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百年企業のれん三代記

神田で三代以上のれんを守ってきた老舗にスポットをあて、初代から現在に至るまでの歴史を写真と文章でご紹介します。

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第15回 大屋書房

お話:3代目 纐纈公夫さん(記事公開日:2012年7月5日、文:亀井紀人)

■初代 纐纈房太郎(文久3年[1863]生~昭和13年[1938]没)

 纐纈という名字を辿ってゆきますと、東濃と云われる岐阜の御岳に纐纈神社がありますが、その地域には纐纈姓が多く、私の推測では京都、奈良の公家に就いていた染物、繊維に携わる職業名から来ているのではないかと思います。我が、纐纈家の先祖は、江戸時代中期に江戸に出てきたことまでは判っています。大屋書房の創業者、房太郎は明治15年(1882年)浅草で開業しました。写真で見てのとおり、真っ白なあご鬚がトレードマークの上品な綺麗な爺さんで、明神下の花柳界にはよく出入りしていた、ひと言で言えば、粋な遊び人だったようです。ところが、仕事ではフリ手という、セリの進行役として大変有名な人物でした。「房太郎の要領のよいフリと愛嬌のある言葉や、飛ばす駄洒落によって売上が増し、値も釣り上げられたので、有力な出版社はこの爺さんを大切にし、よく酒席を設けたものだ。」(昭和28年誠文堂新光社発行・小川菊松氏出版興亡50年より)と紹介されています。売り手と買い手の微妙な心理を読み取らなければならないこの難しい仕事で、房太郎は同業者からも一目置かれる存在となっていました。
 同時に、房太郎は出版にも力を入れ、尾崎紅葉の「裸美人」(明治25年)や吉井勇の「ねむりぐさ」等を発刊しています。
 店は房太郎の代だけで、明治18年に御徒町、明治20年に神田今川小路、大正3年に裏神保町5番地を経て、大正12年に神保町一丁目一番地の現在地にと4度移転しています。
【初代房太郎のポートレート】
【房太郎の代表的な出版物。悟空怪遊記などは上箱の装丁を見ただけで、房太郎の遊び心が感じられる。創業時らしく、纐纈書房発行のものもある】

■2代目 宇恵雄(明治39年[1964]生~平成2年[1990]没)

 2代目は私の父ですが、震災、戦災と2度の悲惨な出来事に遭遇していますので、言葉では表せない大変な苦労がありました。戦時中、父は戦地には行かず、中島飛行機で徴用され、家族は浦和へ疎開することになります。その間、空襲により神保町北側は焼け野原になりましたが、幸い店のある神保町南側は戦禍から逃れることができました。戦後、父は商売を再開し、借家であった店舗を買い取り(千代田区第一号となる共同ビル)昭和37年には現在の社屋を竣工します。厳格で仕事熱心な父の元で、2つの出版物を手がけました。一つは尺八の本、もう一つは大屋書房で扱う膨大な数の本の目録です。現在主として扱っているのは、江戸時代の和本と地図、浮世絵、版画や幕末・明治時代の古写真などですが、和本のジャンルは歴史、地理、文学、美術、書道、茶道、音曲、武術、化学、医学、絵本など多岐に亘っています。特に江戸・明治の和本に限って集めている特徴ある本屋としての礎を築いたのは2代目である父でした。
 父との思い出は、当店のお客様だった文化勲章授与者の牧野富太郎氏のお宅に連れて行ってくれたことです。90歳を越える高齢のためか、お話をしている最中に氏が寝てしまったことがあり、途惑ったのを覚えています。
 私が3代目として父と一緒に仕事をするようになってからは、私の仕事は店番が中心でした。父は町会や市場など外へ向いて働いていました。大きな出来事は、都営地下鉄新宿線が出来るとき、靖国通りに高速道路を作る計画が上がったことです。そして街の人たちと一緒になって反対運動を起こし、計画を潰しました。父たちの運動がなければ、日本橋に架かる高速道路のような街になったかも知れません。また、町名番地変更の話が起きたときも、率先して街の文化を残すために反対し、旧番地が残りました。神保町は、そのような街の人々の結束があったお陰で今があるのですね。
【宇恵雄のポートレートと宇恵雄の手がけた書籍】
【昭和2年の神保町南側の古書店街。左隣にレオマカラズヤさんが(撮影レオマカラズヤ木内氏)】

■3代目 公夫(昭和14年[1939]生~ )  

