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百年企業のれん三代記

神田で三代以上のれんを守ってきた老舗にスポットをあて、初代から現在に至るまでの歴史を写真と文章でご紹介します。

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第48回 有限会社メネフネプランテーション

お話:3代目 鈴木 文男さん (記事公開日:2018年4月5日、文:竹田令二)

■はじめに

――「冒険ダン吉」※という漫画をご存知だろうか。講談社の少年向け雑誌『少年倶楽部』で昭和12[1937]年~18[1943]年に連載された島田啓三の漫画で、南の島に流れついた少年ダン吉が、王様となって王国を建設する、という内容。祖父、父が力とアイデアを注いだ商売は、 “ダン吉魂” いっぱいの3代目になり、フラダンスなどのドレスの製造販売と、南の島の香りいっぱいの商売へと変わった。自らデザインした布地にはハワイからフラダンス世界大会用にわざわざ買い付けに来るほどだ。
「冒険ダン吉」の概要((一財)大阪国際児童文学振興財団作成「日本の子どもの本100選」)
【】

■初代 鈴木 豊吉(生年不明~昭和18[1943]年没)

 歴史ある友人の会社には資料室があり、きちんと資料が整理されているのを見ると、申し訳ない気がします。資料がほとんどないんです。初代の祖父豊吉は愛知県の渥美半島の出身で、店を始めたのは1905(明治38)年ということはわかっています。祖母は仙台藩の勘定奉行を務めたこともある家の出と聞いています。直接の資料はないのですが、国会図書館が所蔵している古い電話帳を見ると、大正12[1922]年のものに「鈴木商店(元鈴木ヒヨケ店)と神(神田区)、柳原河岸三號二五一六一 日除天幕雨覆厚司製造販賣」とありますから、それ以前には商売を始めていたのは確実です。この頃に店名も変わったらしいのですが。今も見かける商店の店頭に使われる日よけとそれを出し入れする装置も一緒に売っていました。「厚司」というのは、厚地の木綿でつくった織物で、非常に丈夫で、職人、漁夫などの仕事着や前掛けに用いられてきたものです。
 大正15[1925]年のものには「鈴木テント店 鈴木豊吉」とあり、また店名が変わっています。営業内容も少し変わっています。「厚司」の代わりに「非常用安心持出袋製造發賣」です。関東大震災の後、会社関係から「貴重な書類を持ち出せなかった」という声を聞き、自分のところにあった木綿のキャンバス布地を使って、鈴木式安心袋を作り、評判を取りました。朝日新聞さんが調べてくれた記事では『震災の被災者が使って非常に効果があり、タンス1棹(さお)分の衣類や貴重品を即座に収めて背負うことができるという』と紹介されています。アイデア豊かな人でした。
【大正時代の電話帳。画像左:日本商工通信社 編『職業別電話名簿. 東京・横浜』(大正11年発行)、画像右:日本商工通信社 編『職業別電話名簿. 東京・横浜近県』(大正15年発行)。(画像提供:いずれも国立国会図書館ウェブサイトより)】
【「安心袋」非常持ち出しの準備のため備えられた袋。身の回りの品や食糧、貴重品を入れ、空襲時すぐに持ち出せるようにした。(画像提供:昭和館)】

■2代目 鈴木 一男(明治43[1910]年生~ )

 祖父は昭和18[1943]年に亡くなりました。父は満州に兵隊にとられていましたから、3年ほど会社は休業状態でした。幸い終戦前に帰国でき、引き揚げの苦労や、シベリア抑留などを経験せずに済みました。祖父の考案した「鈴木式安心袋」は父の代には「SS式非常袋」に発展します。小さな袋の中に畳まれ、両脇にフックがあり、机の引き出しにフックをかけ、引き出しの中身を一気に袋の中にあけられる、というものです。「SS式」というのはまたも店の名が「鈴木商工」と変わり、その頭文字をとったものです。
 また父は「SS式新聞包装布」を作りました。北海道から沖縄まで全国の新聞社に使っていただきました。それまでは、新聞社は刷り上がった新聞を販売店に輸送する際には、紙で包んでわら縄で縛りあげていました。それをキャンバス布地で新聞の束を包み、ブックバンドで縛るものです。わら縄はほこりが出て、健康に悪かったし、紙は弱かったので、大変喜ばれました。でも、プラスチックシートが出てきてからはどうしても価格面で太刀打ちできず、キャンバスの需要はなくなっていきました。
【】

■3代目 鈴木 文男(昭和24[1949]生~ )

