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KANDAルネッサンス 83号 (2008.10.25) P.4〜5 印刷用

特集 都心で鉄道を楽しむ

ぐるり一周 大回り旅行のススメ

旅の案内人・文=山崎勝裕

「大回り旅行」をご存知だろうか。
わずか130円で関東地方をぐるりと一周、丸一日かけて回れるとしたら? そんなことが鉄道を使って正々堂々とできるのだ。JRの時刻表には以下にように記されている。
「東京の近郊区間内のみを普通乗車券または回数乗車券でご利用の場合、乗車経路を重複したり、2度同じ駅を通らない限り、乗車券の運賃は実際の乗車経路のかかわらず、最も安くなる経路を使って計算できます。なお近郊区間内のみを通る乗車券では途中下車はできません」
つまり改札は出られないが、同じ所を通ったり行き止まりになったりしなければ、どれだけ乗ってもよいということだ。今回は神田〜御茶ノ水に相当する130円の乗車券で、大回り初体験の方にも楽しめる旅を紹介する。
◇◇◇
午前9時スタート
 神田駅を朝9時に出発し、京浜東北線でまずは川崎まで向かう。
ちなみに京浜東北線という路線名は正式にはなく、大宮〜東京間の東北線、東京〜横浜間の東海道線各駅停車の通称であり、横浜から先、大船までは根岸線というのが正式な名前。多摩川を渡り川崎に到着(9時30分)。ここから南武線で尻手まで北上し、南武支線と呼ばれる路線で南下。もともと南武鉄道(1)という私鉄が開業した路線のため、南武線にはどことなく私鉄の雰囲気(駅舎やホームがこぢんまりとしており、また線路のカーブのキツさがそれを物語る)が漂う。また南武支線では、最近まで山手線で活躍していた電車が地域に合わせた形態に改造され活躍している。どこも同じような電車になり味気なくなったと見る向きもあるが、逆に都心で活躍した車両に再会できると思えば変な懐かしさも込み上げてくる。
南武支線の終点・浜川崎は南武支線、鶴見線の乗換駅ながら、まるで別会社の駅のように、一度改札を出て道を挟んだ反対側の鶴見線の改札を通らなければならない。
浜川崎に到着
 鶴見線はもともと鶴見臨港鉄道(2)という私鉄で、沿線の大部分が京浜工業地帯の工場群。そのため工場関係者しか降りられない出口があったり、埋立地のため造成に尽力した人の名前にちなんだ駅名(3)があったりする。また海が近いにもかかわらず車窓から海はあまり見えない。そのかわり工場群が目の前にせまり、圧倒感とともに東京近郊とは思えないローカルな雰囲気を楽しむことができる。
 鶴見駅に到着(10時30分)。何とJR線同士なのに間に自動改札機が。これは鶴見線全線が無人駅であるため、各駅からの乗客に対する事実上の改札を意味する。穿った見方をすれば、鶴見線内の乗降客をほぼ無視しても採算が合うということだ。したがって神田から130円の切符では自動改札機は通れず、窓口で大回り中だという説明が必要。同様の事例が多いのか、すんなり通過。ちなみに川崎〜鶴見は京浜東北線なら一駅3分の区間だが、大回りのため1時間近く費やしたことになる。しかしこれが大回りの醍醐味である。
 鶴見駅で「駅そば」(立ち食いそば)を食す。さて、そばとうどん、関東系ダシと関西系ダシの境界はどこかということだが、一部の例外を除いて東海道線と北陸線が交わる滋賀県の米原駅ではないかと思われる。それにしても関西はうどん圏といわれながら島根県出雲地方はそば文化であり、これも太古の大和朝廷成立の名残だという話まであり興味が尽きない。
 再び京浜東北線に。ここから横浜までは京浜急行が平行して走っており、競争しているわけではないのだが、抜きつ抜かれつの車窓を楽しむことができる。そして根岸線直通の列車は横浜の中心街を経て、海沿いを走り、洋光台や港南台といった団地群を抜けてゆく。同じ路線ながら変化に富む景色である。
大船観音を望む

