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百年企業のれん三代記

神田で三代以上のれんを守ってきた老舗にスポットをあて、初代から現在に至るまでの歴史を写真と文章でご紹介します。

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第14回 株式会社紀伊国屋漢薬局

お話:13代目 田中禮子さん(記事公開日:2012年6月8日、文:亀井紀人)

■初代 紀伊国屋源四郎

 創業は天和2年(1682年)です。紀伊国田辺生まれの源四郎が、紀州藩主徳川綱教(つなのり)の参勤交代のお供として江戸に出、始めのうちは茶屋や米屋をしていましたが、五代綱吉候の時世に昌平橋外(後の神田松住町)に居を構え、薬種店「昌平堂紀伊国屋薬舗」を開設しました。
 創業以来、この地での営業は大正11年に現在地(外神田1丁目)に移るまで継続することとなりました。近くには青物市場があり、近郊の村々から人が集まってくるという地の利にも恵まれ、源四郎が開発した「牛黄丸」(ごおうがん)は万病に効験ありと評判を呼び、高価でしたが家伝薬としてよく売れました。
【効能書「鮮地黄丸」弘化3年(1846年) 紀伊国屋漢薬局所蔵】
六味丸と八味丸の2種類あり、その効能の違いなど書いてある。後半には、他店との違いが述べられている。本家調合所は、初代以来の昌平橋外となっているが、出張売払所として芝宇田川町に紀伊国屋九兵衛として販売所を設けていたことが伺える。
【薬種本 文政7年(1824年)刊  紀伊国屋漢薬局所蔵】
本は、日本橋の書舗、山城屋佐兵衛発行とある

■2代目~10代目まで紀伊国屋源四郎

 この間の先祖にまつわる資料は震災と戦災ですっかり焼けてしまい、残念ながらほとんどありませんが、江戸後期の紀伊国屋源四郎を窺い知る資料が、僅かながら見つかっています。
【天保11年(1840年)2月 版木の譲渡の覚と受領書 紀伊国屋漢薬局所蔵】
阿波国稲田の島田滝郎から、井川源兵衛著述の「書則」の版木を譲渡された証文。井川は、書家、水墨画家として活躍した井川鳴門(1751〜1806雪下園)のことである。この版木を一両二分で買い取ったことが判る。

■10代目・11代目 野村源四郎

明治維新後、武家社会から解放され一般人も公に姓名が名乗れるようになり、それまで屋号で代々名乗っていました紀伊国屋に野村姓が現れます。
【「牛黄丸」改正効能記と薬袋 明治期 紀伊国屋漢薬局所蔵】
【効能書 「牛黄丸かふのふ乃略」明治期 紀伊国屋漢薬局所蔵】
夫々に、神田区松住町三番地の住所と野村源四郎の名がある

■12代目 土田梅吉

明治から昭和の初期にかけて、漢方薬店にとっては辛い受難の時期といえました。明治維新以来、西洋医学が一世を風靡し、成分や薬効が微妙ではっきりしない漢方薬は、日影の存在となってしまいました。
 そんな風潮の中、11代目の野村源四郎には3人の子供がおりましたが、店に長年勤めていた土田梅吉に暖簾を譲り、跡を継がせました。
 大正11年、区画整理のために神田松住町の店の敷地が削られることになり、梅吉は店を、現在の外神田1丁目に移転しますが、2年後に大震災に遭います。梅吉は、香を置いたりしながら地道に家業を守り、大震災の打撃を跳ね返し、昭和10年には3階建ての店舗を新築しました。梅吉は私の祖父にあたりますが、当時の店は畳敷きで、そこに家長然と、威厳を漂わせていつも座っていましたので、近寄りがたかったですね。
【「牛黄丸」の看板】
330年前の初代から続くヒット商品、店に入ると正面にこの看板が目に入る。現在は「牛王丸」と名称を変更して好評を博している。

■13代目 土田茂雄(昭和19年[1944]~平成6年[1994])

12代目の梅吉も跡継ぎとなる子に恵まれませんでしたので、甥である15歳の茂雄を養子として迎えました。厳格な養父の下で修行しましたので、大変苦労したと思います。戦時中は、郷里の群馬に疎開していましたが、神田の店は焼失し、養父の逝去後、父は戦後すぐにバラックを建てスタートを切りました。昭和30年ごろには2階建ての店舗と住宅を、昭和48年には現在のビルを建てました。朝早くから夜遅くまで働き通しでしたので、月に一回の休みに浅草に出掛けて映画や食事をするのが、唯一の楽しみだったそうです。几帳面だった父は、出掛ける時間がいつも一緒で、どこかの国の哲学者ではありませんが、周りの人が父の姿を見て時計を合わせたそうです。
【茂雄のポートレート 神田ルネッサンス発行「粋と絆・神田っ子の昭和史」より】
【戦後のバラック店舗の後、昭和30年ごろ建てられた店舗。外に山積みになっている袋は漢方薬の原料で、地下の倉庫に運ばれる前「かんだ会・かんだ206号より」】

■14代目 田中禮子(平成6年[1994]~)

 私は、小学校の6年間だけで4回、厳密に言えば5回転校しています。生まれは本郷で、湯島小学校に入学しましたが、3年生の時、店のある外神田に転居し、外神田の芳林小学校へ、つかの間に太平洋戦争が始まり、母の実家の前橋に疎開し、その家も焼け出され父の実家の富岡へ行き終戦を迎え、再び外神田の芳林小学校へ戻るといった慌しい時代でした。それでも疎開先での2年半は都会にはない自然に触れ合うことの出来た、貴重な経験だったと思います。
 中学は新設の今川中学校でたしか女学校の3階に間借りをしていた記憶があります。その後は薬学を専攻し、昭和32年に薬剤師の免許を取っています。
 神田に住んでいてよかった事は、神保町の本屋街まで歩いて行けたことです。教授に紹介された薬学の本は、古書店に行けばすぐに入手することが出来ました。妹と映画を観に、小川町の角座や淡路町のシネマパレスにも行きました。結婚して、子育てに手が掛からなくなった頃から、父の仕事を手伝いに製薬をしに店に通うようになりました。薬学の学校で習った漢方は僅かで、店に来て覚えることが多かったです。店の経営は父がやっていましたので、平成6年に父が亡くなってから私が跡を継ぐこととなりましたが、当初は苦労の連続でした。それでも、今はもう皆亡くなってしまいましたが、昔からの方々に助けていただき、なんとかやって来れました。この仕事に就いて良かったと思える瞬間は、やはりお客様から、「ここで頂いた漢方薬のおかげで良くなった」という言葉をかけられた時ですね。お客様とは皆、永いお付き合いです。これからも地道に絶やすことなく、着実に歩んで行きたいですね。
【店内で一緒に働くスタッフと、右から2人目が14代目田中禮子】
【祖父の代から店内に掲げている書「抜苦興楽」】
紀伊国屋漢薬局所蔵
●株式会社紀伊国屋漢薬局
住所:千代田区外神田1-2-14
電話:03-3255-2771
http://kinokuniya-kanpo.jp/

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