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百年企業のれん三代記

神田で三代以上のれんを守ってきた老舗にスポットをあて、初代から現在に至るまでの歴史を写真と文章でご紹介します。

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第12回 笹巻けぬきすし総本店

お話:12代目 宇田川洋子さん(記事公開日:2012年4月5日、文:亀井紀人)

■初代

 創業は忠臣蔵で有名となった、赤穂浪士の討ち入りの年、元禄15年(1702)です。越後の新発田出身の松崎嘉衛門が、人形町に店を出したのが始まりです。その後、親戚筋や番頭さんなどが暖簾わけで、深川、青山、虎ノ門、神田などに店は広がりましたが、現在は神田小川町のこの店だけとなりました。
 笹巻鮨の由来は、戦国時代、飯を殺菌力のある笹で巻いた携帯食を兵糧として戦陣で食べていたというところから、初代嘉衛門がヒントを得て考案しました。冷蔵庫のない時代ですので、痛みやすい食材を少しでも長く保たせるために、当時は酢と塩を多量に使い、それを笹で巻いた笹巻鮨を完成させ、世に広めました。
 けぬきの由来は、その頃来店した旗本や幾多の諸侯たちが、毛抜きで魚の小骨を抜いて鮨を作るのを見て、「面白きことよ」と喜び、笹巻鮨を毛抜鮨と呼んだことから現在の名が付いたのです。
 当時の絵草紙にも御殿勤めの人々が宿下がりをする時に家づと(土産)として笹巻毛抜鮨を持ち帰るところが描かれています。江戸三鮨と称されて、愛宅の松の鮨、両国の与兵衛と並んで江戸名物としてもてはやされました。
【震災で焼ける前あった絵草紙を、祖母が思い起こして、絵師に描いてもらったものより(店内に掲げてある)】
【江戸時代から今も使われている、色使いデザインとも粋な、けぬきすしの包み紙の模様】

■9代目 伝次郎

 関東大震災前までは、長男が人形町、次男である伝次郎が昌平橋近くの神田淡路町で店を開いていました。活動常設館(映画館)の名門といわれたシネマパレスの側でしたので、当時売れっ子の声優だった徳川夢声さんがよく来てくれたと、祖母から話を聞いています。震災で焼け出されましたが、その後に区画整理があり、現在の神田小川町に移転しました。 
【昭和40年の昌平橋界隈。正面にシネマパレスが見える。 】
 

■10代目 石雄

 10代目の父の思い出は、穏やかな性格の人でした。小川町に来て、最初の店は現在の店の左隣にあり、なま物の保存に適した仕込み場が地下室にあり、井戸水も出て大変便利だったのですが、昭和37年の地下鉄千代田線設置の工事で、地下室は取り払われてしまいました。
 戦時中、一家は疎開しないで小川町に留まりました。都心のほとんどが空襲によって焼け野原になりましたが、この一角は裏にあった井戸の水を近所の方々と一緒になってかけ、類焼を防ぎ、お蔭様で我が家も助かったのです。
 同じく戦時中、米のない時代は「おから」で鮨を作ったこともあったそうです。  
 戦後すぐに、これからの店の方針を決める大きな出来事がありました。店をもっと流行らせようと、笹巻だけの製造にこだわらず、にぎり鮨も出したところ、これが評判を呼び大変よく売れたのです。ところが父は突然にぎり鮨を止め、けぬき鮨一本で行こうと決心しました。何処にもまねの出来ない、笹巻けぬき鮨がなくなってしまうことを、父が危惧したのでしょう。
【10代目石雄】
昭和13年ごろ近所のニコライ堂をバックに撮影
【「毛ぬきすしかんだ祭りにきてさかす」 水原秋櫻子作】
 俳人・水原秋櫻子の句。明治25年神田猿楽町の産婦人科の息子として生まれた秋櫻子にとって、神田祭とこの店はなくてはならぬものだったに違いない。字はご近所の方のもの。

■11代目 秀夫

 10代目には長男がいたのですが、店を継ぐ意志がなかったので、昭和38年ごろ、次男である主人が大学を出てすぐに店を継ぐことになりました。主人は、父からは鮨の仕込みは習わず、虎ノ門の店の叔母から仕込みを教わっていました。夫は頑固一徹な神田っ子でしたが、頼まれるといやと言えない優しい面もあり、四ヶ町会の神輿を作る資金集めには、一生懸命になってやっていました。その苦労の甲斐があって完成した町の神輿は、主人が亡くなった後も息子たちが一緒になって守ってくれています。
【11代目秀夫】
仕込み中。調理場にて。
【昭和40年頃の店頭】

■12代目 宇田川洋子

 11代目の主人が昭和61年に若くして亡くなり、長男もまだ小さかったので、私が12代目として継ぎました。私は、父から直接仕込みを習いました。息子である11代目に教えなかった分、嫁の私に父は大変優しく指導してくれました。
【店前にて】
店前の左側には笹巻を扱う店らしく、笹が植えられている。コンクリートの町となった小川町では、ホッとする空間だ。
【みずみずしい緑の笹に包まれた、笹巻けぬきすし】
すしダネは七種類で鯛、光もの、海老、おぼろ、たまご、海苔巻、それと季節で変わる白身)元々が携帯食から始まっているので、持ち帰りに適している。作りたてよりも、夏場は3-4時間、冬場は6時間ぐらいたったころが笹の香りも沁みて食べごろ。

■13代目 宇田川浩

 仕込み専門として働いています。鮨に巻く熊笹の確保が大変で、仕入れに苦労しています。枝つきの熊笹を、専用の包丁で一枚一枚切り取って、それを丹念に洗います。一日中係りっきりで、骨の折れる作業です。
 嫁の裕美も子育て中ですが、店の手伝いをしてくれて、母子3人で店を守っています。お客様も何代ものお付き合いの方が多く、当店も代々続く、家族経営。これが原点です。
【12代目洋子と13代目浩】
店前にて。
【浩の小学校の教頭先生が書いてくれた、笹巻けぬきすしの由来書】
店内に掲げてある。
●笹巻けぬきすし総本店
住所:千代田区神田小川町2-12
電話:03-3291-2570

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