 兄弟は姉が2人、男1人でしたので、そうですね中学生の時、家を継ぐという腹は決まりました。生まれも育ちも正真正銘の神田っ子といえる私は、浜田病院で生まれ、戦前は、猿楽町の豊島屋さんの家作にいました。戦中は浦和に疎開し、小学校4年の時に神田に戻ってきました。錦華小学校、一ツ橋中学校を経て、これも地元の明治大学に。大学卒業後、1年だけ大阪の古書店に修行に出て、昭和38年から大屋書房に入社しました。
 仕事は、父の背中を見て会得しました。いろいろな局面で、今でも無言で教えてくれています。私の代になっての大きな出来事は、父が亡くなった年が運悪くバブルの終末期だったのです。土地も家も個人名義でしたので、信じられない額の相続税が請求されました。主人が亡くなっただけで、店は今までどおりの営業を続けているのに、国は出て行けと言わんばかりの税金を払えと云うのです。なんとか20年の延納を申請して、やっと昨年(平成23年)払い終わりました。
 私の仕事としては、幕末から明治に掛けて江戸の粋な「風俗画」などで人気のあった月岡芳年という絵師の蒐集に力を入れました。それに娘(久里)が興味を示し、現在4代目として店に立つとともに、江戸時代の妖怪ものを自分の専門分野にするきっかけにもなりました。
 また、父の晩年ごろからマスコミなどによる歴史取材の対応を始めました。以前は、頑なに取材は拒否して来ましたが、神保町の街の活性化になりますし、古書フアンを増やすのにも役立っているのではと思います。お蔭様で昨今、江戸文化への関心が高まっていますので、取材の依頼が多く、随分協力をしましたよ。
 創業時から言い伝えられていることは、あえて言うと「自然体であること、時代に即応すること」ですね。店が130年続けてこれたのは、文字を必要とした社会背景が店をもたせてくれたことと、震災、戦災にめげず店を継続してくれた父の力といえます。
 この仕事に就いて良かったと思えることは、以下の私のエッセイから引用させて頂きます。
『一昨年父の代からの店の常連客だった九州大学名誉教授の中野三敏さんが、江戸から明治期の近世文学研究者としては初めて文化功労者に選ばれた後、私と娘がいる時に「私は古本屋に育てられてこの栄誉に輝きました。ありがとう。」とお礼を言って帰られました。古本屋というのはこういうように、何代にも亘りお客様と接することで教え合ったり、教えられたものをまた周囲に返す場でもあり、インターネットの売買にはない、人間同士の「生」の知識のやり取りこそ古本屋の醍醐味なのです。』(2010年冬号小学館だより1000字エッセイより文本人)
【3代目公夫のポートレート】
【3代目と4代目お揃いで】

■4代目 久里

 久里という名は、朝日新聞の四コマ漫画で当時連載されていた「クリちゃん」を、父が好きで付けられました。その作者の根本進さんが当店によく来ていたお客様で、親しくお付き合いしをしていましたが、ご縁があったのですね。
 この店を継ぐことは、幼少の頃から可愛がってくれた祖父母から、「大きくなったら本屋を継ぐのよ」と謂われて育ち、近くの富山房に行っては本を何冊でも買ってくれましたので、自然と本を読むのが好きになり、高校時代は沢山読みました。16歳の時、2年に1回世界で開催されるブックフェアに父が連れて行ってくれました。その年の開催地はパリ。欧米の本屋の経営者が集まり、日本と違って女性が多かったのが印象的でした。歴史と近代、現代文学が好きでしたので、大学は国文学を専攻。村上春樹のフアンでした。
 ある日、父から1週間空けるようにと言われ、古書会館で行われる秋の大きなオークションに手伝いに行かされ、その後店へ入り主に店番でお客と会話することによって、自然と4代目として自覚するように仕向けられ、そのとおりになっていったのですね。
 継いだ当初は、100年以上続く店の文化を預かることへの心配や不安がありました。それもいろいろなお客様と話をすることで不安も解消されて行きました。お客様との会話は、その方の知識を分けて頂く事だと判るようになり、喜びでもあります。また高名な国文学者の先生のもとで勉強が出来る機会がありました。そこで教えていただいたこと全てが、今の私を支えているといっても過言ではありません。
 先日、アメリカ人の浮世絵のコレクターが手放した作品のオークションが日本であり、妖怪の浮世絵を落札しました。持ち帰ってよく見ると、題名が祖父の特徴のある文字で書かれていたのです。大屋書房から遠くアメリカまで流出した絵が、縁あって戻って来てくれたのです。このように、祖父との出会いを経験できた仕事に就けて私はとても幸せです。私も父と同じく生まれも育ちも神田です。情があり温かいこの街が大好きです。
 今年の夏に、千代田図書館で小学生の夏休み教育として妖怪・お化けの話をいただきました。店で本や絵を買って下さる人は勿論大事ですが、今の日本の生活を形作った江戸の文化を、少しでも多くの人に知っていただけるよう微力ですが協力して行きたいですね。
【4代目久里のポートレート】
【4代目久里が手がけた大屋書房刊「妖怪カタログ」】
●大屋書房
住所:千代田区神田神保町1-1
電話:03-3291-0062

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