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百年企業のれん三代記

神田で三代以上のれんを守ってきた老舗にスポットをあて、初代から現在に至るまでの歴史を写真と文章でご紹介します。

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第50回 学校法人駿河台学園

お話:3代目 山﨑 良子さん (記事公開日:2018年6月28日、文:竹田令二)

■はじめに

 ――駿台とは2度ご縁があった。1回目はもちろん灰色の時代、大学受験で。2回目は新聞社の入社試験の会場として。今回は3回目のご縁だが、なつかしさが蘇った。まじめに勉強しだしたのは駿台時代からだったかもしれない――。
【昭和2[1927]年の駿台高等予備校】

■創立者 初代 山﨑 寿春(明治11[1878]年生~昭和39[1964]年没)

 鳥取の出身で、いまの鳥取西高校から東京外語大に進み、明治35 [1902]年に卒業後、富山県高岡市の市立商業高校を経て、広島の私立中学に教頭として迎えられました。明治39 [1906]年に私費で渡米します。カリフォルニア州で農場を経営していた長兄の勧めでした。アマースト、ハーバード大で英文学を専攻し、さらにエール大大学院でマスター・オブ・アーツの学位を取得しています。
 帰国翌年の明治44[1911]年に明治大学の教授になり、昭和15[1940]年まで英文学の教鞭をとり続けました。当時、大学進学熱は高く、大学には入れるだけの学力をつけるための付属の予備校があり、そこでも教鞭をとりました。
 大学に入った学生と、入ろうとする若者とは目の輝きが違うのは当然です。貪欲に知識を吸収しようとする予備校生に対する教えがいに魅せられたのです。大正7[1918]年に駿台予備学校の前身「東京高等受験講習会」が神田錦町に創設されました。その2年前に合理的な勉強法を体得してもらいたいとの願いを込めた月刊誌「受験英語」を発刊しています。
 断続的に開かれていた「受験講習会」は、昭和2[1927]年には神田駿河台で「駿台高等予備学校」となり、英語・数学・国語・漢文の科目で各学期ごとに学生を募集する常設の予備校となりました。さらに3年後には「駿台高等予備校」と改称し、各種学校として、東京府から認可され寿春が初代校長になります。
 当時は、講師に払う模擬試験の答案採点料だけでも大変で、不渡り手形を何度も出すような綱渡り状況がしばらく続いたと言います。昭和15[1940]年になりようやく現在の1号館のある地に木造2階建ての自前の新校舎を持てるようになりました。とはいえ、それも会場を貸してくれていた相手が倒産し会場がなくなりかけたからです。手持ちの資金もなく、時は国家総動員法が公布される物資もままならない時代でした。
 新校舎の完成とともに、明治大学も退職、予備校の運営に全力を注ぎます。戦争中の空襲が激しくなる時も授業は続けられました。教育は日々の積み重ねだからです。「愛情教育」というのは寿春が提唱した理念です。「学生一人ひとりに対する愛情がなければ、真の教育はできない」という信念です。学ぶ情熱に対する教える喜びでしょうか。
 受験指導において、駿台では早くから偏差値を導入しています。でもそれは、学生が目標に対してどの段階にいるかを見るものにすぎません。学生を切り捨てるものではなく、学生のために使うものです。
 駿台の学生でこんなケースがありました。お医者様のご一家で、お父様は一浪して東大医学部、息子さんは二浪して慶大医学部、そのお孫さんは駿台に入ってきたときは学力的に厳しく、1年でようやく基礎学力がつきました。それでもお母様のお話では朝から晩まで自分で勉強しているとのことでした。クラス担任は進学相談でその学生が東大や慶大に合格するまでのモチベーションを長い期間保つのは難しいと考え、これ以上浪人は続けない方が良いとアドバイスし、学生は二浪して別の大学の医学部に進みました。「愛情教育」が示す通り、その人ごとにふさわしいアドバイスが必要なのです。寿春は昭和39[1964]年に亡くなり、三男の春之が跡を継ぎます。
【寿春氏】
【画像左:生徒募集広告、画像右上:月刊誌「受験英語」、画像右下:「愛情教育」の書】

■2代目 山﨑 春之(大正15[1926]年生~平成22 [2010]年没)

