KANDAアーカイブ

神田学会
お知らせ 神田資料室 神田マップ 神田写真館 百年企業のれん三代記 神田の花咲かじいさん 出版物紹介 神田学会とは 神田学会資料請求 関連リンク Perspectives in English 神田アーカイブとは リンクについて 問い合わせ

神田資料室

KANDAルネッサンス 89号 (2009.06.25) 印刷用
表紙◆「神田日和」のこぼれ話14

千代田区指定有形文化財「神田の家」

いさかかつじ

 見ず知らずの人と挨拶がわりの世間話をしていると、たまに(あ、この人はすごい)と思わせる質の高い人に出会うことがある。地位や名前やお金に関係なく話の中身に奥行きがあるのだ。こちらがその奥行きを感じる力がなければごく単純な世間話で終わってしまう。本当の質の高さって実際に出会ってはじめて感じることなのだ。情報を集め分析したり、本をいっぱい読んだりしてもわからない。近ごろ、質を感じる力が衰えてるようだ。自戒をこめて…。


移築中の「神田の家」
 神田明神脇の宮本公園に「神田の家」が移築された。この家は昭和2年(関東大震災の4年後)日本橋川沿いの旧神田鎌倉町(現千代田区内神田1)に建てられた。江戸時代から地元で続く材木商の遠藤達藏さん(故人)が、店鋪兼住宅として建てた。戦時下の激しい空襲をまぬがれ、戦後も使われていたが都心の再開発にともない府中市に自宅を転居、73年にこの家の一部を移築、保存していた。遠藤さんは長年神田明神の氏子総代を務められ「神田の家は神田に…」と熱望していたが、その姿を目にすることなく亡くなられた。お身内の方がその意志を実現して神田に里帰りさせた。

「江戸黒」と呼ばれる黒漆喰
 日本建築は移築する時、建てるのと逆の手順でばらして、使える木材はそのまま使い、補修し、組み立て直していくようにする。「ほどく」とも言うらしい。その作業の中で最初に建てた時の棟梁の知恵や工夫に出会い、次の世代にそれが伝わっていくという。建物や道具、技術、そして知恵や工夫も壊して捨てれば産業廃棄物になってしまう。
 そういえば、和服にも同じようなことがある。和服地の反物は人の肩幅に相当するようにおよそ36センチになっていて、身ごろ、そで、おくみ、えり、かけえりなど直線的に裁ち平面的に縫い合わせ、仕立てていく。仕立て直しは、縫い目をほどいて身丈を調整する。洗うときも縫い目をほどいて1枚ずつの布にして洗い張りする。こうやって何代にもわたって大切に着続けられていく。洋服は体型に合わせて曲線的に裁ち立体的に縫い合わせるので体型が変われば調整がきかない。ロスが、廃棄物が多く出る。こうしてみると昔からある日本の知恵はとても合理的だ。建てては壊し、また建てる。そんな東京では町の記憶が消えて行く。人の記憶が積み重ならないから薄っぺらくなり、結果、物事の質を感じる力が鈍くなっていくのかもしれない。「神田の家」はただ古い家が移築されただけではない。82年の間に二度も移築され、現在でも実物が見られ、利用することができる(千代田区指定有形文化財として活用)のも、先人の日本の知恵が可能にした。そんな風にも見てほしいと思います。

 取材で公開前に見せていただいた。2階の柱を見て驚いた。さりげなく四方柾が使われていた。これは贅沢な使い方だ。屋久杉や北山杉などの銘木や良材も使われていると大工さんから教えていただいた。これみよがしではないので気がつかなければみのがしてしまう。どうも東京の人は相手が気がついてくれるまでこちらからべらべら言わないという気風があるようだが、質を感じる力が衰えている御時世には本物を見せて少しは言った方がいいようだ。

 観光資源として各地にある武家屋敷跡、豪商が住んでいた家などと違ってこの家には人の気配があって気持ちよかった。人の気配のない家は単なる構造物で資料でしかない。この家の復元にたずさわった京都の中村外二工務店の中村義明代表のことばが新聞にあった。「家は造って半分、育てて半分。きちんと手入れした家は、年数とともによくなっていく…」まさにこのとおりの家だ。宮本公園に82年の歳月を経て奇跡的に移築された「神田の家」は財産だ。

 

  


神田の家
東京都千代田区外神田2丁目16番地(宮本公園内)
http://kandanoie.com/        
いさかかつじ・町と人を訪ねるイラストレーター
ページの先頭へ

戻る

ホーム ホーム