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KANDAルネッサンス 53号 (2000.04.25) P.7 印刷用
我ら神田っ子15

吉川製本 四代目 吉川秀隆さん


 外堀通りを司町に向かっていくと、いろんな顔をした路地の風景をのぞくことができる。その一本に真徳稲荷の赤い幟が目を引く路地がある。その赤色に惹かれて入っていくと、隣から窓越しに大粉機械と、背丈を超えるほど積み重なった印刷物、そして吉川さん親子の息の合った作業姿が目に入ってくる。

最後は人間の目と手が頼り
「製本業として創業したのが今から30年前。それまでは紙の折り屋として、大正時代からここ司町で商いを始めていました。現在は軽印刷専門の製本をしています。大きくてもA3ぐらいまで。最近は紙の色や種類、材質が多様化してきているので、紙の質を見極めながら作業しています」と話す四代目、吉川秀隆さん。
 ドイツ製の大型製本機械が動き始めると、それまでの静寂な空気がかき消され、相手の話し声も聞き取れないほどの大きな音に包まれます。その中でも、紙を裁断する時に発生する「ギュウッ」という音は、背筋が寒くなるほど冷ややかな音。紙を切っているとは想像しにくい音が飛び込んできます。
「父親からは、紙を小さくするな、とよく言われます。小さくしすぎてしまったらやり直しが効かず、元も子もないでしょう。逆に、表紙をサイズ通りに切らないと中身とのバランスがくるい、使えなくなります。全部印刷しなおさなくてはなりませんから、微妙な間隔にとても神経を使います。また印刷にわずかな間違でもあれば、一瞬にしてゴミと化してしまう。それまでの労力と紙があっッという間に捨てられるなんて、悲しいですよ。消費文化の象徴といえますが、あまり気分の良いものではありません」。
 機械化が進んでも、最後に信用できるのは人の目と手。特に医学書は、数字の印刷ミスや活字の上に小さなゴミがあっても使えなくなるといいます。「人の生命に関わる本ですから、ミスは許されません」と、吉川さんの言葉に力が入ります、
 最近は速さが何よりのサービスとされ、製本業の存在も速さというニーズに応えられるか否かが分かれ道のようだ。半日で仕上げなくてはならない仕事もざらにあるという。また、パソコンの普及に伴い、ペーパーレス指向が強まりますます書類の保存形態が、変わっていくだろうと吉川さんは言います。
「時代のニーズは変わっていきますが、変わらないのは、本は壊れてはいけないということ。ただそれなりの出来であれば良いということではなく、ホチキスの針の始末や糊のつけ方など細かいところまで美しくキレイに仕上げることこそ我々の仕事。
 以前、何十年も前に手がけた本を再度作って欲しいと依頼されたことがありました。その本は手垢で汚れてはいましたが、貫禄があり、しっかりとお客様の手の中で大切にされていました。汚れた表紙を目にするのも逆に嬉しいものです」。

路地は製本屋の生命線
 現在、近隣の印刷屋から大口の仕事を頼まれている。大通りに面していないものの、取材中にも何人か気忙しく仕事の依頼にやってくる。静かな路地では、人の気配がすぐ分かるのだ。
「ここは場所がいいのです。近所に印刷屋や紙屋が多く、用があればサッとやって来る。また官庁街に近く、納品もスピーディにこなせますからね。ただ最近、神田を離れていく企業が増えていることを思うと寂しいですが……」と、吉川さん。
 路地だからこそできる仕事という理由の一つに、道路が時として倉庫のように使えることといいます。
「特に大量に締め切りが重なった時は、仕事場に置いておけないくらいですから、ちょっとの間路地を使わせてもらっちゃうんです」。
 通りを行き交う人々の顔が見える仕事場と、製本作業に取り組む吉川さんの姿が見える路地。ここには切っても切り離せないバランスができあがっているようです。

「神田が楽しい」と思ってほしいから
 昨年の神田祭以降、どうも神田に元気がないと吉川さんは呟きます。
「肌で感じるんですよ。現実を見まわすと、企業の撤退の影響が広範囲に広がっていますし、10年後の神田に不安を抱いている人も少なくありません」。町会の青年部連中も前向きではあるものの、一抹の不安は隠し切れないようです。
「でもね、追い詰められてもそこで負けないのが神田っ子の良い所」と吉川さんは言います。
「何が我々の心を支えているかって? やはり神田祭なんだよね。血が騒ぐというか……」。
 そして、吉川さんにはもう一つ血が騒ぐことがある。それは毎年夏に開催している子供縁日だ。今年で7年目になり、神田の夏の風物詩として馴染み深くなってきました。
「我々が子供時代に体験した縁日を伝えたい、というのがきっかけでした。おかげさまで、年々人気が出て、子供だけで400人も集まってくれるほどです。この子供の少ない千代田区に400人ですよ。私自身驚きました。きっと神田祭以上の盛り上がりと言ってもいいくらいです」。
 町会費からの援助と、地元企業がボランティアで出店。昔神田に住んでいた人が、懐かしがって子供を連れて戻ってくる。そしてその子供が友達を誘ってくる。そんな暖かい心意気がここまで大きな縁日として成長できたのではないかと、吉川さんは確かな手応えを感じているようです。
「ぼくらは縁日で育てられたようなもの。近所付き合いやお年寄りを敬う心、そして郷土愛。すべてここで教えてもらいました。次の時代を担う子供達に神田の良い所を忘れて欲しくない、神田が楽しいと思ってもらえるようにと願えばこそ、子供縁日に力が入ります」。
 これからの季節、吉川さんの多忙な日々が続きそうです。




吉川秀隆 吉川製本四代目 
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