KANDAアーカイブ

神田学会
お知らせ 神田資料室 神田マップ 神田写真館 百年企業のれん三代記 神田の花咲かじいさん 出版物紹介 神田学会とは 神田学会資料請求 関連リンク Perspectives in English 神田アーカイブとは リンクについて 問い合わせ

神田資料室

KANDAルネッサンス 54号 (2000.07.25) P.10〜12 印刷用
神田仮想現実図書館14

『ああ無情』のコゼットを小雪と呼んだ男

中西隆紀

 三省堂の横、つまり駿河台交差点の角に、三茶書房という古本屋があります。この入口に不思議な木製の看板がかかっているのをご存じでしょうか。これには次のように彫られています。
 「永世無休 万朝報」。これは「ヨロズ・チョウホウ」と読むのですが、明治期に東京で最大発行部数を誇っていた時期がありました。つまり当時の東京で丁稚であろうが、旦那であろうが、芸者であろうがこの新聞の名を知らぬ者はなかった時期がありました。これはその新聞の名前で、昔どこか都内の新聞の取次店に掛かっていたものでしょう。遠の昔になくなった新聞ですから、この店が取次ぎ店というわけではありません。おそらく当店は「よろず重宝」なお店ですよという意味合いで、店頭にコレクションを掲げたものと思われます。
 この朝報社の社主は黒岩涙香といいますが、彼も同じ意味合いを込めて「万朝報」と命名したらしいのです。そのことをご主人は知っていたのでしょう。
 しかし黒岩涙香という人は新聞人というよりも、『岩窟王』『ああ無情』の名付け親といったほうが通りがいい。この本の題名なら今の子供でも知っているからです。
 しかし、彼はこの本の作者であり、作者ではありません。名付け親といったのはそのためで、明治開化の複雑な世相を反映して、彼は原作を忠実に訳すという方法はとりませんでした。
 元々がそういう学者的な人間ではないからです。自分の本領はエンターテインメントにあるということをよく知っていたのでしょう。
 なにしろ、『岩窟王』にしても『ああ無情』にしてもこの題名がいい。彼は人をひきつける点では天才的なところがありました。つまりキャッチコピーの天才だったのです。
 現代でもゴシップ記事を三面記事というのは彼の発案からきています。そういう紙面の作り方をしました。また、誰でもが手に取れるように、「一に簡単、二に明瞭、三に痛快」という抱負を発刊時にかかげています。それと探偵(推理)小説の連載です。これが当たって東京一の人気新聞にのし上がっていくのです。
 この黒岩涙香が自ら探偵小説を精力的に発表したのは新聞発刊前の六年間で、外国の小説を日本に紹介しようとしたわけです。
 しかもそのやり方がすごい。今だったら原作者にどなり込まれるところですが、筋を生かして人物を粘土細工のようにこねくり回し仕立て上げてしまうのです。子供というのはたいてい粘土細工が大好きですが、まさに幼児のように生き生きと、明治日本とヨーロッパを自由自在、奇想天外にシャッフルしてしまいます。
 その結果、『ああ無情』の孤児コゼットは「小雪」となり、ジャベールは「蛇兵太」として波瀾万丈の物語が展開されるわけです。これはもう、現代の超訳どころではなく、自在訳といった天衣無縫ぶりで、著作権的には無縫は無法というところでしょうか。

 私の手元に『仏国ユゴー先生著 涙香小史訳 ああ無情(前編)』五版(初版明治38年)がありますが、これは実は20年も前に古本屋の棚から、当時の私としては大枚をはたいて購入したものです。
 本というのは当然読むためにあります。しかし当時は、手元に置いておきたい美的にかわいらしい本がこれだったのです。私の手元にある、貴重だとひとり思い込んでいる本はたいてい薄汚れています。そしてこれらは元々神保町や東京の場末のほこりにまみれていて、平台の浮浪児収容所で声ならぬ声をあげていたものがほとんどです。
 一方、保存の良い美本・稀覯本となると皆、一流古書店の奥のショーケースに並んでいます。私のコレクションは経済的な事情で残念ながらここに求めるわけにはいきません。したがってこの手で一生触れることのない博物館の国宝を覗き込むような調子で、古書店を一巡して帰ってくるだけ。江戸・明治・大正の稀覯本となると眼の飛び出る程数字のゼロが並んでいるのも珍しくありません。私の場合、保存の良い美本を求める程の金銭的余裕は当然ありません。どうすればいいか。捨てられる寸前の元美本を買うのです。これはいってみれば廃品回収に近い。美しかったが今貧しい「泣いている子を拾う」のです。しかし、そういう出逢いもめったにあるものではありません。
 本は中味で買う場合と、こうした美術品的な興味で買う場合があります。また、美的な理由で求め眺めるうちに中に引きずりこまれる場合と、内容で買っても半分読めばあきてしまう場合とがあります。
 それともうひとつ付け加えておきたいのが、江戸・明治・大正期では、当時の本物の活字で読む楽しみがあるのです。これが江戸であれば、木版ですから、小川の水が流れるような流麗な筆跡が途切れることなく和紙に押されている感触は何ともいえません。挿し絵も浮世絵と同じ手法で刷り師が刷り上げたものですから、本を開けると昔のままの鮮やかな色彩が見事です。
 しかし、百年以上も時がたっているのですから、ひどいものは五体切断の解体スクラップ本といったたぐいもよく見かけます。また、明治本の婦女庭訓や戦時中の「○○先生立志伝」などという雑本のたぐいは本当に捨てられるかと思いきや、古本屋さんはこうした孤児にも愛の手を差し伸べるのでありました。

