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百年企業のれん三代記

神田で三代以上のれんを守ってきた老舗にスポットをあて、初代から現在に至るまでの歴史を写真と文章でご紹介します。

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第33回 株式会社淡平

お話:5代目 鈴木 敬さん(記事公開日:2014年2月19日、文:伊藤聡子)

■初代 鈴木林蔵(大正8年[1919]没)

 鈴木家は江戸時代初期に、葛飾郡淡之須(現在の葛飾区青戸)に移り住んだ最初の6家族のうちの一家族でした。
 煎餅作りで初代となる林蔵は、農業の傍ら川廻船もおこない、収穫したお米を中川を介して江戸に卸していました。また、お餅など米の加工品も扱い、その中のひとつにお煎餅もあったようです。林蔵は、百姓だけでなく、時代に合った事業を多角的に広げる商売人のセンスがあったのでしょう。そのおかげで、明治17年に米加工品の製造と卸売りを生業とする「淡平」を創業しました。
 この屋号ですが、「淡之須村(あわのすむら)」の「平ぜむどん(林蔵の愛称)」から付けられました。
【現在取り扱っているお煎餅の味は14種におよぶ。人気の味はのり、ごま、山椒。中でも今戸焼きのコテを使って作る「今戸焼き醤油煎餅」はここでしか味わえない】

■2代目 平蔵(昭和25年[1950]没)

 お煎餅屋を専業としたのは、2代目平蔵の時になります。
 青戸の家の前には、柴又街道が通っていたこともあり、平蔵は、米作りは小作人に任せ、お煎餅の卸しのため足繁く柴又まで通いました。江戸の昔から、庶民の間には帝釈天信仰が盛んだったようで、もちろん柴又も常に多くの人々で溢れ、賑わっていたようです。やがて平蔵は、柴又での卸売り業を確実なものにし、お客様とのつながりを濃くしていきました。
 できる限り素材の味を生かした素朴な手作りの味。それが「淡平」の味。戦前の写真には、家族ぐるみで煎餅を天日干しする様子が残っています。
 やがて厳しい戦争の時期に入り、お煎餅の材料が貧しくなって仕事が少ないこともあり、工場を地域の防災会館として使っていたこともあったようです。そこで平蔵は、町会長のようなことも任され、政治的な活動にも情熱を注いでいきまいたが、残念ながら40歳という若さで亡くなってしまいました。
【二代・平蔵のポートレート】
【戦前の本社工場の様子(画像上)。藁ぶき屋根の家屋が母屋で、その前には一面に天日干しのお煎餅が並ぶ。この建物は戦中、「淡之須町会防衛本部」として母屋を貸していた(画像下)。二列目中央で黒い眼鏡をかけているのが平蔵】

■3代目 常次郎(昭和45年[1970]没)

 若くして亡くなった2代目の労を無駄にすることなく、次代に繋いでいく。
 その強い使命感のもと、急遽3代目として社長に就任した常次郎は、私の父(昭)にとって叔父にあたる人でした。常次郎は、戦後の混乱期から高度成長期へ発展してく過渡期に、「淡平」をしっかりと守ってくれました。
 この頃会社には借金が多く、苦労が耐えなかったと聞いております。
【この頃は卸業を中心としていた。映画「男はつらいよ」に出てくる団子屋のモデルとなった、老舗和菓子店「高木屋」も取引相手だった】

■4代目 昭(昭和4年[1929]生~平成6年[1994]没)

 この時代は、「淡平」の将来を左右する大きな決断の時でありました。
 無事に常次郎から商売のいろはを教えてもらい、家業を継いだ4代目昭は、高度成長期に突入した日本経済の大波の中で、どのように商売を続けていくか岐路に立たされていました。
 柴又での卸売業だけで生き残っていけるのか。多くの同業者が大量生産、大量消費に備え事業拡大を計っていく中、昭は考えあぐねた末、手焼で様々な味を提案するユニークな煎餅造りを決心しました。
 ちょうど同じ頃、神田へ店を出さないかと親戚から声をかけてもらえました。神田尾張屋に嫁いだ伯母のご縁で、ちょうどいい物件を紹介していただけました。それが今のお店になるのです。
 昭は、昭和48年に神田出店を決断し、小売業への進出を果たしました。また、新しい味にも果敢にチャレンジしていきました。
 昭和61年に発売された「激辛煎餅」は、今でこそ当店のブランドとして全国区となりましたが、発売当初は同業者からその挑戦的な商品を心配する声も多くいただきました。
 私は「激辛煎餅」は、販売を決断した母のチャレンジ精神と神田の町柄がうまくマッチングして生み出されたものだと感じています。時代の先端を行くビジネスマンが集まる神田は、常に目新しいものに対して敏感な町です。これまでになかった「激辛」や「イカ墨」味のお煎餅は、こうした神田の町柄とうまく融合し「都会の煎餅屋の味」として、多くのビジネスマンに育てていただきました。
【画像上:左の少女が神田尾張屋へ嫁いだ叔母。右は2代目の母(初代の妻)松。画像下:4代目昭のポートレート】
【画像左:永六輔氏からの手紙。永氏とのお付き合いは30年以上になる。画像右:「激辛」ブームの火付け役となった昭和61年には流行語大賞銀賞を受賞した】

■5代目 鈴木敬(けい)(昭和36[1961]年~ )

 父が神田で店を構えてから約40年。私が社長に就いてから20年が経ちました。おかげさまで、6代目となる息子の壮も店の手伝いをよくしてくれます。
 ユニークな味の煎餅造りで高度成長と共に発展した神田淡平も、バブル崩壊、リーマンショック等の平成不況の下、新たな方向性を模索し打ち出しています。
 それはかつては当たり前に日常にあった風味、昔ながらの手焼醤油煎餅の復活・再生産です。代々受け継がれてきた味と手法を変えることなく、3代に渡り受け継がれたきた素朴な煎餅作りを貫くこと、これが自分の使命だと思ったのです。
 その思いが形となった「本格手焼き煎餅 今戸焼」は、江戸の伝統的な陶器・今戸焼のコテを使い、正統派の醤油煎餅として現在店頭に並んでおります。今戸焼のコテは作れる窯元が残っておらず、コテも今ある分だけとなりました。しかし6代目となる壮が仕事を手伝い始め、百数十年の歴史を刻む当店が『未来のお客様のために、是非残しておきたい味』として、これからも焼き続けていきたいと考えています。
 壮には、「淡平」が神田で可愛がっていただいていることに感謝する気持ちを忘れないでほしいと思っています。そして、人間として、また経営者として本物のセンスを磨いていってほしいです。
「淡平」の味は、神田の町の発展とともに愛されていくものなのですから。
【左より5代目敬氏、6代目壮氏、5代目の妻佐代子夫人。店内にて】
【神田西口商店街にある店舗】
●株式会社淡平
千代田区内神田2-13-1(神田本店)
電話:03-3256-1038
http://www.awahei.com/

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