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神田資料室

KANDAルネッサンス 63号 (2002.10.25) P.10〜11 印刷用
神田仮想現実図書館23

神田の高さ、そして南極

中西隆紀

 海抜17メートル=神田駿河台上  
 神田淡路町=海抜4メートル  
 日比谷シャンテ前=海抜2メートル

 駿河台は昔、神田山と呼ばれたくらいだから、神田一の高台と言ってもいいだろう。その崖側面は蛇が垂直にへばり付くように「男坂」があり「女坂」の石段がある。この神田最大の難所を体育会監督は部員を泣かせるために愛し、年寄りはただ溜息を付いて迂回する。あまりにも傾斜が急でキツイからだ。
 その女坂横の最高所に昔「駿台荘」という旅館があった。
「駿台荘は崖地に、雛壇のような形で建っている、当時としては変わった造りの建物で、高台にあったため、東京中の街並みから富士山まで、一望のもとに見渡せた」と、NHK朝の連続ドラマ「ふたりっ子」で向田邦子賞を受賞、一躍脚光を浴びた脚本家大石静さんは書いている。
 彼女は幼い頃、ここから下界を見下ろすある意味では貴族的な環境で暮らしていたから、「屋根より高い鯉のぼり」が信じられないフレーズだったと語っている。
 駿河台上という環境下では、鯉のぼりは見上げるものではなく、いつも眼下で泳ぐものであった。だから、幼稚園で屋根ばかり描いていて情緒不安定児と邪推されたらしい。そんな印象が「駿台荘物語」には生き生きと描かれている。
 しかし実は、ここは歴史的、文学的に著名文士等の隠れ場所でもあった。元はと言えば文士の宿としては「山の上ホテル」が有名だが、ここはひと味違う家庭的、隠れ家的要素が半熟卵にまで漂っていたのだという。
 駿台荘は昭和元年創業だから、関東大震災で焼け野原の駿河台に創業した。オーナーは大石静さんの養母犬塚雪代さんである。
 彼女はこのオーナーの養子として育ったのだが、あの『人間の条件』の五味川純平に可愛がられ、かつ五味康祐氏に手相を見てもらったり、開高健にパイプのコレクションを見せてもらったりしている。彼らの他に檀一雄、江戸川乱歩、吉川英治、松本清張、柴田錬三郎、桑原武夫などがここで原稿を書いていた。
 新聞などがかなり大きく取り上げて報じたのは、駿台荘が消え、そしてオーナーが亡くなる前後であった。見出しは「学者、文士に愛された宿の女将」「ビルマ建国の父、アウン・サン将軍の日本潜伏を助けた人」などといったもので、スーチー女史の父「アウン・サン将軍」についてもっと追求することができればこの記事も国際的に飛躍できたのだが、南機関などこのあたりの追求及び詳細は私のこれからの課題でもある。
 いずれにしても、彼ら著名作家は駿河台という高所を隠れ家にしていたことになる。しかし、これはそれ程珍しいことではなく、地球上で一番の隠れ家は人跡未踏の高山だ。

 南極の氷が全部溶けたとすると、これらの隠れ家はどうなるか。実は水没するのである。
 いきなり極論というのは卑怯ではないかという人もいるかもしれない。だが、当然のことながら神田だって地球だし、南極だってビルマだって地球なのだ。海流の関係があるから、神田川に玩具の船を浮かべれば何とかそのまま南極に着くというものでもないが、海面自体は東京湾から全世界に続いている。
 しかし、この「続いている」ということが問題を地球規模にしている。どこかの火山の噴火や数千キロかなたのチェルノブイリの原発を頭でどう理解しようが、現実の皮膚感覚からは所詮他山の石であり、対岸の火事的感覚にならざるを得ない。そういう点で、続いている南極と神田は近くて遠い親戚なのだ。
 というわけで、最初の質問に戻れば、「南極の氷が全部溶ける」という想定は、幸いなことに今のところ机上の計算でしかない。まさに仮想現実の世界ともいえるが、実は何百年後かに起こり得ないと考えるほうが不自然というほどに事態は深刻の度を深めている。
 今年の夏も暑かったが、毎年微量でも必ずヒートアップしていることが問題なのだ。地球温暖化はジワジワというところが怖い。排気ガスの元凶であるガソリン車を無くして、各国大使、会社社長付き運転手も廃止して人力自転車でというわけにはいかないだろう。
 しかし地球温暖化は計算でしかない。しかも遠い将来予測。だから考えるだけ無駄だという輩と同じ船に乗れば、残念ながら神田は完璧に水没し海洋公園となり、皇居周辺はダイバーの観光スポットとなるであろう。
 結論を急ごう。どうせ机上の数字と実は私も高を括っている。いずれ何とかなるだろう、そういう私も極甘の一人なのだが、唯一貢献している点は「純正折畳み自転車愛好家」であり、運転免許を持たないという消極的抵抗を試みているばかりに過ぎない。
 さて南極の氷だ。推定では全世界で何と、海面が65メートルも上昇する。65メートルは、全世界の体積に直せばエライことである。そんなに水があったのかという感じだ。世界の大都市が軒並み水没する。
 東京も例外ではない。23区は完全沈没でお手上げ。中央線の武蔵野市、三鷹市あたりまで海岸線は後退するだろう。ちなみに少し手前の吉祥寺は海抜56メートル(吉祥寺北町4の8)だから、水面に浮かび上がるまで9メートルもある。そして立川あたりが何とか生き残り、奥武蔵の山猿は、都会者め、ざまあみろ、ついに海に沈んだかと不謹慎にもせせら笑うに違いない。高さの価値というものは海がせまってきて初めて気が付くのである。

