KANDAアーカイブ

神田学会
お知らせ 神田資料室 神田マップ 神田写真館 百年企業のれん三代記 神田の花咲かじいさん 出版物紹介 神田学会とは 神田学会資料請求 関連リンク Perspectives in English 神田アーカイブとは リンクについて 問い合わせ

百年企業のれん三代記

神田で三代以上のれんを守ってきた老舗にスポットをあて、初代から現在に至るまでの歴史を写真と文章でご紹介します。

印刷用

第13回 株式会社檜書店

お話:5代目 椙杜久子(檜久子)さん(記事公開日:2012年5月2日、文:亀井紀人)

■創業

 創業は、万治2年(1659年)2月京都です。(一説にはその20-30年前の寛永頃)初代の山本長兵衛が二条通御幸町西入で観世流謡本を出版したのが始まりです。当時の二条通りは、現在の神田神保町のような本屋の集まる通りだったそうです。当初は私的に出版していましたが、元禄頃(1690年台頃)から観世大夫と繋がりを持ち、観世流宗家公認の謡本の版元となり、謡本を出版するようになりました。観世流の流行と共に全国に販路を広げ、安泰の世と共に店も繁盛しました。
 それから約200年後の幕末期、池田屋事件を引き金とする元治元年、尊攘を藩論とする長州藩が京都に攻め上り、薩摩、会津両藩との激しい交戦となり、その兵火によって京都の市中は三日間燃え続けるという惨禍に、山本家も巻き込まれます。元治の大火は店を構えていた二条御幸町の一帯をも襲い、謡本の板木のほとんど全てを、わずか一日で灰にしてしまいました。
【慶安2年(1649年)初夏、観世流の謡本、右が「芭蕉」左が「小塩」の2冊 檜書店蔵】
【山積みされた初期の謡本のための版木、印刷機のない時代、このような版木によって本は印刷された。出版業者は版木を持つことが版権となっていた。  檜書店蔵 】

■初代(橋本常栄)檜木新兵衛孫

 文化9年(1812年)生まれ。記録によると常栄は橋本姓とともに、檜木屋の屋号を名乗っていたことが確認されています。橋本家はもともと両替商を営み、順調な商売に任せて、出版業にも手を広げ、当初は仏書の出版を中心にする、仏書書肆として出発しました。現在まで続く謡本書肆としての檜書店の基礎は、常栄の代から出発します。
【下が版木、上が版木で印刷された謡本の一節。職人がひと文字ひと文字彫り作る版木によって、当時の印刷が可能となった。今はもうその職人もほとんどいない。檜書店蔵】
【聖徳3年(1713年)謡本「仲春」五番綴じ半紙本 奥付に京都二条通御幸町西の住所と山本長兵衛新刊とある。 檜書店蔵】

■2代目(橋本常祐) 檜常助

天保二年(1831年)渡辺庄右衛の次男として生まれた常祐は、嘉永3年(1850年)橋本常栄の養子となりました。
 翌年より三井京店で奉公の日々を送り、その後には暖簾分けを許され、越後屋の屋号を名乗る、れっきとした三井家に連なる商人でした。
 慶応元年(1865年)、跡取りのいなかった山本家は、隣家でもあった橋本常祐(後の檜常助)に、元治の大火で焼けた版木の株を買い取ってもらい、慶応2年、2人の連名で最初の謡本も刊行しています。その後、山本長兵衛の版権は全て常祐が譲り受け、常祐はその版木を使って二条柳馬西入で出版業を始めました。
 橋本常祐は明治になって屋号を「檜屋」とし、姓名を「檜常助」と名乗ります。常助は金剛謹之輔とも親交を深め、明治31年(1898年)には金剛流謡本も手がけるようになりました。
【2代目檜常助の肖像画】

■3代目 檜常之助

大正6年(1917年)3月、観世流宗家が東京に来られるのに伴い、現在地の神田小川町(区画整理前は神田錦町一丁目)に、東京店檜大瓜堂を開店しました。大瓜堂(たいかどう)は大売り堂に通じて、縁起の良い名前でした。
 その頃は、道路側前面が店で後ろに住居があり、庭では鶏を飼っていたそうです。昭和3年6月には合資会社檜書店を創設し、東京店を本店としました。夫婦とも京都の出身で、妻の千代さんが几帳面なしっかり者で、陰で夫を支えていました。祖父としての思い出としては、菊づくりをしていた温和な人でしたね。
【3代目常之助のポートレート】
【常之助家族団欒の写真 左から常之助妻の千代、常之助、次男英次郎、長男常太郎、長女泰子】

■4代目 檜常太郎(明治42年[1967]生)

明治42年生まれの父は、大学を出てすぐに家業に就き、謡本の改訂に取り組み、今の大成版が生まれました。その後、第二次大戦で戦地に行き、無事帰ってこれましたが、小川町の店も自宅も空襲によって全て焼け、謡本づくりのために買ってあった貴重な和紙は、3日間燃えくすぶっていたそうです。
 戦地から帰っても住むところもありませんでしたので、世田谷の叔母の所で間借りをして、暮らしました。その間、洋裁の出来た母が、家計を助けてくれました。
 父は店の再建のために全力で取り組みます。幸いなことに、京都の店は戦災から逃れることが出来ましたので、バラックを建てて再興を果しました。
【昭和37年檜ビル新社屋竣工時】
左隣に平和総合銀行があった
【昭和40年頃、舞囃子する常太郎】
大曲(おおまがり)の観世能楽堂完成時

■5代目 椙杜久子(平成元年[1989]~ )

 檜書店の歴史は、しっかり者の女が陰で支えて来た歴史と謂えます。
 私が手がけたこととしては、少しでも能や狂言のフアンを増やそうと、主流だった謡本以外の入門書を出版したことです。「まんがで楽しむ狂言ベスト70番」を始めカラーブックスのシリーズも作りました。こうして檜書店の本が少しずつ一般書店に並ぶようになりました。
 家訓と謂えるかも知れませんが、檜家の代々から教わっていることとして「良いときも悪いときも、生活を変えない・倹約が大事」ということです。嬉しかったことといえば、4代目から受け継いだ13年間の中継ぎでしたが、無事に6代目にバトンタッチできたことですね。
【久子の手がけた能や狂言の入門書ならびにカラーブックス】
【久子のポートレート、店内にて】

■6代目 常正(平成13年[1989]~ )

 約10年間の銀行勤めを終えて、檜書店に入りました。跡継ぎとして、子供の頃から能に親しんできましたので、ごく自然にこの仕事に入れました。今後の大きな課題は、華道、茶道、書道など、和の日本文化全般に言えることですが、高齢化に伴う、稽古事をする方の減少です。若い人々の開拓が急務といえます。明るいニュースとしては、今年(平成24年)から中学の音楽の教科書で、能楽の演目である「羽衣」が入りました。これによって、少しでも能文化に興味を持ってくれる、若い人たちが増えてくれるといいですね。店には能、謡曲、狂言などの入門書や解説書をはじめ、たくさんの本やDVD、CDが揃っています。神田の特色のある本屋として、気軽に立ち寄って頂きたいですね。
【謡曲を謡う常正(右端)】
【常正のポートレート、店内にて】
●株式会社檜書店
住所:千代田区神田小川町2-1
電話:03-3291-2488

戻る

ページの先頭へ
ホーム ホーム