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神田資料室

KANDAルネッサンス 63号 (2002.10.25) P.15 印刷用
神田人物誌

樋口一葉① 神田「樋口一葉」日記

中西隆紀

 明治25年の大晦日、一葉は一日中家の掃除などをしていたが、夕暮れ前に妹国子と連れ立って「下町の景気」を見に行く。本郷通りより神田明神坂を下り、多町で物を買い、当時最大の繁華街であった「小川町の景気を眺め」、この後に三崎町の半井桃水の店先で女二人、中の様子をうかがう。で、中には「年わかき女の美しく髪などをかざりて、下女にては有るまじき振舞」は妻君に違いないと国子が言い出す。そしてさらに、大坂に彼を慕う金持ちの娘がいたが、多分持参金付きで嫁入りしたに違いないわと言う。だって、これほどの店なら大金が振ってでもこない限り建つわけはないでしょ、世の中ってそんなものと言っての帰り道、富坂下で「国子ものをひらふ」というオチが着く。(「よもぎふにつ記」)

神田の森に月みんよ
 明治24年10月15日、神田川にお茶の水橋が新設されこの日開橋した。江戸以来、深い谷ゆえ橋というものとまったく縁の無かった駿河台の、それも最高所に初めて架けられた橋というので、たいへんな評判を呼んだ。「雲梯高く架して両岸を繋げるの奇観」、つまり、雲に架かる梯子と言ったのは「新撰東京名所図会」である。人々はそのパノラマの妙を伝え聞き集まった。
 開橋二日後の17日、国子が評判高いお茶の水橋を見に行こうよといいだした。母君も二人で見てきなさいというので、家を出ると辺りは一面霜を振ったように寂としていて雲一つない。橋のほとりまで来ると、月が出ていて空に煌々と輝いていたが、それが神田川の水面に映って、行き交う船のともし火が金波銀波に揺れていた。聖堂の森はさかさまに影を落としていたし、その水のちょうど中程にいつしか雲がひとひら落ちていた。遠く薄霧のかなたに電気の灯が霞み、もう帰ろうよと口では言うもののなかなか立ち去り難い。またこういう宵もあるから又ねというので、駿河台から太田姫稲荷の坂を下りていくと、下から四人ばかりの若者が爽やかに通り過ぎて行った。国子は、私も男だったらあんな風におおでを振って夜更けまで歩き廻るのにと、うらやましそう。ふと脇をがらがらと馬の蹄と車輪が通り小路に消えたが、あの馬車も神田の森に月を見ようというのはいいけれど、やっぱり登る馬の吐息は苦しそう。登りはて振り返っても月はいつの間にか高くなっていて、二つの杉の大樹の陰では見ることもかなわない。さて、こういう時には一句と思って思案してみたものの、月の影に気おされた形で趣向は巡らない。これはね歌など詠むなと言っているのよと、お互い笑い合ったのでした。(「蓬生日記」一)。
中西隆紀 フリーライター
1947年、大阪生まれ。多摩美術大学油画科卒。神田で『本の街』を創刊。『神田300年地図』発行。著書に「幻の東京赤煉瓦駅—新橋・東京・万世橋」(平凡社新書)。
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