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神田資料室

KANDAルネッサンス 75号 (2005.10.25) P.160 印刷用
神田のいろどり29

私の秋葉原

坂野 豊

 最近「アキバ」が通称になっているが、子供の頃にそういう呼び方はしなかった。今は廃校になって姿を消した母校、佐久間小学校時代の話である。昭和25年頃、神田青果市場の名残りがあって、駅近くの高架下倉庫には、青いバナナの巨大な室(むろ)がまだあり、その中でバナナの山を見た。
 当時バナナと言えば、卵と同様の貴重品で、あこがれの食べ物の一つだった。遊び仲間の一人に連れられて、その宝の山に忍び込んだことがある。バナナが食べ頃の黄色になる前は「青い」ことを、そこで初めて目の当たりにして、室の湿気と相まって興奮したものだ。
 現在、小学校があったことは、ラジオ体操発祥の立派な記念碑のある佐久間公園の片隅に、まるで棒が一本突っ立つような貧粗の体で残されている(現在の和泉公園隣、パークサイドプラザに母校があった)。
 戦後間もない母校の記憶はいまだに鮮明で、佐久間小学校に通学が決定するまでは、近くの千桜小学校へも短期間だが通った。新校舎は立派に見えたが、最上階にはまだ罹災者が一部を使っていて、煮炊きをしていた。
 自宅にテレビを持つ家はまだ少なく、佐久間公園には街頭テレビが据えられ、力道山や栃錦—若乃花戦はすべて公園観戦だった。
 いまは彼方、私の秋葉原は、たまに食べる一つの卵が、兄弟の茶碗に等分にかけ分けるのがむずかしかった記憶と、青いバナナにつながる。
坂野豊 グラフィックデザイナー
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