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神田資料室

KANDAルネッサンス 67号 (2003.10.25) P.15 印刷用
神田人物誌

佐々木信綱・橘 糸重

中西隆紀

 世界の事情は知らない。日本の記録も正確には知らないが、短歌雑誌「心の花」ほど永く続く雑誌というものもないだろうと思う。明治31年創刊、今も続いているが、1982年には一千号に達した。これを創刊した男が佐々木信綱、命時期に万葉集学をうちたて世に知られた歌人だ。
 私自身の記憶は教科書に載っていた先生の短歌である。これは小学生でも分りやすい。

 ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なる一ひらの雲

 「の」が六つもあるのに何と違和感というものがない。それ以来「の」の字が好きになった。
 先生の住んでいた場所が神田である。「心の花」の発行所ともなっていたが、小川町一丁目一番地。今の宮地楽器店の辺りで一番地がかなり広い。だから、きちっとした場所が知りたくて、お伺いしたが特定はできなかった。信綱先生の孫で現在早稲田大学教授、歌人佐々木幸綱先生に聞いたのである。先生には偶然神田の「浅野屋」でお会いした。おそらく25年ぶりくらいだろう。当時私は原稿取りという「鳥」で、先生のご自宅へ伺ったことがあったからだ。
 「心の花」の主張は「広く、深く、おのがじしに」なのだという。その門人は多岐にわたるが、なかでも昔から気になっている女性が橘糸重である。彼女も確か神田五軒町辺りに住んでいたと記憶する。糸重女史も神田とは縁が深い。短歌だけではなく、東京音楽学校の教師でもあり、したがって先輩格のケーベル駿河台宅へも出入りした。
 この二人のピアノの連弾が聴けたら面白いだろうが、当時の演奏記録は文章しか残っていないのは残念だ。糸重女史の写真は残っていて、ほとんどが下を向いている。だから、一見内気そうに見えるが、短歌は火と燃える胸の内を伝えていて、昔驚かされた。確かに暗いけれども、強烈な個性であることに変わりはない。
中西隆紀 フリーライター
1947年、大阪生まれ。多摩美術大学油画科卒。神田で『本の街』を創刊。『神田300年地図』発行。著書に「幻の東京赤煉瓦駅—新橋・東京・万世橋」(平凡社新書)。
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