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KANDAルネッサンス 99号 (2014.06.25) P.10 印刷用
【昌平橋交差点】
なかだえり
 人、自動車、鉄道、川…それぞれ異なる由来をもち、遥かなる時間を流れてきた。それがひとつになるのが交差点だ。秋葉原電気街の南東に位置するここ昌平橋交差点では外堀通り、中央通り、JR総武本線、神田川が出合う。
 この辺の外堀通りは、昌平坂という。元禄4(1691)年、5代将軍綱吉の命で湯島聖堂と昌平坂学問所が建設された頃からそう呼ばれるようになった。当時は悪路で転ぶと泥まみれになるため、また急勾配で転ぶと団子のように転がるため、団子坂とも呼ばれた。
 昌平橋は神田川の上流の御茶ノ水の聖橋と下流の万世橋の中間あたりに架かり、神田淡路町と外神田を結んでいる。神田川における最初の鉄筋コンクリート製アーチ橋で、竣工の5ヶ月後に関東大震災に遭遇したが、目立つ被害はなかったという。
 中央通りの南は京橋、銀座、新橋、北は神田、秋葉原、上野などの繁華街を通る東京の大動脈だ。
 緑色の2重アーチの松住町架道橋は周辺でも一際目立つ。架道橋とは道路や鉄道線路の上をまたぐように架かる橋のことで、関東大震災の復興事業として、当時、両国が始発駅だった総武本線を御茶ノ水まで延ばす際に架けられた。交差点をまたぐため中間に橋脚を立てられないことから、支間を大きく取ることのできるアーチ橋が用いられた。昭和7年(1932)のことで、日本初の「タイドアーチ橋」であった。72mの近代的で美しいデザインは、多くのビルが建った今でも、存在感を発揮している。青果市場、電気街、オタク街と変貌を続ける秋葉原のなかでも、象徴的な風景といえる。
 これからもここでたくさんの人が出会い、すれ違い、別れ、それそれの道をゆくのだろう。この一瞬の時間の共有は意味のないもののようでもあり、あるようでもある。たまには立ち止まってみるのも悪くない。
なかだえり
岩手県一関市生まれ。日本大学生産工学部建築学科卒業。法政大学大学院建築科修士課程修了。陣内研究室。現在、東京・千住に在住。フリーランスで本のさし絵、建築設計、執筆など多分野で活動中。著書に「駅弁女子〜日本全国旅して食べて」(淡交社/2013年)、「奇跡の一本松〜大津波をのりこえて」(汐文社/2011年)、「東京さんぽるぽ」(集英社/2010年)などがある。
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