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KANDAルネッサンス 89号 (2009.06.25) P.2〜3 印刷用

特集①神田的エコを探して

“エコロジー”とは本来生態学のこと。近年では、人間と自然の共生や地球環境の保護を図る社会活動、またその考え方を指す言葉として使われる。
 そんな説明をするまでもなく、すっかり私たちの生活のなかに浸透した「エコ」という言葉。しかし何となくそのイメージばかりが先行し、実際のところエコについてどれほどのことを知っているだろうか……。そんな疑問から、今回は改めてエコに目を向けてみた。
 私たちが本当に目指すべき持続可能な社会とは? その実現のために必要なこととは? 
 それを考えるための足がかりを、神田で探してみたい。

その1 江戸が教えてくれること

 神田といえば、江戸の中心地として栄えた場所。ここ数年、その江戸がエコという視点からも注目を集めている。エネルギーの使い方、ゴミの活用、あらゆる物の再利用。江戸には循環型社会のヒントがたくさんあるというのだ。
 江戸の循環型社会とはどのようなものだったのだろうか。そして、私たちはそこから何を学べるのだろうか。上智大学教授の鬼頭宏さんに聞いた。


歴史人口学から見た江戸
 鬼頭さんの専門は歴史人口学。30年近くこの分野の研究に携わる一方で、数年前から江戸の循環型社会について研究を始め、2002年には著書『環境先進国・江戸』(PHP新書)が刊行された。
 そもそもなぜ江戸の循環型社会を研究するようになったのだろうか。
「上智大学大学院に『地球環境学研究科』という科ができ、そこで人口と環境について教え始めたのがきっかけです。それまでは、強いて言えば病気・災害・飢饉などが私の専門分野のなかで環境と関わる部分でしたが、本格的に『環境』をテーマに取り組んでいたわけではありませんでした」
しかし江戸時代の人口を調べるうちに、自ずとその循環型社会の研究へとつながっていったという。
「江戸時代の中期から後期までの約120年間、人口がほとんど増えていないのです。天明の飢饉で一気に減りましたが、元に戻ってからは増えても3%程度。100年間で3%だから、微々たるものですよね。幕末から明治にかけてまた増え始めていきますが、その120年ほどの間はどうして人口停滞期だったのか? その辺が環境との接点ですね」
 今までは、主に大きな飢饉や災害が、人口停滞の原因となったという説が一般的だった。
「しかしいろいろ調べてみると、そんなに話は単純じゃない。確かに飢饉があれば人口は減るが、そうでないときには元に戻す力がある。しかし大幅には増えない。どうもそれは、意図的に人口が増えないようにしていたのではないか、つまり、出生率を落としていたということですね。これははっきりとしていて、17世紀と18世紀では、女性が生涯に産む子どもの数が明らかに違います。20歳ぐらいで結婚した女性がその後約30年間に産む子どもの数が17世紀では8人ぐらい。一方18世紀後半になると4、5人。5人というと現代の感覚では多いように感じますが、当時は子どもの死亡率が非常に高かったから、残るのは2、3人。人口維持ぎりぎりの数で、それでよいという考えがあったのだと思います」
 意図的に出生率を落とした理由について人口学の分野では、土地不足で新田開発があまりできず、食料に限りがあったからと考えられていた。しかし環境学の専門家によると、それだけではないという。
「薪や炭をつくる里山、肥料や家畜の餌にする草山、田んぼに引く水など『環境資源』全般が手に入れにくくなっていたというのが彼らの説です。つまり、江戸時代後半、既に資源に制約があり、発展しにくい状況に直面していたということです」
 持続可能な社会にしなければ資源がもたなかった。そのため意図的に出生率を落としたというのが、鬼頭さんがたどり着いた結論。もちろん出生率を落とすだけでなく、生活全般に様々な知恵が生かされていた。
「鎖国をしていた江戸時代、食料とエネルギーという生きるのに一番必要なものが自給自足というなかで、庶民はどうやって暮らしていたのか。そのような疑問から、さらに江戸社会について調べていきました」


