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神田資料室

KANDAルネッサンス 58号 (2001.07.25) P.6〜7 印刷用

特集 関東大震災から学ぶ

人道から車道へ、帝都復興と神田の道。

 関東大震災後、復興局が設けられ都市の再生がおこなわれた(帝都復興事業)。
その中でも注目すべきは車社会を見越した道路計画である。
もちろん神田の道にも大幅な道路計画が施工せされた。

 神田は東京都心の諸機能の結節点と考えられ、近代都市の都心部としての再生を図られた。右図の通り、黒い部分が土地所有者の負担(減少)によってあたらしく道路や公共用地になった部分。
 復興事業の一つの目玉だった昭和通りと大正通り(靖国通り)の二大幹線が岩本町で交差して、東京の新名所になった。復興事業は昭和5年まで続いた。

 昭和通りは道幅44mの大型幹線道路として現在も物流の主要道路として活用されている。現在交通量は1日38,467台(上下線合わせて/H11交通センサスデータより)。

・秋葉原上空からみた上野方面 中央が昭和通り(1930・昭和6年)。昭和通りの名称は、東京日日新聞が市民より募集選定し、復興局が公式名とした。
・右下図:昭和7年、帝都復興区画整理誌に掲載された岩本町周辺の換位置決定図『神田まちなみ沿革図集』より 

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