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神田資料室

KANDAルネッサンス 66号 (2003.07.25) P.15 印刷用
神田人物誌

鏑木清方②

中西 隆紀

末廣稲荷神社の横に立つ献燈(神田神社境内)
 「清方」という名は、絵の師匠であった水野年方から拝命したものである。
 「方」の一字をもらったのは十四歳で入門してからしばらく経った頃であった。入門時、師匠年方は二十六歳で、四十二歳という短命で筆も燃え尽きてしまった。後年、清方は『先師の面影』で晩年の師匠を描き上げた。髭に特徴のあるやさしき面影である。
 この年方も清方同様、神田生まれということは、まったく知らなかった。私が初めて知ったのは神田明神の裏を徘徊していた時である。あまり目立たないが、末社の横に風変わりな石塔が立っているのを見つけた。これに何と年方の名と生まれが刻まれていたのであった。
 『鏑木清方文集』(白凰社)第2巻は「明治追懐」となっていて、年方先生の縁って来るところが語られているが、先生の父君は江戸の人ではないということだけが伝わっている。しかし、江戸へ出て神田の職人になった。やがて、鏝一挺で勝負する左官の棟梁になり、先生も幼き頃から土をこね、漆喰で花鳥山水を描き上げるまでになったのだという。それが伊豆の長八を思わせる非凡なものであったから、月岡芳年の内弟子に入ることになったのは清方と同じ十四歳の時であった。
 清方は神田からすぐ引っ越してしまい、小学校は鉄砲洲だった。十二歳の時に神田の東京英語学校へ入ったはいいが、芝居や小説にひたりきり、これで落第、役者志望をやめて年方宅に世話になるのである。その頃の年方宅は神田東紺屋町であった。その二階画室で師とふたり絵筆をとるのであった。
 その懐かしき神田。じつは私が出会った神田明神裏の美しき石碑は、年方先生を偲んで、身内と清方たちが奉納した献燈であったことをこの本で知った。是非一見をお奨めする。
中西隆紀 フリーライター
1947年、大阪生まれ。多摩美術大学油画科卒。神田で『本の街』を創刊。『神田300年地図』発行。著書に「幻の東京赤煉瓦駅—新橋・東京・万世橋」(平凡社新書)。
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