男坂
 さて肝腎なのが神田だ。ここの統計を見て愕然となる、一番高い駿河台に登っても何と17〜18メートルくらいしかないのだ。
 しかし、次の統計を見て、また駿河台の高さにほっと胸をなぜ下ろしたりする。それは、極地壊滅はあまりにも遠い未来予測であることだ。しかし敵が地球規模で、それに対する人間の行動は相も変わらず、計り知れない程いい加減をやめることが出来ない点までくると、もう俺達の子孫は勝手にさらせと、匙を投げたくなってくるのである。
 あまり遠くを見過ぎたり、あんまり近くを見過ぎると手元が狂う。だから近未来統計を見てみよう。地球温暖化による2030年の近未来予測統計さ。これによると28年後、最悪の場合1.5メートルの海面上昇があり得るかもしれないという。または15センチ上昇で済む場合もあるというもので、ここでもかなりの予測幅があるのは極地の氷など不確定要素があまりに多岐にわたるからだ。いずれにしても、ひたひたと音もなく、何センチであろうが事態が進行している事実は気味が悪い。
 したがって何とか駿河台の高さを死守すべきなのである。駿河台は永遠に同じ高さではない。これを肝に命じるべきなのである。努力を要しない高さというものは実は存在しないという時代なのだ。神田の高さと南極が親戚であったということに改めて注目してほしい。
 あまり遠くを見過ぎると手元が狂う。だから駿河台フランス菓子「ジロー」前17m14cmから坂を下りてみよう。駿河台交差点を通り、神保町交差点を回り込み、一ツ橋の如水会館まで来ると、ここに至っては、わずか海抜3メートルとなる。ジローから14メートル下がってきたのだ。ここから皇居を回ってさらに日比谷まで来ると、シャンテ前で海抜2メートル。銀座に出るとここはやや高くなって3メートルから5メートル程度。そしてまた下がって晴海の月島公園で1.7メートル、そして海の近くは海抜何センチ地帯。1メートルに満たない倉庫地帯へと続いている。
 神田を地形から見ると、神田山すなわち駿河台と、九段以西の麹町台地とに挟まれた低地に相当するのが、神保町、一ツ橋、錦町、小川町ということになる。ここは元、江戸の中心を流れていた川の跡で、専修大学前交差点付近は掘ればおそらく砂が出てくる。
 以前に取材で、国会議事堂前まで出かけたことがあった。水準原点を撮影させてほしいというのが当方の要望であったが、カメラマンを雇えないので、素人の私が担当した。
 ここは東京、いや日本の高さの基準点なのだ。すなわち水準点と呼ばれ、日本の国土測量の基準となる標石が設置されている要所であった。それは国会議事堂の前庭植え込みの内に吠えることを忘れた番犬のように、ひっそりとたたずんでいた。
 お前はな。日本でただひとつしかない侵すべからずの基準点なんだぞ。ギリシャ風の堅固な面構えをしていて、普段はしっかりと施錠されていて、立ち入ることは厳禁。そこまではいい。しかし、たまには吼えてみろ。手始めの鉾先は国会銀の諸君だ。「山高きゆえに貴からずなのである、水低きゆえに卑しからずなのである。水準点は、永田町より南極を指す」くらいなことを是非言ってほしかったのである。ところが管理する国土地理院、地味な仕事だから、当然のように優しき心根の人ばかりで、吠えるようながさつな人種は一人もいなかったのであった。

 さて、高さの数値は永遠ではない。変動する。神田ジロー前や、淡路町などには定点観測用の基準点が設けられていて毎年正確なその地点の海抜が測定されている。これで地盤の浮き沈みが分かるのだ。地図や測量のことはみんな国土地理院がやっているものとばかり思っていたら、神田など、こうした具体的な各地の定点計測は地方自治体がやっていた。
 東京都土木技術研究所というのがあって、ここで「水準基標測量成果表」というのが毎年出ている。ここでは実際に現地の具体的なある地点を選び、精密測量を行っているのだ。平成13年発行の統計では、千代田区には水準原点を含め27箇所設定されていて、そのほとんどが麹町。そのうち神田は5箇所しか設定されていない。
 まず神田山の頂上に埋め込まれた標石は、フランス菓子「ジロー」前(神田駿河台2の1)、その高さは17m14cm。報告書にはもっと詳しく書かれていて、17.1413mとなっている。これは東京湾海面の平均を0として割り出したものだ。駿河台から比べると麹町はさすがに高台に位置する。三番町にある東郷公園内にある基準点では29.4290m。これが神田も一ツ橋まで下りてくるとわずか3mしかないのだ(如水会ビル前、一ツ橋2の1)。
 以下、神田の基準

 梅岡ビル前(岩本町1の13)3.4279m
 キングラン本社脇(神田淡路町1の4)4.1953m
 バイリーンビル前(外神田2の14)4.3926m

 これらはわずか3mか4mという見方もあるが、3mか4mというのは実に賢くもありがたい高さなのである。さて、それでは東京の他の都心部を見てみよう。
 中央区になるとこれが3mか4mで最も高い部分にあたる。神田の低地が銀座付近では高地となっているのだ。これは神田万世橋から続く中央通り、すなわち神田駅前から日本橋、京橋、銀座へとぬけるメインストリートが中央区高地にあたる。これが細長い峰状となっているから、銀座通りは尾根づたいにメインストリートが走っているということになる。すなわち神田低地は銀座高地に続く同格の3〜4mであって、その上にいにしえの江戸時代から都心のメインストリートが貫いていたのであった。
中西隆紀  フリーライター
1947年、大阪生まれ。多摩美術大学油画科卒。神田で『本の街』を創刊。『神田300年地図』発行。
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