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KANDAルネッサンス 79号 (2006.10.25) 印刷用
表紙◆「神田日和」のこぼれ話5

相田弘治さん(相田タンス店)

 
いさかかつじ

 今回のこぼれ話は言い訳から。表紙の桐タンスが思うように描けなかった。材質感、ひきだしの大きさ、金具の位置など少しでもくずして描くと品のよさがなくなってしまう。デザインのバランスが実に完成されている。描けなかったことで、かえって桐タンス職人が積み重ねてきた技の質の高さに気づかされた。それだけに難しかった。
 相田さん、せっかくのタンスをこんなふうにしか描けなくてスミマセン。

 相田タンス店は神田で親子三代続くタンス店。東京都伝統工芸品指定店で、JR秋葉原駅の昭和通り口から徒歩2分半。昭和通りから少し入った横丁にある。2階建ての普通の家で、1階は作業場と倉庫(洗い直しや削り直しをする古タンスなどが保管してある)になっている。約束した時間より少し早く着いてしまったら、メリヤスのシャツ姿で家の前を掃いている人がいた。それが相田さんだった。お店も人柄もかまえたところがなかった。

桐タンスの前で
 相田弘治さんは2代目で千代田区無形文化財、東京都伝統工芸士。ほんとに力のある人というのは「これみよがし」や「ひけらかし」がない。相田弘治さんが作った桐タンスは「質の高い普通さ」があって、「奥深さ」と「豊かさ」をさりげなく持っていた。それが描けなくてヒドイ絵になってしまった。

 大正7年(1918)に初代の相田英之介(ひでのすけ)さんが創業。「もともとは茨城の出で、次男坊だったおやじが小僧として東京に出てきたんです」「最初、練塀町にいて、関東大震災のあと和泉町に移り、それからずーっとここです」「田舎から知り合いがいっぱい出てきて、茨城の人たちの東京での拠点みたいになっていました。家にいた職人はほとんど身内のようなもので、家族的な雰囲気で仕事をしていました」。
 桐タンスが出来上がるまでには、木を植えることから始まり数多くの人の手を経る。戦後、相田さんは東京都桐タンス工業組合の設立にも奔走した。お話をうかがっていると、相田さんの人生には人の気配がある。「人のつながりをフェアに、ふだんが大事」だという。そういえば人の気配がない職人ってどこか嘘っぽい。

 息子さんの相田弘之さんが3代目。東京都伝統工芸士後継者。作業場からトントントンと仕事をしている音が聞こえる。あとでお会いしたら、2代目と同じような物を作る人のしっかりした、しかし無骨でない手をしていた。

◆◆◆

 思うように描けなかったおわびに、こぼれ話の読者に豆知識を少し。
 ほかの木のタンスと違って、桐だけは桐タンスと呼ばれるのはなぜでしょうか。
[答え]
1. 桐の木は成長が早く20年もすると家具材として使える。
2. 湿度が高くなると膨張し、乾燥すると収縮してタンスの中をいい状態に保つ性質がある。
3. 熱の伝わり方が遅く、水を吸収する性質があるので、木が膨らんで隙間をふさぐ。火事の時には中に火がまわりにくく、燃えるのに時間がかかる。
 つまり桐は日本の風土にあっているのです。




相田タンス店
東京都千代田区神田和泉町1−3−8
TEL.03-5821-3114
http://www.aida-tansu.jp/
いさかかつじ・町と人を訪ねるイラストレーター
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