江戸時代の「5R社会」

 鬼頭さんは著書のなかで、江戸時代の循環型社会を「5R社会」と表現している。つまり、資源やエネルギーの節約(reduce)、一度生産したものの修理(repair)、再利用(reuse)、形を変える(recycle)、これに貸借(rental and lease)を加えて環境への負荷をなるべく小さくしようとする社会のことである。
 これらをよく表してくれるのが、江戸の行商人だ。例えばリペアにあたるのが割れた陶器を白玉粉で接ぎ焼きした「瀬戸物焼き接ぎ」、タガが緩んだ桶や樽を直す「箍替え」、鬼頭さんが子どものころにはまだいたという「羅宇屋」はキセルの修理や掃除など。また神田の柳原土手が有名な「古着屋」はリユース、「貸本屋」はレンタル、「屑鉄拾い」や畑の肥料や染物に欠かせなかった灰を集める「かまどの灰買い」はリサイクル等々。修理され、形を変え、本当に使えなくなるまで長く使うということが、当たり前に行われていた。
「面白いのが、江戸時代はゴミの価値が高かったこと。リサイクルできるものにはかなりいい値がついた。その最たるものが糞尿です。都市の人たちの糞尿を農家が野菜などと交換で集め、肥料として使う。街はきれいになるし、農家はそれでいい野菜がつくれるし、一石二鳥です」
意外にも鬼頭さんが子どもだった昭和30年代まで、東京郊外ではこの習慣がまだ残っていたという。
「大切なのは、資源の制約という問題があったからこそ循環型社会が保たれたということ。根底にあったのは危機意識ではないでしょうか」
物を大切に使う江戸時代の様々な工夫も、ほとんどが政府の命令ではなく、危機意識をもった庶民から知恵として生まれてきたもの。「現代にはそういう切実な実感がない」と鬼頭さんは言う。
それではなぜそこまで確立されていた江戸の循環型社会が、現代社会では忘れ去られてしまったのだろうか。
「以前は日本の中だけだった循環が世界に広がって、私たちの目から見えなくなってしまったのが原因ではないでしょうか。最近は教育でも環境問題を扱うので、高度成長期に比べたら若い人たちにとってエコは身近なものかもしれません。しかし何よりもまず危機意識。このままの社会では続かないということを皆が自覚し、そのうえで楽しく対策を考えていかないと。
それともう一つの原因は、人間が動物としての感覚を忘れてしまったこと。動物は本能的に身づくろいや巣の掃除をするなど、『快適さ』を求めるもの。自然の波長に合わせて、その感覚を自分の住空間から地域へ、日本へ、さらには地球全体へと広げていくことが、自然とエコにつながるのではないでしょうか」


大きな視点で江戸から学ぶ

 最後に、江戸の循環型社会から学ぶうえで、重要なポイントを聞いた。
「ひとつは江戸時代も現代も人口停滞期であるということ。歴史上のそういった時期は、いつも次の生活様式や文明システムを準備する期間でした。江戸の場合は工業や商業が伸びてくる時期でしたが、重化学工業が発展した現代は、どんな社会への準備期間なのか。足踏みしているようでも、新しいエネルギーの研究など、確実に次の社会モデルへ向かう動きがあります。
もうひとつは、江戸の循環型社会は、実は自然、特に森林に非常に負担をかけていたということ。また不要物の処理は階級の低い人が行うなど、江戸ならではの階級や差別意識のうえで成り立っていた部分があること。こういった問題点を踏まえたうえで、現代の我々にとって本当の持続可能社会とは何かを考える必要があると思います。
 考えてみたら、人間は食べたり着飾ったりする一方で、排泄したり死んだりする。物をつくること、利用すること、廃棄物を出すこと、処理すること、全てから目をそらさず、自分の問題として捉える意識が必要ではないでしょうか」



鬼頭 宏(きとう・ひろし)
1947年静岡県生まれ。上智大学経済学部、同大学大学院地球環境学研究科教授。慶応義塾大学経済学部卒業。同大学院経済学研究科博士課程満期退学。専攻は歴史人口学、日本経済史。著書に「人口から読む日本の歴史」(講談社学術文庫)、「日本の歴史19 文明としての江戸システム」(講談社)などがある。
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