 ある時、これは表紙と本体がはがれ、ようやく二本の命綱で背表紙がつながっているという哀れな本に出会いました。しかし、これがもし美本であるとすると数万円はする。そういう近代文学館ショーケースに鎮座する貴重本なのです。それが今目の前にある。それは店頭平台に並ぶ太平昭和のタレント本に混じってひとり憮然としていました。それもまさに手足がもぎれそうになって……。
 これでは当然、純正コレクターは歯牙にもかけません。私のような客を待っていたのでしょう。値段も信じられないくらい安い。八百円の「持ってけ泥棒」値段でありました。元たいへん高価だったこういう本との出逢いもめったにありません。お前に買えと言っているのです。元泥棒であり、後身人望厚き市町となる『ああ無情』のジャン・バルジャン。彼だってみなし児コゼットの「小雪」を偶然の導きが縁でき引き受けたではありませんか。
 裏を見ると版元「竹柏会」とある。佐々木信綱か。神田とも縁がある。
 そっと手に取ったつもりでした。しかし、二本の命綱は開いたとたんにぷつんと切れてしまいましたが、これでこの本との縁はおしまいかというとそうはいきません。糸は切れたって、汚れてはいるが美しい表紙というものがある。母との縁が切れてしまったあのコゼットの上着のようなものです。
 同じような女の子が表紙に描かれているのが目にはいりました。
 よく見ると表紙と見開きの挿画はあの「麗子像」の岸田劉生ではありませんか。真ん中でひとりの女の子が赤・青・黄のお手玉に興じている。これだけで、私は解体寸前のこの本を買ったのです。
 
『一路』表紙(岸田劉生画)
 書名は『一路』。変形縦長の木下利玄の美しい短歌集です。しかし白い表紙も今やネズミに、いや利休色に変色している。どんなものであれ白紙に戻すことは時間が許さないのです。そして、この手垢やシミの汚さ以上に、この本にはダーティな履歴が刻まれていました。盗品だったのです。
 中を開けて初めて分かりました。出所もはっきりしている。中に捺された朱印には「市立月島図書館」とあり、おそらく「これは高く売れるぜ」と踏んだ貧乏中学生がガキの短慮の結果に間違いありません。ということは、それを売ったほうも買った私も同罪と認められます。しかし警察はいまだこの件について捜査に乗り出してはいません。赤い蔵書印だけが知っている秘密なぞに警察は用がないのです。
『レ・ミゼラブル』のジャン・バルジャンはたった一切れのパンを盗んで19年の獄につながれました。20年近くというのは何とも常識を超えていますが、それが脱獄を企てた追加刑のためなのです。その邦名『ああ無情』の作者は黒岩涙香こと周六、「まむしの周六」の異名は例の三面記事を追求していくしぶとさからきているのでしょうが、彼は明治のジャーナリスト及びコピーライターのはしりでもあります。
 この『ああ無情』も先の盗品と同様偶然の出逢いで実物が手元にあるわけですが、この場合はダーティな履歴というよりも、単なる半端ものということになります。買った値段は20年前で四千円ですから、当時の私にとってはたいへんな浪費でありました。しかし普通こんな値段で変えるしろものではありません。これも保存はあまり良くなく、前・後編のうち前編のみで、揃いでないというところが格落ちの値段となっているのです。
 
黒岩涙香訳『ああ無情』本文
 最近になってDVD映画「レ・ミゼラブル」を見ました。いいかげんなもので、先の本もパラパラ感触を楽しんだだけで、後編がないことを理由に、すべて読んでなどいなかったのです。
 20年たって映画で初めてこの有名な小説の筋立てがいかにすばらしいかが分かりました。
 改めて読むと明治本なのに実に読みやすい。明治で面白いのが「総ルビ」と呼ばれる「すべてふりがなが振ってある」本がよくあるということです。昔の本で漢字がどう読むか分からず、読むのがいやになったという経験がよくあると思います。そういう人は昔の文学全集を古本屋で買って読むといい。例えば改造社のオレンジ色の日本文学全集などがそうです。これはよくありますから、そう古書価も高くなく、現代の新本を買うより安く、しかも「総ルビ」で読めます。
 こうして映画から本へ、本から映画へ、現代本から明治本へ。読み比べてみるとまた面白い。写真で見ていただけると分かるように句読点「、」の形が異常に大きくユニークで面白い。
 特に涙香は特注の活字を使うなど、これもその苦心の跡でしょうか。