 春之は私の夫です。寿春の三男です。後継者問題を考えたとき、長男、次男は大きな会社に勤めており、それなりの地位で、当然断られました。当時は、まだ小さな予備校ですものね。その時、英語の教師で名物教師でもあった鈴木長十(ちょうじゅう)先生が「三男がいい」と勧め、お鉢がまわってきました。父親のことでは逸話があります。英語でわからないことがあり聞きに行くと「辞書もってこい」とお小言を言われ、「それで英語が嫌いになった」そうです。
 中学受験で開成中学を受けたのですが、試験当日風邪気味で、風邪薬を倍も飲み試験に臨んだところ、ぼぉーとしていつもはすいすい解ける問題ができず、落ちてしまいました。そこで明治中学に入り大学までお世話になりました。
 中学受験がトラウマになっていたのかもしれませんが、春之がよく「あれがなければ、東大に行っていた」と言うことがありましたが、そんな時には「そうしたら今はなかったのではないの」と言いました。春之の時代に駿台は全国に展開しましたし、多角化もし、大きくなったのです。
 育った家は多摩地区の保谷村(現・西東京市)にあり、空襲があると、父親に言われ、校舎を確認しに自転車でお茶の水まで40数キロを往復、「燃えていなかったよ」と報告したことが何度もあったそうです。幸い校舎は空襲に耐えてくれ、戦後のスタートがその分助かりました。
 春之は昭和23[1948]年に明治大学商学部を卒業し、繊維貿易輸入公団に入りました。面接の際「山﨑先生の息子なのに英語ができないのか。英語は欠かせない、よく勉強しなさい」と言われたと自伝に書いています。
 春之は昭和25[1950]年に繊維関係の会社に移ります。公団の廃止が迫っていたからです。その会社では営業で各地を回りました。そこで得た教訓の第一が「商売は面白い」、そして「時代の波」。後継者問題が起きたときも継ぐ気はなかったと言います。しかし、何度も考えるうちに「時代の波」と予備校の関係を考え、考えを改めます。昭和27[1952]年に理事に就任します。その時の条件が「利益を追求したり、教育的意義がなくなった時は、すぐやめる」というものでした。せっかくいいことをやっているので、多くの人にも利用してもらいたい、との気持ちでした。
 しかし、理事就任で引き継いだ資金はとても少ない。校舎も狭く、傷んできており、「先立つもの」の手当てが急がれました。「新しい紙は使ってはならない」と裏紙に伝票をガリ版で刷り使うなど、ケチケチ作戦で資金をため、新宿区四谷に土地を求め四谷校を開きました。この成功が今日の発展の礎になりました。現在、予備学校は全国に37校あります。海外校は14校です。春之は平成22[2010年]1月に亡くなりましたが、私は先立つ平成18[2006]年に理事長に就任しました。
【春之氏】
【画像上:写真授業風景(英語科・鈴木長十氏)、画像下:中国・駿台浦東校】

■3代目 山﨑 良子(平成18[2006]年就任~ )

 私は女性で、母親です。その目線を大事にして仕事を進めています。予備校=浪人=灰色のイメージで語られがちですので、校舎には温かみや清潔感を感じさせる内装を心がけています。何より自分の子供を通わせたいような学校づくりを心掛けています。
 平成20[2008]年に最初の校舎が建った場所に、新1号館が完成、平成26[2014]年に広島校を開校しました。広島は私の出身地です。中国四国地方にはまだ駿台はありませんでした。そうしたら「黒船現る」と地元紙に書かれました。「少子化で人口減は見えている時代に無謀」に見えたのでしょうか。でも広島は教育熱も意識も高い土地です。開けてみれば、多くの方に来ていただきました。100年もった「駿台ブランド」を認めてもらえた、人並みに認めてもらえたと感じました。
 3年前に経団連に入会させていただきました。経団連は教育改革に熱心で、よく意見を求められます。常々「教育は商売じゃない、国力を上げるためのものだ」と申し上げています。一部の人だけでなく、皆が良くなるためのものです。
 海外校では生徒に国語力を付けさせることに力を入れています。海外校の生徒のお母さまには「英語教育だけでいい」とおっしゃる方もいます。国際化の中で英語は確かに大切です。でも数学の問題も国語力がなければ解けません。日本の言葉をおろそかにしてはならないのです。グループの駿台甲府学園では小中高の一貫教育を行っています。私学の一貫教育は、生徒の有限な時間を有効に活用できるカリキュラムをもとにのびのびと個性を生かすことができるからです。小学校では語彙力をつけさせ、中学で文法を加え、磨きをかけ、高校2年生までに基礎を終わらせ、3年生は受験対策も重視します。今年東大に5人合格しました。小学校ではそろばんも教えています。計算力が付きますから。
 駿台のグループには専門学校が5校あります。大学生と専門学校生を比べると、意識がまるで違います。専門学校生は進む道を決めて入ってきます。在学中に資格を多く取るように指導しています。学習への意識はすごいです。社会に出ても、即戦力になれる人が多い。
 でも、大学生は4年間もかけ、卒業しても即職業人になれない人もいます。大学と専門学校との間でみられるこのギャップを少しでも埋めていきたいと思っています。
 現在、大学入試改革が議論になっています。
 入試改革で求められる学力は駿台が創立時から大切にしてきた「学問の本質」を教える授業によって養われます。
 駿台には1世紀にわたって培ってきた「愛情教育」のノウハウがあります。これを日本の未来のために役立てたいと思っています。
 
――文中にあった名物教師、鈴木長十さんには私もお世話になった。ある時、黒板に円を描いた。「君たちが知ったことは円の内側、知らないことは円の外側だ。知ることは円周の線。知識が増えれば増えるほど円は大きくなる。すると円周も大きくなる。しかし接するその外側、未知の領域も大きくなるのだ」、確かそんな内容だった。娘にも教えたし、今でもいろいろな局面で頭に浮かぶ――。
【良子氏】
【画像左:駿台予備学校 お茶の水1号館、画像中央:駿台予備学校 広島校、画像右:駿台外語&ビジネス専門学校】
●学校法人駿河台学園
千代田区神田駿河台2-12
http://www.sundai.ac.jp/

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