表紙◆「神田日和」のこぼれ話8
鈴木一郎さん (ランチョン)
いさかかつじ
取材先で昼時にビールをすすめられることがある。「断固拒否」も変なので「すいません、お天道さまの明るいうちは飲まないことにしているので……」とやんわり断ることにしている。もともと性格がほどけてるので、ほどけ過ぎないようにしているだけなのだが、もうひとつの理由は、気取らずにゆったり食事しながら飲めるお店が少なくなったからだ。
私は以前のランチョンで飲んだことがある。一階にカウンターとテーブルがあって、そこで生ビールを飲みながら古書店で買ってきた本のページをめくっていく。とても気持ちのいい時間だった。今回お訪ねしたお店の空気がその時と同じだったので嬉しくなった。開店前のお忙しいなか時間を割いていただきお話をうかがった。
11時30分の開店と同時にお客さんが次々と入ってきて昼食が始まる。靖国通り側のガラスごしに古書街を眺めながら生ビールを飲んでいる人もいる。本を読んでいる人もいる。いまどきのビヤホールにこの雰囲気はない。神保町もランチョンも様変わりしているのに、ここは「町の洋食屋」という雰囲気がずーっと続いている。
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鈴木一郎さん |
そのあたりのことを3代目の鈴木一郎さんにうかがった。明治42年ごろの創業だというから、およそ百年この地で神保町の移り変わりを見てきたことになる。創業者の宮本治彦さんが駿河台下の東明館という勧工場(かんこうば)の一角にお店を開いたのが始まり。勧工場というのは今のデパートみたいなものだ。近くに同業者がいなかったので「洋食屋」で通っていたという。当時、常連だった音楽学校(今の芸大)の学生が「名前がないのも変だ。“ちょっと気取ったランチ”という意味のランチョン(Luncheon)はどうだ」と名付けてくれた。最初から生ビールを出す洋食屋だった。
お店の名物に“ビーフパイ”というものがある。ビーフシチューをパイの皮で包んだもの。「このビーフシチューは旨いけど、話に夢中になってると冷めちゃう。ビーフシチューを手つかみで食べられないかね」と、常連だった作家の吉田健一に言われたのがきっかけで生まれたメニューだ。氏のお気に入りだったというビーフパイは今も同じつくり方でつくられている。常連の楽しんでいる様子がみえる。
店内で生ビールを注ぐのは鈴木さん親子だけ。ビールを注ぐ姿が多くの人の記憶に残っている2代目の信三さんをはじめ、3代目の一郎さん、4代目の寛さんも気がついたらビールを注いでいたという。コックが変わると味も変わると言われるが、この店の味が変わらないのは、三代目と料理長が試行錯誤しながら作り上げたものだからだ。料理長が引退し、洋食が大きな変化を迎えたときもその精神は若い人たちに受け継がれていったという。ランチョンという「洋食屋」の姿勢を家族が育ててきたのだろう。その積み重なった時間が店の雰囲気をつくっているように思えた。
町の顔が見えにくい神田だが、神田祭の日に歩きまわってみたら、町の人たちが家から出てきて祭りを楽しんでいた。鳳輦(ほうれん)・神輿の巡行もさることながら、どこの横丁でも町神輿が生き生きしていた。神田のお祭りは町が見えてくる。人が住んでいる。人が寄ってくる。神田は「町」だ。それと響きあっているから「町の洋食屋」なのだと思った。

ビヤホール ランチョン
東京都千代田区神田神保町1-6
TEL.03-3233-0866
http://www.gourmet.ne.jp/Luncheon/
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