KANDAアーカイブ

神田学会
お知らせ 神田資料室 神田マップ 神田写真館 百年企業のれん三代記 神田の花咲かじいさん 出版物紹介 神田学会とは 神田学会資料請求 関連リンク Perspectives in English 神田アーカイブとは リンクについて 問い合わせ

神田資料室

KANDAルネッサンス 82号 (2007.07.25) P.2〜3 印刷用

特集 これからの東京

——魅力的な都心のあり方とは

第一部 第136回神田学会採録

都心居住や路地、老舗の再評価がなされ、都心のあり方が見直されつつある。大規模開発が進むなか、都心を魅力的な空間にするためには何が必要か。そのヒントとなる第136回神田学会が、西村幸夫氏(東京大学工学部・教授)と陣内秀信氏(法政大学デザイン工学部・教授)を迎えて行われた。
[とき:2007年4月16日、ところ:ハーモニーホール(千代田区内神田)]

A Viewpoint of Nishimura

「大きな開発にいかにヒューマンスケールのものを組み合わせていくかが鍵」
西村幸夫


神田の震災復興事業

 今年は東京の都市骨格をつくったといわれる後藤新平の生誕150周年に当たります。神田を考えるときに、彼の持っていたビジョンと都市計画をもう一度見直す必要があるのではないでしょうか。なかでも震災復興事業は世界最大規模の復興であるといっていいでしょう。このあたり(東京の東に位置する下町)の構造は昭和の初めまでにほとんどできあがっており、それ以降手を入れなくてもいいぐらいになっている。しかも大通りだけではなくて、裏側の区画整理も行っています。
 特に神田は裏側に路地のような狭い道があり、これらの道は都市計画に基づいて意図的に細くされています。そして、いまだに小さなグリッド(区画)や二階建て、三階建ての木造建物が残っていたりする。そういう場所は大開発のしようがなく、それがかえって魅力的な空間をつくっています。
最近、神田のようなところに住んでみたいという若い人たちが増えました。神田はすごく可能性があって面白い場所というのが彼らの感覚です。古い建物などが残るヒューマンスケールのまちは、これから先もそう大きく変わらないのではと思います。

ストリートの魅力

 道路のことを英語でstreetといいますが、以前street(ストリート)とroad(ロード)の違いを調べたことがあります。streetはラテン語のstrataが語源で、“舗装された道”のこと。舗装された道というのは都市にある道で、都市の道には当然建物が建っているわけです。道があり、そこに建物が建ち、空間ができる。それがストリートだというわけです。日本語では“街路”です。そう考えると田舎にストリートはない。田舎道のことをカントリーロードといいますが、ロードとはつまり都市と都市を結ぶ道のことなのです。
 その道をつくるのが土木業者で、建物をつくるのが建設業者。一見別々のことのように見えますが、道と建物が街路というひとつの空間をつくっているのです。
 海外では、車道と歩道の間に完全に柵(ガードレール)を設けているところは、よほど交通量が多いか、子どもが横断したりして危ないところで、たいがいの道には柵がない。柵がないことでかえって自己規制され、ゴミや自転車などが置けないようになっているのです。
意図的に細くされた道(神田多町)
 日本もこういった海外の例をうまく取り入れていくべきで、それこそ東京は震災後の復興で道が整備されているのですから、もっと歩道側を広くして店の前に魅力的な空間をつくってもいいのではないでしょうか。そして裏道にユニークな店でもできれば、回遊性も生まれてくると思います。

新しいルールの必要性

 靖国通りと昭和通りは震災復興でつくられた一番大きな通りで、東京の東西——南北の軸となっています。計画では、靖国通りと昭和通りの交わるところ(現在の岩本町あたり)が新しい都市の中心地となるはずでした。しかし計画どおりにはいかなかった。つまりメインとなる大きな開発だけ行ってもなかなか意図したようにはいかないのです。今ちょうど都心の開発が進んでいますが、既存のルールが開発の仕方を決めてしまっているようなところがある。まずそこから変えていく必要があるのではないでしょうか。
西村幸夫氏
 現在の開発の仕組みは建築的に答えを見出そうとしており、六本木ヒルズなどが典型的な例ですが、賑やかさを演出するために豪華なアトリウム(ビル内に設けられた中庭風の吹き抜け空間)をつくったり、建築的に迷路をつくったりしている。しかしこれからは、大きな開発にいかにヒューマンスケールのものを組み合わせていくか、いかに周辺のパブリックな空間を取り入れていくかが開発の鍵となってきます。そうなると当然これまでのルールに納まりきれないものも出てきます。しかし、その開発によってこれまでとは違う効果が得られたり、何らかのかたちでまちに貢献できるのなら、規制を緩和し、うまく折り合いをつけることも必要なのではないでしょうか。(談)