電車の旅に駅弁はつきもの。大船で湘南名物鯵の押寿し(普通と特上があり、小鰺を丸ごと一匹使っているのが特上)とサンドウイッチを購入。日本で最初にサンドウイッチの駅弁を発売したのが大船と言われて おり、ハム(鎌倉ハムを使用)とチーズというシンプルな組み合わせは、昔懐かしく、またどこか上品な味わいがある。
大船軒のお弁当いろいろ
 茅ヶ崎で相模線に乗り換え(12:15 )。この路線も戦時中に国有化されるまでは私鉄であった。国鉄時代に廃線になった支線の跡を寒川の車窓から見ることができる。また途中の厚木駅の謎(4)もあり、深く知れば知るほど楽しむことができる路線である。
終点の橋本(13:15)から横浜線で八王子へ。こちらももとは横浜鉄道という私鉄。なんだか元私鉄という路線が多いと感じるだろうが、中央線も前身は甲武鉄道という私鉄であり、東北線も最初は日本鉄道という私鉄であった。もっとも、横浜鉄道の国有化は前述の鉄道とは異なり、戦争のはるか前で一部区間であるのだが……。
 八王子(13:30)から今回の旅のメインである八高線へ。八王子と高崎を結ぶこの路線は、途中駅の高麗川を境に南側だけが電化され、中央線の朱色の電車が東京から朝夕乗り入れるほどの通勤路線だが、北側は非電化で気動車と呼ばれるディーゼルエンジンが走るのどかな区間。今回は時間の都合で高麗川より北の区間へ行くことができなかったが、ぜひとも関東平野と山間部の境界を突っ切っているという気分を堪能できる、この区間に乗車することをお薦めしたい。
ディーゼル車はエンジン音も違う
 さて八高線の車窓からは、埼玉産と区別するために「東京狭山茶」と命名された茶畑など緑豊かな風景が続く。また高台から望む眼下の景色はいつ見ても感動ものだ。
 高麗川(14:30)で川越線に乗り換え。あたかも八高線南側に連続しているような右側へカーブする路線が川越線で、直進ながら電化されておらずローカル線のように見えるほうが八高線の北側区間だから面白い。
 そうこうしているうちに川越へ。八高線に通じるのどかな風景が広がる川越線だが、川越を境に一変する。その先の大宮までは通勤・通学区間のせいだろうか、埼京線の延長区間のような空気が漂う。10月14日の鉄道の日にオープンした鉄道博物館の姿を、大宮の手間で見つけることができる。
 そのまま埼京線で新宿に出てもいいのだが、あえて大宮で湘南新宿ラインに乗り換え(15:30)。実はこの路線、貨物専用線を利用しているだけなのだが、莫大な収益をもたらし、平行して走る私鉄が対抗策を講じざるを得なくなったという。
午後4時半ゴール
そして、京浜東北線の上中里付近から山手線の駒込付近へ至る、区内でも数少ないトンネルを抜けると池袋、新宿(16:00)である。
そして最後のランナー、中央線に乗り御茶ノ水で下車。大回りはこれにて終了。時間が許せば一都六県を回ることも可能な大回りの旅。ぜひともチャレンジしてほしい。

◇旅のデータ
■所要時間:約7.5時間(通常ならば中央線で隣駅約2分の行程)■乗車距離:211.2km(中央線の東京〜名古屋間396.9kmの半分以上の距離に相当)■運賃:130円(乗車経路から割り出すと3,570円)



