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KANDAルネッサンス 56号 (2001.01.25) P.10〜11 印刷用
神田仮想現実図書館16

神田双輪倶楽部をめぐって【後編】

——「自転」の自転車、「他転」のロボット、21世紀対決

中西隆紀

 無人島に行くとする。その時あなたは何を持って行きたいかといういささか古風な質問がある。
 浮世の雑事を逃れ、人間のしがらみから解放されてただ一人、海辺で風と波の音を枕に眺める夕日は美しい。これまた格別であろうと夢想する。しかしこれも逆に月日がたてば大抵文明の猥雑さが恋しくなってくるのが凡百の通例だろう。そういう時のために最近、人力発電器付きラジオを秋葉原で買った。
 そういうラジオがあったのだ。上の方にはランプが付いていてスイッチを替えると灯かりもつく。そして問題の発電器。これは、後ろに取っ手が付いていて昔の蓄音機のように、またスリコギで胡麻を炒るごとく手でグリグリと回す。すると我が手に同調してFM・AMを問わずアナウンスが箱からもれてくるのは無人島ならずとも感激ものである。
 最初は名刺サイズの極小ラジオを買うはずだった。ところが、この一見前時代的なラジオを目にして急に電池というものが醜く見えてきた。早く言えばこれは非常用災害用といえるが、私はそうは思わない。電力を使わない自転車が永遠であるように(最近不届きな電動車も登場しているが)、これと同じ感覚で、自ら回して自力で発電した快感は別物と言える。つまりこの点について、ダマイ・ラマとチベットの問題を別にして、製造元の国籍中国と同じ気持ちなのである。
「自転車は1世紀前と今を比べてみてもほとんど基本的な形は変わらない」と先号で書いた。ボートのオールは手で漕ぐ。同様に自転車は足でペダルを回す。まるで扇風機を手で回しているような単純軽薄さだ。しかしこの白痴美的姿こそ永遠である。
 これに対して、自動車の複雑さはメカだけではない。中近東からわざわざ、どでかいタンカーに載せて重油を運んで来なければただのエンジン付きの箱でしかない。そのガソリンも地球上残りわずか。そのピンチヒッターとして電気自動車があるといわれているが、これもバックに巨大な発電所が必要だ。だから今世紀も自転車は白痴美的に生き続ける。たかが自転車されど自転車である。白痴を軽蔑する者はコンピュータで泣け。極端に言えば、皮膚感覚的に人間に近ければ近い物程、人を裏切るということがない。

鼻下に髯を蓄えた男子に女の自転車で稽古しろとは情けない/夏目漱石
 しかしながら夏目漱石はロンドンで初乗りした自転車に泣かされた。「鼻下に髯を蓄えた男子に女の自転車で稽古しろとは情けない」などといいながら、乗った男用自転車で見事にこけている。
 自転車は健康にいい。夏目の神経衰弱も自転車と春風があれば治ると思った同じロンドンの下宿人が勧めたらしい。
 しかし漱石には通用しなかった。「大落」が5回、「小落」はその数を知らず。憎っくきは文明の利器自転車であった。
 同じ文豪でも、志賀直哉の自転車体験は少年らしい瑞々しさにあふれている。
 果敢にも、わざと危険な坂道を選ぶのだ。例えば神田西の九段坂。これは今よりも昔のはもっと急だった。しかもブレーキというものがまだ付いていない。そんな時代だ。
 それではどうすればいいか。これには少し説明が必要だが、まずは本人に語ってもらおう。「足を真直ぐ後ろに延ばし、ペダルが全然動かぬやうにして置いて、上から下まで、ズルズル滑り降りる」というのだ。つまり、昔の自転車はフリーホイールが付いておらず、チェーンを通じてペダルと車輪が直結していた。だからペダルを足で固定してしまえば車輪は動かない。坂道に車輪は回ろうとするから相当な力でこれを阻止しなければならないという曲芸じみた所作となる。今はペダルに足を乗せたまま空回りするフリーホイールの発明のおかげで、平地の場合は楽。しかしブレーキは必需品だ。
 そんなわけで明治34年、東京の警視庁は「急斜せる坂路にありては下車すべし」として次の坂路に標柱を建てた。神田区では「サカイチ坂」(今のアテネフランセから水道橋に至る坂)、そして麹町区の九段坂である。

