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神田資料室

KANDAルネッサンス 85号 (2008.03.25) P.4〜5 印刷用
特集 世の中にたえて桜のなかりせば

神田の桜守

神田には桜を愛し、その成長を見守ってきた人がいる。
千鳥ヶ淵の桜や駿河台道灌道の匂桜はいつ頃誰によって植えられたのか。
神田の桜守に話を聞いた。

千鳥ヶ淵に桜を植えた人 新堀栄一さん

千鳥ヶ淵
ソメイヨシノ
 私が台東区役所から千代田区役所公園課に移ってきたのが昭和30年、23歳のときです。千鳥ヶ淵は今でこそ桜の名所として知られますが、50年ほど前は桜なんて一本もなかった。現在の千鳥ヶ淵緑道も道路をつくるための砕石置き場になっていて、もちろんインド大使館もなければ戦没者墓苑もない。現在のように散策をして楽しむというような雰囲気ではありませんでした。
 当時、千代田区は国からお濠の水面を借りて、ボート場を運営していました。よく流行っていましたよ、今と違って娯楽が少ない時代でしたから。それでボート場周辺の環境も整えようじゃないかと、村瀬清区長(当時)の提案で千鳥ヶ淵に桜を植えることになったんです。
 その頃桜といえばソメイヨシノ。ソメイヨシノはエドヒガンとオオシマザクラを交配した品種で、接ぎ木で簡単に増やすことができた。また花つきがよく豪華に咲くというので、人気があったんです。
 昭和30年(1955)から始まった第一期工事は、東京国立近代美術館工芸館の土手からぐるりと清水門の土手までの植栽で、石垣の上や法面(のりめん;斜面)も含まれました。第二期工事は760メートルある千鳥ヶ淵に歩道をつけ、街路樹として桜を植えました。昭和40年代になって千鳥ヶ淵の桜が知られてくると、人が大勢来るようになりました。それで車道を狭めて歩道を広げる工事もしました。
 千鳥ヶ淵の景観は桜だけでなく、お濠、石垣、法面が一体となって作り出しています。ですから植栽を考えるうえで、お濠の曲がりや石垣の角、法面の緑を生かすことを考えました。また法面には四季折々の野草が生えていて、桜が終わったあとも緑を楽しむことができる。それで法面に植える桜の本数を減らして、斜面の緑が失われることがないよう心がけました。
 ソメイヨシノは短命(およそ80年)だというのが一般論でしたが、地方にあるソメイヨシノを見てみると、百年経っても立派に花を咲かせている木がある。桜は根の浅い植物ですから、根の周りを踏み固めてしまうと衰えてしまうんです。都心の桜は狭い空間にぎっしり植えられているので、どうしても短命にならざるを得ない。将来のことを考えると、千鳥ヶ淵の桜も跡継ぎの桜(後継樹)を考える時期にきています。具体的にはもう少し植樹帯を広げて(道路を狭めて)、今のうちに若く元気な桜を植えないと。千代田区でも4、5年前から樹木医を呼んで桜を点検し、治療、育成、これからの方向性を考える組織ができました。いつまでも千鳥ヶ淵が桜の名所であってほしいですね。(談)

※千代田区では昨年の10月より2カ年計画で、千鳥ヶ淵の桜の再生と周辺緑道の整備工事を進めている。具体的には、歩道拡幅、歩車道のバリアフリー化、桜および四季の花の植栽など。近接するボート乗り場もリニューアルの予定。

