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神田資料室

KANDAルネッサンス 56号 (2001.01.25) P.2〜3 印刷用

特集 よみがえれ!天下祭

各町山車の揃い踏み

 天下祭は山王権現と神田明神の二社隔年で行われた江戸最大の祭である。
 しかし、錦絵を見てもお分かりのように現在の神輿中心の祭とは様相を異にする。ずらりと並んだ各山車の上には神話や物語の世界が繰り広げられている。人々が物語とともにあった時代…。
 そのハイライトは山車の行列にあったのだ。

消えた山車の謎

 物語や伝承こそ我々の祖先がつちかった文化にひかならない、物語を乗せた祭礼行列はしずしずと進み、その総てを見ようとすれば、早朝から暗くなるまでたっぷり一日かかった。
 神田明神だけで何と37台前後、山王では55台前後の山車が延々と続いた。
 その山車はいったいどこへ消えたのか。
 その謎を追ってみよう。

最先端の流行を取り入れたBIG SHOW

 江戸の絵図を見ると巨大なゾウが行列に加わったこともあったようで、人々の驚きと歓声が聞こえてきそうだ。このように山車ばかりでなく、今流行の歌や踊りといった新メニューが「附け祭」として毎年登場した。

江戸城に乗り入れる唯一の祭

 天下祭は幕府公認。町人にとっては城内に入ることのできる唯一の祭であった。一方、将軍や大奥にとっては普段見ることのできない華麗な町人世界を垣間見る絶好の機会でもあったのである。
 その後、祭は明治維新で一時中断。江戸城乗り入れはなくなったものの、祭の勢いは衰えることがなかった。

明治神田の桧舞台

 右の錦絵は明治中頃の有名な眼鏡橋。神田万世橋の前身ともいうべき当時東京で最も華麗な橋であった。
 その上で繰り広げられた天下祭の最後の姿でもある。
 その後、山車や屋台の多くは失われ、神輿全盛の時代へと変わっていく。

   神田明神山王権現
初期祭神:平将門
神田古来の地主神
(現在の首塚近辺・大手町)
秋祭(9月15日・陰暦)
太田道灌が祭る
徳川家の産土神
(東御苑北端・平川門付近)
夏祭(6月15日・陰暦)

              ↓
現在神田祭(5月15日・太陽暦)
神田神社
山王祭(6月14・15日前後・太陽暦)
日枝神社



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