神田眼鏡橋の上を颯爽と自転車に乗る外人の姿を見て
出版資金すべてはたいて自転車を購入/宮武外骨
 あの新し物好きの宮武外骨が自転車が欲しくてたまらなくなったのは明治16年、東京に初めて出てきた頃だ。あの神田の名所、今号の「天下祭特集」に出ている眼鏡橋が舞台。その上を颯爽と通り過ぎる自転車に乗る外人の姿であった。たまらなくなって東京、横浜、神戸と探し求めてやっと神戸の外人居留地でたずねあてた。英国人経営のダラム商会。金三百円也。何とも情けないことに、雑誌発行の為に父から借りた金のすべてであった。志を遂げんとして借りた金。それよりも自転車の魅力が勝ったのだ。
 まだ明治16年頃だと日本人で自転車はごくひと握り。それが松居松葉の「自転車全書」が出版された明治35年頃には、ちょっとオーバーだが「ベルの音を聞かない所はなく、スポークの光らない所はない」などと語っているが、まあ勿論今程ではないが、そこここで見かけるようになってきた。

明治・神田、新聞社社長自転車クラブを創設
 東京・神田淡路町に「双輪倶楽部」が誕生したのが明治31年。「双輪」とは自転車のことだが、一応日本人だけで組織した自転車愛好クラブの初めということらしい。ここの会長をやっていたのが秋山定輔で神田錦町3丁目に住んでいた。秋山という男は新聞人の例にもれず精力的な男で、神田須田町の大通りに面してあった「二六新報」という新聞社を設立した男だ。二六とは創立した自分の年、明治26年、26歳を社名とした。こういう自己主張の激しいのが明治人の特徴で、社屋が投石にあっても素知らぬ顔で椅子に座って悠然としていた。そして後には政界の黒幕的な存在とみなされていたらしい。
 だから若い頃は当然体育会系。自宅の庭に相撲の土俵まであつらえてしまった。
 志賀直哉少年はこの社長宅まで自転車を運んでいる。双輪倶楽部の遠乗り会があるというので特別に参加させてもらったのだ。
「朝早く神田の秋山邸に集まり、十何台、車を連ねて、千葉まで遠乗りをしたことがある。稲毛のあたりで道を横ぎる家鴨に乗り上げ、私は車もろ共横倒しになったが、別に怪我はしなかった」(「自転車」)。
 このように当時自転車は、最新のスポーツのひとつであった。そしてその拠点としての神田があった。
 
勇気リンリン、遊び心はルリの色
人間の心を解するロボット「鉄腕アトム」と遊びたい
 自転車の自転とは当然自分で運転するということであり、その心地良さが原点である。だとすれば他転とは何か。
 突然そう考えた時に現代のロボットを想像してしまった。ちょうど、DVDで昔の無声映画の名作「メトロポリス」を観た後だったので、あの民衆を扇動する女のロボットの印象が頭にこびりついていたのだろう。自分の感覚から離れて動いている物、その総てが分かっているようで分かっていない物の動きを仮に「他転」としよう。これはIT社会の心地良さと同時に気味悪さにも通じる問題だ。
 日本は今、産業ロボットの先進国であり、ということは「他転」の先進国でもある。
 つい先月、20世紀の終わりに立て続けに二つの見本市に出掛けた。一つは最新式の自転車を求めて「国際自転車ショー」へ、そしてもう一つが世界初のロボットの展覧会「ROBODEX2000」だ。
 ロボットがパラパラを踊るというので、メカ・数学が大好きで、あふれ続ける豊かな感情が虚心冷厳な数字をしのぐ母と、買ってもらった「スーパー・ブーチ」(犬のロボット)より本当は生身の犬が大好きな娘と、硬直した身体と心を併せ持つブリキのロボットのような父である私という親子連れ3人で、超満員、待ち時間5時間という難関をものともせず、ある秘密の方法で奇跡的に突入に成功したのであった。
 そしてそこで「他転」とは何かと考えたのだが、結論はロボットというのはその設計者のことであり、ロボットと遊ぶというのはすなわち、設計者と遊ぶということ。だからここに技術者だけいても、他転が動いているだけで、自転感覚の面白さに欠ける。
 やはり、手塚オサムシ先生のように勇気はリンリン遊び心はるりの色。あの人間の心を解するアトムが21世紀には誕生するだろうか。




中西隆紀 フリーライター
1947年、大阪生まれ。多摩美術大学油画科卒。神田で『本の街』を創刊。『神田300年地図』発行。
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