◆◆◆

 御茶ノ水駅から神田まで歩いてみることにした。途中、鉄道好きにははずせない場所がある。まずは旧交通博物館。トレードマークだった新幹線が撤去されたお陰で、万世橋駅の跡がわずかに顔をのぞかせている。
中央線のターミナルであった万世橋駅は、辰野金吾設計による東京駅にも通じるレンガ造り二階建ての立派な駅舎だったが、その後ターミナルが東京に移ってしまったことでその機能を失い、関東大震災で焼失。再建されるも簡素な駅舎となり、戦時中廃止に。その資材は軍需的な要望から造られた新子安駅に転用されたという。戦後、万世橋駅の駅前広場にあった広瀬中佐像がいつの間にか行方不明となり、そのスペースも博物館の一部となった。
 ホットケーキで有名な万惣を過ぎると、銀座線神田駅の須田町方面出口がある。地下通路につながる階段を下りていくとタイル面になぜか断層が。実はこれ、神田須田町地下鉄ストアの名残である。元は地下鉄ストアに直結していたようだが、建物自体残っておらず確認は難しい。
 地下鉄は、現在もそうだが、建設や維持に莫大な費用がかかり、当時の鉄道会社は電灯・電力供給、バス運行等を副業としていた。 “地下鉄の父”と呼ばれた早川徳次は、地下鉄の利用客のみならず駅から半径500mの範囲に住む人を相手に商売することを考えた。昭和4年(1929)浅草で「地下鉄食堂」をオープンし成功を収めると、翌年上野に地上9階、地下2階の「地下鉄ストア」を開店。「どこよりもよい品をどこよりも安く売る」をモットーに、次々と支店(須田町、室町、日本橋、銀座、新橋)を開店していったのである。
須田町地下鉄ストアは日本における地下街の元祖「地下鉄市場」であった。「十銭ストアー」と呼ばれる日本初の専門店があり、十銭均一という今の百円ショップに似た商法を採り入れ成功したという。
 当時は通路の両側に30、40軒の店が並んでいたというが、現在営業しているのは理容店、テーラー、靴店の三軒のみ。天井の低い通路にはレトロな雰囲気が残っている。一見の価値あり。そんなこんなで無事に神田駅に到着。

◆注 釈
(1)現在の青梅鉄道(青梅線)などと同じ浅野財閥系の私鉄で、貨物がメインの鉄道であった。しかし太平洋戦争中に東海道線と中央線を結ぶ路線ということで国有化され、南武線となる。ちなみに南武鉄道という会社は国の買収後も残り、後に立川バスと改称して現在は小田急グループのバス会社に。
(2)現在の京浜急行電鉄の傍系会社であったが、沿線が京浜工業地帯であったため工員輸送等の必要性から戦時中(1943年)に国有化。この会社も戦後まで残り、現在は川崎鶴見臨港バスという京急グループの一員としてこの一帯を縦横無尽に走っている。
(3)人名にちなんだ駅名として「鶴見小野(小野駅と重複するため鶴見を冠する)」「浅野」「武蔵白石(白石駅と重複するため旧国名を冠する典型的な命名)」「大川」「安善(安田財閥の創始者安田善次郎にちなむ)」「扇町(浅野家の家紋の扇にちなむ)」。また社名にちなんだ駅名として、現在の昭和シェル石油にちなんだ「昭和」や東芝(東京芝浦電気)にちなんだ「新芝浦」「海芝浦」など。そのほか国道15号線に接しているため「国道」など、駅名だけみても鶴見線は興味深い。
(4)厚木駅は厚木市ではなく海老名市にある。当時、相模川を挟んで対岸の厚木側にまだ駅がなく、地元有力者の要望からその駅名になった。その後、現在の小田急線開業時に対岸にも駅ができ、わざわざ相模厚木という駅名を名乗った。これが今の本厚木(本当の厚木という意味)である。

◆参考文献
「メトロ誕生」中村健治著、交通新聞社、2007。
『鉄道ピクトリアル』各号、電気車研究会。


 
山崎勝裕(やまざき・かつひろ)
東京都外郭団体・主事。テツ歴28年。小学校5年からつけ始めたという乗車日記はすでに57冊目に突入した。
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