 こんな状態でしたから、大学卒業してからは「このキャンバスを売るにはどうしたら……」と日夜考える日々でした。鉄道の窓から外を見て立っている立て看板が目に入ると「キャンバス地の立て看板はどうだろうか……」「キャンバス地は油汚れの付くような使われ方だけど、きれいなものをできないか……」なんて。
 実は子供のころから南の島にあこがれていました。明るい太陽、甘い花の香りを運ぶ風、受け入れてくれる人々の温かさ……、いつも頭の中にあります。平成2[1990]年に鈴木商工の中に「メネフネプランテーション」を立ち上げました。南の香りをドレスやバッグなどにして売ろうとスタートしました。最初はハワイで仕入れた布地2種類でバッグ、広げるとぐっと明るくなる感じの傘、絶対悪夢は見ない(?)という明るい柄のパジャマです。なかなか売れない、いや客が入らなかったのですが、「これかわいい」と初めて女性の方に買っていただいたのがパジャマでした。嬉しかったですね。
「メネフネ」というのはカウアイ島に住んでいたといわれる小人族のことです。たくさんの色の材料を集め、虹を作ったと言われています。彼らが育てる農園(プランテーション)の木々に素敵なスカートやバッグがなっていて……というファンタジーから、名前にしました。
 ハワイで布地を仕入れ自分でオリジナルの柄を描き始めました。ある時、年配の女性がおいでになり「年金生活ではムームーは高くて買えない」と嘆かれました。「こりゃ、なんとかしなきゃ」と、次の週にハワイに飛び現地の布地問屋に「安く日本で作りたい」と頼み込み、安く出してもらいました。日本でデザインし染めた布を、縫製代が安いのでハワイに送り、中国系の女性に仕立ててもらいました。ファックスで仕様を送って作っていろいろ注文や注意をし、作ってもらっていたのですが、納期に間に合わないなど出てきました。そこで、日本で縫製も行うことを決断しました。最初に引き受けてくれた工場とは今も続いていますし、うちの仕事だけやってくれています。
 フラダンスというと、年配の方は夏の屋外ビヤホールなどでよくご覧になっていたと思います。酒席にフラダンスが入ったことが本当のフラダンスの持つ意味合いを分からなくさせました。フラダンスは海や山、大地の神にささげる踊りです。歌詞にもダンスの動きのひとつ一つに意味があるのです。衣装もそれに合わせなければなりません。色や柄もダンスによって絞られます。
 例えばハワイには8つの島がありますが、それぞれ象徴する花が異なります。マウイ島ならバラの花です。4月に世界大会がありますが、大会のエントリーシートには歌、意味、生地を書き込む必要があります。今世界大会に向け、バラの花をあしらった図柄の衣装の注文を受けています。急がなければなりません。
 今、作ってある布地は5~600種類あります。長袖、半そでなどパターンは4~500種類ありますね。例えば、王様を称える踊りの時は、ブラウスにギャザーをたっぷり入れた形で裾を長く引くホロクドレスです。
うちの衣装を着た人で、世界大会では2回優勝者が出ています。そのほかの大会でも数多く、本場からうちの店に買いにいらっしゃってくださいます。
 布地のデザインは私が勝手に考え、思い付きで6~7割作り、あとはグラフィックの人に頼み製版まで持っていきます。デザインひとつ一つに物語を考えて描いています。8つの島の花をデザインした柄も作りました。ハワイの花をうたった「ヘ・レイ カウラナ」という曲があります。ハワイアンの歌手のケハウ・タムレさんが3・11の被害者応援のために作った歌ですが、お願いして、この柄の生地の名につけさせていただきました。
 鈴木商工は平成25[2013]年に歴史を閉じました。やはりキャンバス地ではやっていけませんでしたから。メネフネプランテーションは平成8[1996]年5月24日に独立していましたが。
【王様へ称える曲で使用されるドレス】
【「ヘ・レイ カウラナ」の生地】

■4代目 鈴木 京子(昭和28[1953]年生~ )

 妻です。17~8年前に社長を譲りました。私は今、役員の1人です。妻と会ったのもハワイでした。平成47[1972]年、大学4年の時にハワイ大学のサマーセッションがありました。所属していたアメリカンフットボールで足を骨折したこともあり暇で、友人と「南の島へ行こう」と。観光の足に米軍払下げの中古の車を買い、素潜り漁の銛(もり)や自転車チューブを使ったゴーグル等を買ったら、1日に使えるお金が25セントしかなくなり、毎日素潜りで獲った魚でご飯を食べていました。住んでいたアパートの2階にいたのが妻でした。お姉さんの勧めでハワイ観光に来ていたのです。当然私より食事はよく、ごちそうになり、その後、「タイニー・バブルス」などをうたっていた歌手ダン・フォーのコンサートへ誘ったのが最初のデートでした。
 将来、パリに小さな店を出せたら出したいなんて思い、バッグを作りました。カジュアルなものからパーティのドレスまで、トロピカルなものを日常で使ってもらいたい。南の魅力をもっともっと伝えたいのです。従業員には商品包装の時に「アロハの心を込めてほしい」と言っています。ハワイ語の「アロハ」は挨拶の〈ようこそ〉〈さようなら〉のほか、〈愛〉や〈親切〉も意味しますから。
 子どもは長女輝美(41)と長男慶一(39)の2人で、輝美はブログなどでPRしてくれています。慶一は結婚したばかりで、店を手伝ってくれています。
 
――長男慶一さんは、「学生時代は趣味のスキーに没頭していたため海よりも雪山だった」というが、ハワイに行ってから父親の道に方向転換。「南の島の夢を届ける仕事、これ以上感謝できる仕事ないかな」とも語る。聞いていて、ブータン国王が、国民総生産(GDP)に対し提唱した国民総幸福(GNH)が思い浮かんだ。
【画像上:3代目文男氏と4代目京子氏、画像下:「もしパリにメネフネプランテーションがあったら……」がコンセプトのバッグ『パリッサ』】
【画像左上:店舗外観、画像左下:店内を彩る華やかなレイ、画像右:ずらっと並んだムームー】
●有限会社メネフネプランテーション
千代田区内神田1-17−9 TCUビル1階
電話:03-3518-2071
http://www.menehune-p.com/

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