数回でダメになることもありました。私は昔からスキーをやっておりまして、板に使用されているグラスファイバーを和弓にも応用できないかと考えたのです。そうして開発したグラス弓でしたが、「これは和弓ではない」と各所から猛反発を受けてしまいました。そんな中、ある弓道連盟の会長が「グラス弓はこれからの弓道、特に学生弓道の発展に必要だ」と理解を示してくださったのです。これにより、無事市民権を得ることができました。
 また、私は古いものに特別こだわっておりません。ケプラーができたときに弦に生かせないかと考えたり、豚が飛ぶアニメから遺伝子組み換えでニワトリに鷹や鷲の羽根が生えたらいいなと考えたり、常に新しいことはないかとアンテナを張るよう努力をしています。


株式会社玉川堂(ぎょくせんどう) 創業文政元年(1818)
社長 7代目 齋藤 彰氏


 私どものお店は今年で創業200年になります。創業当初は飯田町九段中坂にございまして、この頃近くにお住まいの滝沢馬琴の日記に「玉川堂に注文していた筆を取りに」と幾度も出てきております。
 御維新後は、俎板橋近くの池のある武家屋敷跡に筆屋の店を移転し、店の裏手で「玉川亭」という貸席をしておりました。斉藤茂吉、与謝野晶子、野口英世、夏目漱石、犬養毅などたくさんの文化人がいらっしゃいました。そこで当時流行の書画会が開かれ皆で飲み、書画・詩を交換するという文化がございました。ここでは「玉川吟社」という漢詩を作る会ができ毎月に活動しておりました。また、小野塚喜平次をはじめとする学者が集まって社会政策学会を設立し、社会改革の発祥の地ともなりました。麹町にお屋敷があった永井荷風は日記の中で玉川堂で尺八の稽古をしたと、記述がございます。こうしたことから、木戸孝允、吉田茂、溥儒、張大千、孔子七十四世孔徳成様など様々な方からいただいた書が残っております。
 筆屋の話に戻りますと、明治大正の頃より韓国や台湾、そして筆の本場中国の方も当店の筆をお買い求めにわざわざいらしてくださっています。近年ではANAのガイドブックに掲載されたことで、欧米や東南アジアの方もいらっしゃるようになりました。
 今は筆を使う機会も減り、小学校でも墨汁を使って墨を擦らなくなってしまいました。ですが、書道は盛んで筆の種類も、墨汁の種類もたくさんございます。また、「書道ガール」という大きな筆を使って、全身で書く女の子たちが注目され、そうした部活動も行われています。これからの若い人も、筆の素晴らしい文化を伝えていってほしいですね。

株式会社カインドウェア 創業明治27年(1894)
代表取締役会長 4代目 渡邊喜雄氏
 

 私どもの先祖は秋田藩の佐竹の御典医でしたが明治になり、お殿様の家がなくなって薬問屋をやっていました。初代となる喜之助は兄とともに2人で上京し、浅草鳥越で当時高価だった洋服の古着屋として創業をしました。しかし跡継ぎで悩むこととなります。兄は亡くなり、自分は息子がいない。そこである雑貨店の大店の旦那に紹介をされた、2代目の喜之助(旧名・豊作)を養子として迎え入れました。
 しかし2代目の子どももまた戦争で息子は戦死し、娘だけとなったためその旦那、つまり私の父・渡邊国雄を3代目としました。
 父は元々大学で研究をする学者でしたが、これからの日本は洋装の時代が来るとして、現在の礼服を考えました。皆様お持ちだと思いますが、現在定番となっている黒のダブルは、国雄が着物に代わるものとして発表した略礼服なんです。そして昭和43年、皇居新宮殿が落成し、この時宮内庁から公式礼服の御用を拝命しました。これ以降、皇室の礼服のほとんどを弊社が担当をするようになりました。
 私の代では、次の100年もこの仕事で生き残れるかと思い、高齢化の時代をターゲットとした柱を打ち出しました。当時介護用品はデザインを楽しめるものがなく、柄のあるステッキなどの商品を製作し、おかげさまで20年掛かって、ようやく軌道に乗りました。
 今後のことですが、平成11年にカインドウェアの英表記を KIND WEAR から KIND WARE に変更しました。「着るもの」から「商品」へと、さらにそこに留まらず、洋服やサービスにどうやったら付加価値がつくかということで新しい時代を作っていきたいと考えております。



画像左■当日は100名近い参加者の方にご来場いただきました。質疑応答では、老舗のトップと直接お話しできる貴重な機会となりました。画像右■講師の皆さま。奥より小山弓具・小山氏、玉川堂・齋藤氏、カインドウェア・渡邊氏。
写真:立山西平(カンダデザイン)
 
 

小山 雅司(こやま・まさし)
神田須田町にある弓具専門店。親子2代に渡り今上天皇の誕生祝と即位式の弓をお納めしている。業界で初めて和弓を軽くて丈夫なグラスファイバーで製作。価格が手頃なこともあり、弓道を行う学生から支持を受けている。

齋藤 彰(さいとう・あきら)
筆、墨、紙などを扱う書道用品専門店。上質な筆は滝沢馬琴、永井荷風、吉田茂、孔子の後裔など文壇から政界まで名だたる人々に愛用されてきた。近年ANAのガイドブックに掲載され、海外からも筆を買い求める方が訪れる。

渡邊 喜雄(わたなべ・よしお)
皇居落成の儀礼服を皇室にお納めして以来、公式の服装のほぼすべてを担当している。礼服に黒のダブルスーツを定着させ、20年前から健康介護用品事業を展開し百貨店へ出店するなど、常に先を見据えた経営を行っている。
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