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KANDAルネッサンス 64号 (2003.01.25) P.14 印刷用
神田人物誌

樋口一葉② 神田「樋口一葉」日記

中西隆紀

一葉が神田で買った風船とは
 一葉の下谷龍泉寺町時代の日記に『塵中日記』がある。
 ここには「神田多町」は度々登場する。今日も多町、明日も多町。多町で明け暮れているのは、一葉が浅草で細々と始めた駄菓子屋の、商品仕入れ先のひとつが神田であったからだ。しかし「樋口一葉事典」(おうふう)などにも「田町」(本郷田町、芝の田町など)という項目はあるが、重要な神田「多町」が出てこないのは非常に残念である。これ程多く多町に出掛けているのに一葉研究に多町の駄菓子問屋街は謎のまま残されているように思える。
 十日 晴れ。早朝、神田へかひ出しにゆく。一昨日かひ来たりし半箱の風船の、昨日中にうれ切れに成りしかば、さらに一箱もとめになり。(『塵中日記』今是集(乙種))「風船」とあるのは紙風船のことらしい。
「仕入帳」によれば、単価は五厘か六厘。その二日後の日記にも「多町に風船のかひ出しをなす。午後より雨ふる」とあり、駄菓子や玩具の問屋があった神田区「多町」は一葉の日記にたびたび仕入先として登場する。これを紹介してくれたの北川秀子の家は神田雉子町三十にあり、彼女の店が菓子、玩具類を扱っていたので、その口利きで神田多町の問屋街に初めておもむき、商売を始めるようになった。
 多町と言えば昔の「やっちゃば」すなわち青果市場が秋葉原にできる前にあった場所として知られている。
 その範囲は須田町、通称石町、多町、連雀町、佐柄木町であり、野菜、果物、甘藷の商店を中心に、街頭では寿司、草餅、団子、氷菓子、そして庖丁、縄、手帳、タバコ、箕笠などを売る子供、娘、小商人も繰り出してたいへんな混雑であったという。それではここに、はたして一葉が仕入れようとした紙風船などの玩具、菓子問屋は存在したのだろうか。
 実は小規模ながらそれがあった。買出しに集まっていたのは四〇歳以上のおばあさんが多かったという。老婆に混じって銭を懐から取り出す若き一葉の姿がほの白く浮かび上がってくるようだ。
 浅草から徒歩で神田へ。大きな風呂敷き包みを背負う一葉の後ろ姿。そして彼女が歩く街。それが「塵中」なのであった。
中西隆紀 フリーライター
1947年、大阪生まれ。多摩美術大学油画科卒。神田で『本の街』を創刊。『神田300年地図』発行。著書に「幻の東京赤煉瓦駅—新橋・東京・万世橋」(平凡社新書)。
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