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KANDAルネッサンス 86号 (2008.06.25) 印刷用
表紙◆「神田日和」のこぼれ話12

西村八知さん (前文化学院・校長)

いさかかつじ

 文化学院の新校舎を見に行ってきた。文化学院といえばアーチ型の入り口だが、それが残してあった。蔦の苗も植えられていた。いずれ以前のように蔦のからまる姿になっていくのだろう。校舎を見るまでは、経済効率、機能優先の建物だろうと思っていたのでホッとした。私の中の文化学院が、駿河台が、神田の記憶がつながった。
 変わっていくのも町だが、記憶をかかえているのも町だ。入り口の奥に現代の機能を装備した新校舎が建っている。案内されていくうちに、この新校舎には圧迫感がないことに気がついた。やさしさを主張しているわけでもなく、今どきの建物なのに人の顔がよく見える。人を数字でしか見ないような建物が多いのにこの新校舎は気持ちがいい。

西村八知さん(左)のご自宅で
 1988年(昭和63)から2007年(平成19)まで同学院の校長をされていた西村八知(はっち)さんにお話をうかがった(現在は軽井沢にある学院の関連施設、ルヴァン美術館の館長をされている)。
 文化学院は、自由な思想を持った西村伊作の財力と、歌人与謝野鉄幹、晶子夫妻の創造力、洋画家石井柏亭の組織についての常識的な考え方が出合って1921年(大正10)に開校した。「自由・創造」を精神の柱にしている。
 鉄幹は創立から約10年、晶子は創立からその死にいたるまでの20年あまり教壇に立っていた。のちに芸術院会員となる石井柏亭も創立にかかわり、1941年(昭和16)に辞するまで美術部長の職にあった。歴代の先生方も山田耕作、高浜虚子、菊池寛、川端康成、横光利一、小林秀雄、佐藤春夫、佐藤忠良、恩地考四郎、高階秀爾……、そして最近では荒川洋治、辻原登、山田洋次など、多くの方々がかかわっている。初めのうちは生徒より先生のほうが多かったとか。
 また、学生を進級させるかどうかの時に与謝野晶子が「この子は歌が上手だから、進級させましょう」と言ったという。西村八知前校長は「いちばん大事なのは、その人の本当にいいところを見つけることだと思う」と話す。アーチについても「人間には曲線が必要なんです。人間は直線に縛られている。卒業生たちの努力、思いが残せたんだね」。
 考え方が創立時からつながっている。
「こういう学校があったらいいね」と思うのは簡単だが、実現するのはむずかしい。関東大震災、戦争、戦後の混乱、高度経済成長、バブル、バブル崩壊など時代の荒波のなかで志を持ち続けていくのはもっとむずかしい。

おだまき草
 文化学院の出身者には飯澤匡、石丸寛、木村功、長沢節、杉本苑子、矢野誠一、久里洋二、志村ふくみ、十朱幸代、石井竜也……、ざっと名前を挙げただけでも表現の世界で活躍する、型にはまらない人が多い。
 学びの時期は、繭玉の中の蚕のようなもので、表現したいけど方向が定まっていないことが多い。それだけに出会った人の考え方、感じ方、言葉などの影響が大きい。だから学校という場の持つ志の質が大切になってくる。
 お話をうかがっているうちに「不易流行」という言葉が浮かんできた。「変わらないもの」と「変わっていくもの」——この相反する二つは根本では結びあうという芭蕉の俳句の世界観だ。時とともに変化していくものと、表現を通して自分を発見していくという人間のもっている変わらないものが縦糸と横糸になって、21世紀の文化学院の「自由・創造」という精神の柄を編んでいくような気がする。気になる学校だ。

 校章は石井柏亭デザインの「おだまき草」。西村八知さんのお宅の玄関先に咲いていた。





文化学院
東京都千代田区神田駿河台2-5
TEL.03-3294-7551
http://bunka.gakuin.ac.jp/
いさかかつじ・町と人を訪ねるイラストレーター
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