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KANDAルネッサンス 68号 (2004.01.25) P.15 印刷用
神田人物誌

高橋由一

中西隆紀

 そうポピュラーではない。だが、よく教科書に載っている。幕末期の美術の項目でよく取り上げられるのがこの「鮭」の油絵だ。日本の洋画はこの作者高橋由一から始まったと言われているからだ。
 今から見ると「な〜んだ。ただの塩ジャケを写生しただけじゃないか」と言われそうだが、絵具もままならない時期に、彼の胸中には武道に通じるような気概がみなぎっていた。どうしてもこの技術をものにしたい。ポンチ絵師ワーグマンに会うために横浜まで徒歩で往復したりしている。
 確かにこの時期、油絵というのは芸術というよりも、西洋の新技術習得が最大の眼目であった事実は否めない。したがって西洋学の最前線「九段下の蛮所調所」は語学研究だけでなく洋画技術の最前線でもあろうとした。これが後に神田一ツ橋の洋書調所、開成所と名を変えた時期に由一はここの画学局に参画し、この時「天ニモ昇ル心地」がする程うれしかったと言っている。
 福沢諭吉が英語の辞書を借りるためにここに飛び込んだように、洋書調所は西洋画も研究対象の重要な一項目であった。油絵技術自体については一見おそまつなものとも判断されかねないが、遠近法など実用としての地図製作等が以後主流となっていく。
 明治になって一ツ橋の開成所が大学南校となった後も、彼は多少関係を持つが、長続きしなかった。ただ、九段の招魂社(靖国神社)で開催された大学南校物産展や、湯島聖堂で開かれた日本で初めての博覧会に「ナイヤガラ瀑布」「ヒマラヤ山」「牧牛図」を出品している。これらは現在残っていないが、大学南校所蔵洋書からの引き写しであった可能性は大きい。
 びっくりしたのは、これを調べている広尾の図書館のすぐそばに由一の墓(祥雲寺)があり、よく寄る珈琲屋のすぐそばの神社に由一の墨絵が描かれていたことだ。文献の世界だけではなく、外に出たら実物が街中にあった。広尾神社。小さな社だが、天井いっぱいに龍が丸くくねっているのを食事後の散歩で行き会ったのであった。
中西隆紀 フリーライター
1947年、大阪生まれ。多摩美術大学油画科卒。神田で『本の街』を創刊。『神田300年地図』発行。著書に「幻の東京赤煉瓦駅—新橋・東京・万世橋」(平凡社新書)。
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