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百年企業のれん三代記

神田で三代以上のれんを守ってきた老舗にスポットをあて、初代から現在に至るまでの歴史を写真と文章でご紹介します。

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第8回 有限会社三河屋綾部商店

お話:14代目 綾部良司さん(記事公開日:2011年8月11日、文:亀井紀人)

■初代~10代目

 創業は慶長7年(1602)です。亀山治兵衛が三河で糀屋を起こし、家康に引かれて江戸に出てきたのが神田での始まりです。店は、創業から10代目までが三河屋亀山治兵衛商店の名称で商売をしていました。10代目に亀山家の跡継ぎができず、11代目から綾部良一が継ぎ、その後は三河屋綾部商店として三河屋の暖簾を守り、今私が14代目となります。
 神田明神参道に位置する当店の歴史は、神田明神とは切っても切れないご縁で成り立っています。
 元和2年(1616)、柴崎村から駿河台に移転していた神田明神が、現在の場所に鎮座した際、神主が寺社奉行所に願い出て許しを得、商人職人が住む町を作ったそうです。これが神田明神門前町、神田明神表門前、神田明神裏門前、神田明神西門前、です。この時、三河屋も一緒に門前町の現在の場所に落ち着きました。糀の生産場所として、三河屋は深く広大な地室(ジムロ)をもつことになります。この地室は今の時代では考えられない大きさで、店の敷地はもとより、参道から神社の敷地内まで伸びていました。
 以降、三河屋の広大な地室で作られた糀は、徳川家代々に亘り、御用達として珍重されることとなります。
【神田大明神御社地之図(紹真画、江戸時代)】
 所蔵:神田神社
【昭和11年に作った、三河屋の地室(ジムロ)の平面図】
 図面の右側が神田神社。地室は浅いところで7m深い所で10mの深さがあり、参道はもとより、神社の敷地内にまでくまなく張り巡っている(全長約120m)。現在は陸室(オカムロ)を利用しているので、地室は使っていない。

■11代目 良一(明治28年[1895]~)

 三河屋綾部商店としての初代、この代に宮内庁御用達となりました。
【11代目良一のポートレート】
 

■12代目 武雄(昭和9年[1934]~)

 11代目の子どもは、一人娘でしたので、養子として武雄を迎えました。職人の仕切る作業現場に、当主とはいえ、素人が新参者として入ってきたわけですから、それは口ではいえない苦労があったと思います。製造から、大八車での配達までの全てを店の仕事としてこなしますので、使用人は30人ほど常にいて、早朝から夜遅くまで働き詰めの日々でした。市場や乾物屋が始まる夜明け前に、提灯に火を燈して商品を届けに行ったそうです。晩年は、神田神社氏子総代や宮本町会長として、地域のために尽力しました。
【12代目武雄のポートレート】
【戦前の、瓦屋根の店の写真】
 左が店頭。右の写真の店先に電柱がありますが、店の者が夜更かしして帰ると、この電柱に登って2階から入ったと聞いています。

■13代目 正(昭和38年[1963]~)

 12代目には子どもがいなかったので、夫婦養子として、親戚から正と孝子を迎えます。父、正は埼玉銀行出身で、税理士、社会保険労務士など、たくさんの資格を持っていましたが、12代目と同じくこの道では素人なので、職人さんたちに囲まれて仕事をする上では、やはり苦労は絶えなかったと思います。父の晩年は弓道を趣味としていましたので、祖父と同じく町会長を20年近くやりながら、千代田区の弓道連盟の会長もしていました。
 また2階建の木造から、7階建てのビルにすると踏み切ったのは父の時代です。
【13代目正のポートレート】
 
【店先にて七五三の装い。昭和50年ごろ】
 この頃には参道に飴やさんが何軒もありましたが、今はなくなっています。

■14代目 良司(平成2年[1990]~)

 震災、戦災と2度の大火で貴重な品々はことごとく消失していますが、糀菌から作られる主力商品である納豆、甘酒、味噌は、創業時からの製法を守り、全国のお客様に出荷しています。味噌は一年中ですが、甘酒と納豆はどちらかというと冬場の商品です。戦後になって、夏場に麦茶を製造販売するようになり、それから一年中が忙しくなりました。麦茶の工場は千葉の市川にあり、できた商品を築地と神田の市場や、乾物屋さんへ卸しに行きました。嫁の仕事も大変でした。私(14代目)の妻の功が嫁にきてしばらくの間まで、当時はまだ明神下の花柳界が盛んで、夜10時に店を閉めてひと息ついた後に、料理屋さんから土産用の甘酒や納豆の注文の電話が入り、慌てて着替えをして配達に行きました。兎も角、毎日が忙しかしかったですね。
 今、この商売を継いで良かったと思えるのは、お客様に手間をかけた手づくりの商品の良さを判ってもらえ、喜んでいただいた時ですね。糀づくりは、職人技です。私は、2人の大番頭さんからその技を盗みました。口で教われるものではないので、見て覚え、後は経験です。嬉しいことに、15代目となる長男の和広が、私からその技術を盗んでくれて、今はちゃんと任せられる様になりました。発酵物は、一生勉強だと言い切れます。
【宮内庁発行の通行証】
 左は発行月日不明だが、右は昭和47年の発行で、14代目良司の名前がある
【14代目良司、功夫妻 15代目和広と集合写真】
  
●有限会社三河屋綾部商店
東京都千代田区外神田2-17-3
電話:03-3251-7086

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