特集 関東大震災から学ぶ
俺に任せろ!その気持ち一つで・・・
消火活動に参加した父から学んだこと
佐久間町二丁目在住 田中精之助さん(大正6年生れ)
我が家は「桐屋」という小間物屋を商っており、花柳界などへ出入りしていた漆塗りの箱車は邦枝完二の小説にも登場したほどです。店は繁盛しており、町にも活気がありました。
私が大震災に遭ったのは6歳の時でした。家族はそろってすぐに上野へ避難しました。高台だからでしょうね。1週間くらいそこで過ごしたと思います。父(三九郎さん)は、番頭さんと一緒に店が心配だといって先に戻ったのです。そこに待ち受けていたのが、火災でした。父はちろん血気盛んな働き人達が「俺にまかせろ!」という気持ちで必死に消火活動に参加したそうです。たまたま我が家には商売柄。和装の染み抜きとしてベンジンを扱っておりました。実はそのベンジンでポンプ車を動かし消火活動ができたと聞いています。必死な時はお互いさま。そのチームワークの良さはきっと神田随一ではないでしょうか。また、さまざまな偶然が消火活動を助けてくれたようにも思います。特に米蔵が防火壁の役割を果たし、食料を東京中の人達に配給することができたことは何よりも嬉しいことです。また、焼け出された人達をしばらくの間お世話したので、感謝の言葉をいただくこともずいぶんありました。私達佐久間町の住民達は、震災での偉業を大変誇りに思っています。なにしろ困っている人がいあたら体が動いちゃう、ですからね。これが神田っ子なんですよ。今でもその魂は生きています。
とかく近所付合いや地域のお祭りなど疎遠になりがちな現代ですが、神田祭をはじめ、町ぐるみで子供達に地域への参加意欲を育んでいくことが大切ですね。次代をになう若者達にも、大震災での我が町の活動が語り継がれることを願っています。

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