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KANDAルネッサンス 88号 (2008.12.20) 印刷用
表紙◆「神田日和」のこぼれ話14

高橋栄治さん (栄屋ミルクホール・店主)

いさかかつじ

 「たかがラーメン、されどラーメン」。この“されどラーメン”——巷のラーメン評論家がかしましい。どこの店のが、どこの都市のがうまい、麺が、つゆが、絡みが……、とうとう横浜に博物館まで出来てしまった。ラーメンをつくる人たちの中にも勘違いしてるようなのがいる。そういう所には行列ができたりして……。ま、喜ばしいことなんでしょうが、私は行列してまでラーメンを食べたくない。
 「昔はラーメンだけの店なんてなかったよ。中華料理の店か蕎麦屋でやっていたんだ」というのは神田多町(たちょう)にある「栄屋ミルクホール」の店主、高橋栄治さん。

高橋栄治さん
 昭和20年創業。終戦直後だ。もともとは先代が鎌倉橋で蕎麦屋をやっていて、「栄屋」という屋号はそのころの名残り。空襲で焼け出され、焼失をまぬかれた多町のここに移ってきた。蕎麦の材料が手に入らないので食堂として再出発した。「ミルクホール」は、昭和30年ころまであった牛乳を飲ませる飲食店のことで、いろいろな場所にあった。それで「栄屋ミルクホール」。今でも町の食堂だ。
 当時は近所に「鶴の湯」という銭湯があって(銭湯は近くに5〜6軒あった)、湯上がりに立ち寄るような店だった。店のテレビではプロレス中継をやっていた。そのころのメ二ューはミルクのほかに、夏はかき氷、冬はおしるこ、磯辺焼き、ところてん、駄菓子、カレー、丼物、ラーメンなど。コンビニなどでアイスが売られるようになって、軽食喫茶からラーメンをメインにした店になっていった。

人気のラーメン・カレーセット
 今はラーメン、チャーシューメン、支那筍ソバ、カレーライス、タンメン、おにぎり、いなり寿司、夏期限定で冷やし中華などがメニューになっている。鶏ガラと野菜と昆布だしのラーメンがうまい。トッピングはチャーシュー、メンマ、小松菜、ネギ、いたってシンプルだ。チャーシューとメンマは自家製。近ごろのうわついた東京ラーメンとは違う。同じ通りにある鶏肉専門店の鳥正からガラを仕入れ、麺も近くから仕入れているという。
 この店のもうひとつの特徴は建物だ。関東大震災の後、耐火性を高めるためにモルタルや銅板で仕上げ、装飾をつけた。看板建築と呼ばれている。商店の建物に多い。ここに移ってきた時にはすでにこの建物だったという。無名の大工さんによって建てられたものが多く、後に建築史家の藤森照信氏が「看板建築」と名づけた。「この店の看板建築について…」とお尋ねしたら、「なにそれ」と言われてしまった。「この店の建物のことです」「ああそうか」だって。
 父、母、長女、次女、そして今は8人きょうだいの下から2番目、高橋栄治さんが店を継いでいる。ここで生まれ育った。小さいころから父親がラーメンを作っているところを見ていたので、特別に修行することはなかったとか。自慢めいたことを口にしないで、当たり前のような顔をしてラーメンを作っている高橋さんに神田っ子の矜持を見た。矜持なんて言ったらまた「なにそれ」と言われそうだ。

 「神田は中小の企業が多いので、社員食堂のある会社はそれほどなく、実質その役割を果たしていたのではないですか」
 世の中がどんどんあざとくなっていくので、質のいい町の食堂があるとホッとする。お昼時をはずして食べにいったら、客がちょうどいい感じに途切れることがなかった。昭和27年からずーっとみえてる客もいるそうだ。
      

   



栄屋ミルクホール 
東京都千代田区神田多町2-11-7
TEL.03-3252-1068
   
いさかかつじ・町と人を訪ねるイラストレーター
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