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神田資料室

KANDAルネッサンス 87号 (2008.09.25) 印刷用
表紙◆「神田日和」のこぼれ話13

諸岡澄枝さん (章太亭・女将)

いさかかつじ

 神田といえば神田明神。急な男坂を下ると明神下。そこに小料理屋の「章太亭」がある。お客さんに愛されて35年。一品料理もなかなかだが、カツオだしのおでんがうまい。
 女将の諸岡澄枝さんは、かつて明神下で人気の芸者だった。この世界に入ったのも一番上のお姉さんが芸者だったからで、自然の成り行きだった。“章太郎”という名前は、踊りの師匠につけてもらったという。お姉さんが“太郎”だったから、その妹ということで小太郎→章太郎になった。
 このあたりはかつて「講武所」と呼ばれた花柳界。戦後の最盛期には100人以上の芸者がいたそうだ。近くを散歩すると、なるほどと思わせる店がある。

 司馬遼太郎の「街道をゆく36 本所深川散歩・神田界隈」(朝日新聞社刊)によると、ペリーが来航した後、幕府が国防意識から旗本や御家人の子弟に剣術や槍術などを学ばせようと、三崎町や小川町に作ったのが講武所(ちなみに洋式のは鉄砲州、越中島につくり、鉄砲州のほうは後に軍艦操練所になった)。
 息抜きに平岩弓枝の小説「御宿かわせみ」を読んでいたら、主人公るいの恋人、東吾が講武所と軍艦操練所に稽古をつけに行っているシーンがあった。

諸岡澄枝さん(右)と店を手伝っている姪の栄子さん
 大まかなシステムをうかがった。料理屋は料亭組合に入ってないと芸者を呼べないそうで、お客さんから要望があると、宴会の人数と芸者(踊り担当と演奏担当)の人数を設定して、見番(神田芸妓組合)に伝える。宴会の雰囲気やお客さんの贔屓の芸者をうまくアレンジするのが料理屋の主人の腕のみせどころだという。
 諸岡さんが現役のころのお話をうかがっていて意外だったことが2つあった。

その1.明神下の狭い地域で営業していたのかと思っていたら、末広町(いづ熊/鰻や)や旅籠町(末初/とり料理)、須田町(川志満/料理屋)などからも声がかかっていたそうで、そういうときは輪タクに乗って出かけたという。

その2.料理屋、待合茶屋、置屋の3つが集まり、成り立っている場所を三業地というが、当時明神下は料理屋と置屋だけで営業していたそうだ。面白いのは、一般に料亭、置屋、芸者で構成される組合(見番)が、明神下では芸者衆と置屋だけで構成され、独立していたということ。それだけ力があったのだ。
 芸者衆をまとめる組合長は選挙で選ばれ、料理屋との値上げ交渉もやっていたというから驚きだ。また、箱屋(はこや;置屋や料理屋との連絡等を行う見番所属の男衆のこと。もとはお座敷に出る芸者について箱に入れた三味線を持っていったためこう呼ばれる)や芸事の師匠なども組合が雇っていたという。

 その組合も時代の流れで廃業。合併の話もいっぱいあったらしいが、株を分けて解散した。諸岡さんはこの街のことを知っている数少ないひとりになってしまった。今でもボロボロになった料亭組合の名簿を局番だけ変えて使っている。街が続いている。
 実をいうと私は以前この章太亭で飲んだことがある。ある縁で飲ん兵衛仲間と押しかけ、後日、見番(組合事務所)でもワイワイやった。私のちょっとした自慢だ。1987年9月のことなのに昨日のようにおぼえている。だから諸岡さんともお会いしていることになる。まさかそのお店を取材するとは思わなかった。私の明神下も続いた。




章太亭
東京都千代田区外神田2-8-7
TEL.03-3251-9034
いさかかつじ・町と人を訪ねるイラストレーター
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