 
『レ・ミゼラブル』(岩波文庫)/コゼットは小雪と呼ばれた
現在、ビクトル・ユゴーの原作は岩波文庫の厚いので四冊とかなりの長篇です。これは重要部分のみ立ち読みしましたがちょっとしんどい。そこで急に安易になって児童文学全集にあたってみました。楽しみというものはまずは気楽に逍遥することから始まると考えていいでしょう。三省堂に行くと、あるある。まず、福音館が上下で充実していて題名が『レ・ミゼラブル』と原題と同じ。他は一巻本で、集英社と講談社の題名は『ああ無情』を採用していました。
 なぜこの物語はこんなに人気があるのか。まずは物語の最大の要件である「落差」、つまりエントロピーの大きさではないかと思うのです。たったひとりの人間の中の善悪・美醜の落差。大きな滝の高さに例えると巌頭と滝壷、ジャン・バルジャンという同じ人間の一生のうち、市長が巌頭なら、滝壷は獄門です。ちょうど、この『ああ無情』を涙香が出版した同じ年に、後に多くの人の語り草になる有名な滝壷での投身自殺事件が起こりました。しかしよく考えてみれば、この単なる一事件をここまで有名にした張本人は涙香その人だったのです。
 自殺した男は藤村操。日光華厳の滝から飛び降りた。一高生ですからエリートです。ですから言い遺した言葉も美辞麗句を連ね、何ともふるっています。
 「悠々たるかな天壌、遼々たるかな古今、五尺の小躯を以て此大をはからむとす。(中略)万有の真相は唯一言にしてつくす、曰く『不可解』」。つまり、五尺の小さい体をもって、この世界の謎を解こうとしたが真相は不可解であったというのです。
 涙香は即日「万朝報」紙上でこれを「少年哲学者を弔す」として次のように伝えました。我が国に哲学者はいない。この少年に真の哲学者を見る。というよりも死を賭けるほどの哲学者がいないということなのだと激烈な調子で語りかけたのでした。
 しかし、この死への賛美は後に日露戦争開戦肯定へとつながり、万朝報社内を二分し、ここで育った社会主義者はこぞって退社し、平民社を起こします。
 一方、『ああ無情』のジャン・バルジャンはフランスの市民革命に遭遇します。
 そして、自ら政治にも関わった原作者のユゴーは、バルジャンの過去を追い回すド真面目で陰湿で執念深い刑事ジャベールをずる賢い悪漢として描くのではなく、ここにも作者の愛がそそがれていることも重要です。彼は単に人間が作り出した社会の秩序と、法という権威に殉じた犠牲者にすぎません。だから、完全でない秩序、未熟な法という意識は彼にはない。要するに単純で真面目な役人なのです。これがずるがしこい功利的な小役人ならば話が横滑りして面白くも何ともないし、彼が自殺することもないということになるでしょう。すべて「ミゼラブル」な人間として描かれています。
 よく分かりませんが、フランス語の「ミゼラブル」にはどうしようもない人間から哀れむべき人間まで、とても広い意味があるようです。

 さて、明治涙香にかえりますと、いったい彼はどういう人間だったかということが気になります。しかし、こういう言い方はとても難しい。彼は例の三面で有名人の生活や扇情的暴露記事を掲載しました。明治版「噂の真相」、明治版週刊○○です。これについては痛快視する向きもあれば眉をひそめる者もあり、そのために彼は「まむしの周六」と呼ばれました。
 また、「ル・モンド」でしたか、外国の新聞にも赤みがかった紙を使ったものがありますが、万朝報もこれを使いました。ために通称「赤新聞」と呼ばれ、これが後に悪徳新聞の代名詞ともなってしまいました。このことからも当時の彼の新聞がいかに強烈なインパクトを人々に与えたかが想像できます。
 こうした報道合戦をめぐって、この後神田でも様々な火花が飛び散ることになります。青年会館(今のYMCA)でも連日怒号の嵐、神田警察がこれほど忙しい時期はなかったかもしれません。この辺りはまた、改めてお伝えすることにしましょう。
中西隆紀 フリーライター
1947年、大阪生まれ。多摩美術大学油画科卒。神田で『本の街』を創刊。『神田300年地図』発行。
ページの先頭へ

戻る

ホーム ホーム