にいほり・えいいち●1932年生まれ。千代田区役所土木課を経て、NPO法人神田学会専属グリーンアドバイザー、練馬区立牧野記念庭園花とみどりの相談員。

駿河台道灌道に桜を植えた人 佐藤正幸さん

 神田駿河台に鎮座する太田姫稲荷神社。この神社の前から本郷通りへぬける130メートルほどの道に、地元の強い要望で駿河台に因んだ桜、スルガダイニオイが植えられたのは1987年のこと。
 駿河台道灌道(以下、道灌道)に歩道がつけられた経緯は1978年までさかのぼる。駿河台にあった中央大学の八王子移転が決まり、その跡地は大正海上火災(現三井住友海上)に売却された。地元住民は周囲の環境に配慮した建物を建ててほしいと、施工主である大正海上火災と粘り強い交渉を重ね、ついに屋上庭園を備えた緑豊かなビルが建てられることになった。
 このビルの南側に位置する道灌道を、太田姫稲荷神社の参道ととらえていたのが佐藤正幸さんだ。当時、住民代表として企業側との折衝に臨んでいた佐藤さんは、この道を整備して植栽を施したいと考えていた。
 長い交渉の末、当初の計画より2メートル奥まったところにビルを建てることで話がまとまった。2メートル分のスペースは企業の提供歩道として整備され、ビル風対策としてヤマモモの木が植えられることになった。これにより向かいの商店街側にも歩道を確保することができた。
 佐藤さんは言う。「道灌道の整備は、町会の意見に理解を示してくれた企業側と、支えとなってくれた町会の長老たちの存在がなければ実現しなかった」

駿河台道灌道の桜並木
匂桜の代表品種、スルガダイニオイ
 歩道に桜を植えたいと思っていた佐藤さんは、さっそく桜に関する本を何冊か買い込んだ。
 「読んでいくうちに、神田駿河台は商人の街じゃなくて学生の街だから八重よりも一重、可憐さのなかに強さのあるような桜が似合うんじゃないかと思った。だから『スルガダイニオイ』という桜を見つけたときは小躍りしたね。しかも、駿河台の武家屋敷に植えられていた桜だということがわかって、ますます惚れ込んじゃって」
 歩道にスルガダイニオイを植えたいという希望を区役所に伝えたとき、対応したのが当時土木課に勤務する新堀栄一さんだった。新堀さんは歩道の工事にも携わっていた。「この品種は、枝が広がるから街路樹には向かない」と一度は反対した新堀さんだが、この桜でなくてはだめなんだという住民の熱意に、なんとか応えなくてはと思ったという。
 しかしこの桜が街路樹として落ち着くまでにはさらに数年を要することになる。
 茨城の農園まで行って選んだスルガダイニオイの苗が、数年後引取りに行くと勝手に売られていたのだ。「あのときほどがっくりきたことはない」と佐藤さん。急遽、新堀さんと佐藤さんは別ルートで苗を探すことにした。特殊な品種のため、何ヶ所かの農園をあたってようやく17本の苗を集めた。
 またこの桜の苗が育つ間、代わりにと植えていたハナミズキが思いのほかよく育ち、見事な花を咲かせた。あまりにもきれいだったため、「何もわざわざ桜を植えなくても。このままでいいじゃないか」という人もいた。それでも佐藤さんはスルガダニオイにこだわった。
 木が植えられた後もビル風や日照不足等が原因で、うまく育たず枯れてしまったものもある。あれから20年。スルガダイニオイの幹もずいぶん太くなった。この桜の開花時期は4月下旬。ソメイヨシノが散り、八重桜が咲いたあと、ようやく花をつける。朝、開花したばかりの花に近づくと、よい香りがするという。
 「自分たちで植えたという思いがあるからよけいに桜が可愛い」。佐藤さんは感慨深げに語った。

 2004年、神田駿河台三丁目の新御茶ノ水アーバントリニティビルの公開空地*に、3本のスルガダイニオイが植えられた。太田姫稲荷神社の参道の突き当たりに位置するこの場所に桜を植えたのは、当時ビルの管理責任者であったザリブラコーポレーション株式会社の山崎脩さん。スルガダイニオイを植えた理由について山崎さんは「ビル周辺の緑化はもちろんですが、ビルが無事完成したので太田姫稲荷への感謝の気持ちを表したかった」と話す。山崎さんはビルの完成を願って太田姫稲荷神社へ参拝していた。

 道灌道をはさんで向かい側のヤマモモの並木には、木と木の間隔をやや広めにとってある場所がある。縁日などのとき、出店のテントが張れるようにだ。
 「せめてスルガダイニオイの咲く期間だけでも、朝の7時ぐらいから午後の3時ぐらいまで、通りを通行止めにして花見ができるようにしたい。反対側の歩道には出店を出してさ。いつか実現したいね」と佐藤さんは笑った。

さとう・せいこう●1936年生まれ。駿河台東部町会会長

*公開空地…建物の敷地内に設けられたオープンスペースのこと。一般に開放され自由に通行できるようになっている。「敷地内に広い空地を有する建築物の特例」により、条件を満たす建築物の容積率の割り増しや高さ制限などを緩和するという制度に基づく。

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