A Viewpoint of Jinnai

「今後都心では住まい方や、コミュニティのつくり方が重要なテーマとなる」
陣内 秀信


80年代の東京を振り返る

 今振り返ってみても、80年代前半の東京はある意味革新的だったと思います。その理由はまちのアイデンティティや江戸、東京の歴史を掘り起こすといった動きが一気に開花したことです。都市開発にしてもいわゆる高度成長型の都市計画ではなく、もっと人間の感性や個性を重視したものを基本にすえようという動きがあらゆる方面から出てきた。
 それから実際の都市が動いたということが大きい。ちょうど経済が安定成長期に入り、大規模開発ではなくソフト開発に移行していった時期です。たとえば原宿や渋谷が70年代末から新しい方向性をみせ、システムを組み替えたり、既存のものをうまく活用したりして、商業施設を実に楽しく展開させた。下北沢が一番成熟したのもこの時期で、都市づくりの考え方もずいぶん変わりました。
陣内秀信氏
 そしてウォーターフロントブームが来ました。これも大開発ではなくて、工場や倉庫に新しい生命が入るというソフトの開発で、たとえば隅田川沿いに建つ三菱倉庫にはギャラリー上田が入り、深川の食糧ビルには佐賀町エキジビッドスペースができ、非常にクリエイティブな雰囲気が大川端から芝浦まであった。わずかな期間でしたが、都心に若いクリエイティブなエネルギーがあふれる状況がありました。
 80年代前半は、東京の過去から現代、そして近未来へのなにか面白いイメージがずいぶん掘り起こされたような気がします。そして80年代後半、いわゆるバブルの到来ですが、東京は超高層ビルをどんどん建設していこうという風潮になり、地価がどんどん上がっていった。神田あたりもほんとうに地上げの攻勢に遭った。その頃、地上げの対象になる場所と私たちが調査していた場所はほとんど同じだったこともあり、住民の方から冷たい視線を浴びたこともありました。それで一時東京と距離を置いたのです。

都心居住の問題点

 東京に戻ってきたのが2000年頃。その間にずいぶん流れが変わりました。いい意味で変わったなと思う点と問題だなと思う点がある。70、80年代、建築の専門家は都心回帰、都心居住の重要性をうたっていました。東京が次第にグローバルシティ(世界都市)になり、山手線の内側はインターナショナルシティで、人々が住むのはドメスティックシティ、つまり山手線の外側だというようなイメージがあった。
 ところが今は都心居住ということで人々が都心に戻ってきた。こんなに急速に戻ってくるとは誰も思わなかったんじゃないでしょうか。それと郊外に移った大学がまた都心に戻ってきたことは驚くべき変化です。世界的に見ても、都市がもう一度重要になるというのは共通しているのですが。
 夜間人口が戻ってくるのはいいのですが、ただ戻り方に問題点がある。つまり都心にどうやって人が戻ってくるのか、どんな住み方をするのか、どんなコミュニティをつくるのか、どんなまちをつくるのか。これは中央区や神田あたりでは非常に重要なテーマです。
 昭和初期に建てられた同潤会アパートは、1階には店舗が入り街路に面していた。そしてまちを活性化させコミュニティを再生し、ライフスタイルをもった新しい住み方を提案した。今都心に建つマンションはまちと関係ないものが多く、旧住民と交わらないのが現状です。中央区でも住民がデパートの地下の食料品売り場に買い物に行くようになり、商店街がすっかりさびれてしまったといいます。マンションが建設される場合はもっと1階に小売りの店舗を入れるなどして、まちを活性化させる契機になってほしいと思うのですが。

都市空間に必要なもの

 丸の内や東京駅のまわりも開発でずいぶん変わりました。丸ビルや仲通りも様々な機能がミックスされた、ファッショナブルな空間になったと思います。ただ大規模開発ばかりだと、すべてが建物のなかに吸収されてしまい、まちにあふれ出さなくなる。イタリアやスペインなどのまちを歩いて感じる路上の賑わいや楽しさがない。まさに80年代の「道路が舞台で都市が劇場である」という現象が影を潜めてしまったのが、2000年代なのです。
 日本橋も首都高速道路の移転で盛り上がっていますが、あそこをどのようにしていくのか、仮に高速道路がとれたとしても本当に魅力的な空間になるのか、そういった議論をもっとしていかないと。確かに三井銀行が重要文化財となり、隣に立派な高級ホテルを含む商業オフィスができるというのはよかったが、他の面も活性化させないと都心はうまくいかないのです。要するにまちをつくる力が弱体化している。
 谷中や神楽坂、下北沢に外国人を連れて行くと、小さなスケールのものがたくさんつまった濃密な空間に驚きます。いろいろなものが混在して多様性がある、バイタリティがある、しかも心地いい。地面も開いているし、緑もある。大規模開発はこういった空間を組み合わせていかなければならないのです。
 それと歴史や文化への関心が高まっているにもかかわらず、2000年代に入って歴史的建造物が壊されています。豊かな時代になり、文化や歴史の重要性が認知されるようになったのに、実際にはそれらの建造物を保護するという方向にはいかない。そこにジレンマを感じます。
 都心は今とてもいい空間になるチャンスだと思います。ただ、様々な問題をみんなでクリアしていかないとせっかくのチャンスが違う方向に行ってしまう。住みにくいまちにしないためにも、今がその正念場ではないかと思います。(談)
●西村幸夫(にしむら・ゆきお)
1952年福岡県生まれ。東京大学大学院工学系研究科・工学部都市工学科教授。NPO法人神田学会理事長。専門は都市計画・市民主体のまちづくり論。主な著書に「西村幸夫 都市論ノート」(鹿島出版会)、「町並みまちづくり物語」(古今書院)など。

●陣内秀信氏(じんない・ひでのぶ)
1947年福岡県生まれ。法政大学デザイン工学部建築学科教授。NPO法人神田学会理事。専門はイタリア建築・都市史。主な著書に「東京の空間人類学」(筑摩書房)、「水辺都市—江戸東京のウォーターフロント探検」(朝日新聞社)など。
ページの先頭へ

戻る

ホーム ホーム