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神田資料室

KANDAルネッサンス 43号 (1997.10.20) P.10〜12 印刷用
神田仮想現実図書館4

超純水という名の幻想

中西隆紀

 古都には寺町がよく似合う。石畳を行くと苔むした木陰がそこにある。
 全国には「小京都」と呼ばれる都市が散在するが、そのどれもが「寺」の存在抜きには語れない。
 東京を小京都という人はいないけれど、谷中など寺町と呼べる地域は存在する。千代田区、中央区など都心部には寺はほぼないといっていい。現在は文京区や浅草など都心周辺部に半円を描くように分布している。
「神田は昔寺町であった」というと驚かれる方がいるかもしれない。江戸の輪郭がようやく出来上がった頃だ。当時大小約20の寺が古地図で確認されるが、あの有名な振り袖火事以後、神田川を越えて今あるような郊外へと移転していった。
 したがって今でもたまに神田から人骨が出土することがある。それを忌み嫌う人もいるが、考えてみるまでもなく、もともと我々の大地は多くの生物の屍から成り立っているのだ。たまたま拾った石ころ一つにも、太古の植物の生活や水辺の生物の記憶が折り畳まれ、封じこめられている。
 そして、これら封じ込められた記憶というものが、単に我々の幼少時代というにとどまらず、もっと奥深いところで何らかのメッセージを送り続けているのではないかと考えても何の不思議もないだろう。
 一見豊かに見える都会生活の中で、その飽食からくる疲労の代償としてよく「やすらぎの空間の想像」などという言い方をする。しかし、これは役所のパンフレットみたいなもので、その実体は杳(よう)としてつかみ所がない言葉でしかない。いったい我々は何に安らごうとしているのか。ファミコン、カラオケ、イタメシ、パチンコ、快楽はどうもカタカナでやってくるようだ。しかしこれも本当の安らぎからは程遠い。要するに快便快眠がいちばんなのだが、メシ食って快便快眠だけではどこで人間をやっているのか、もう考え始めると夜も眠れない。
 こうしたやすらぎに通じる過去の記憶とはいかなるものか、私なりにもう少し掘り下げて検討してみたいとふと思った。
 その結果たどり着いた結論が「水」である。これは本当に冗談ではなく、物事を掘り下げていくと水が出てくるのだ。それはちょうど弘法大師が地面に杖の先を置くと、とたんにそこから泉が湧き出すようなものである。したがって弘法の井戸は全国各地にある。水のない所に人の生活はないという。空気だって同じことだ。しかし水分のない空気というものもないだろう。そして、それらをもっと正確に言えば「水と生活の記憶はとてつもなく深いところでつながっている」ということにでもなるだろうか。

 物の本によると、水にも記憶があるのだという。この言い方はいささか文学的で、科学的にとらえると来歴といったほうがいい。
 喫茶店でテーブルに置かれたコップの水に過去の記憶を聞いてみた。「遠い遠い昔、お前はいったいどこにいたんだい。お前は蒸発してもなくならない。地球上を宛て途もなく大循環を繰り返していたのだろ。巨大な海溝を抱えた大海原、そして蒸発して雲、水滴が重さに耐えかねて雨・川・そして植物の茎、動物の胃、大地など、連綿と続く大循環の記憶……」。だがしかし、その変転はテーブルの上に何の痕跡も残してはいなかった。無色透明というのは本当にとぼけている。最近の若者の清潔指向の世相を反映して「俺はミネラルウォーターだぜ」なんて乙に澄ましているのだ。そして、それらすべての来歴を韜晦(とうかい)して、さも「私は何にも知りません」という顔をしているのだ。
 しかし一杯の水には、潜在的にある力が秘められているのではないかと考えられる。それも「太古の記憶を呼び覚ますような」などと夢想しながら喫茶店をあとにした。
神田すずらん運河通り(合成)
 そして陽に焼けた本が並ぶ街角を曲がり、一つ裏の「神田すずらん通り」にさしかかった時、「おっ」と思わず声がもれた。あごの下を風がなぶって過ぎていく。お前も太古の風か。何だか様子がおかしい。チリンと風鈴のひと鳴き、そして「豆腐い〜」の声。変な取り合わせだ。この辺りに豆腐屋が来なくなってもう30年以上たつだろう。神田もどこか様子が変わったな。しかし豆腐屋はいない。するとどこからか、さらさらと流れるせせらぎの音がする。そして眼前の異変に目を疑った。見れば小振りのすずらん通りが両側の歩道だけを残して豹変していたのだ。
 何とアスファルトの車道は深くえぐられ、満々と水がたたえられているではないか。澄んだ水底の藻のカーテンを分けて銀鱗が光ったような気がした。水面は手の届く程近く、両側の歩道だけが残され、私の驚きをよそに人々は可愛らしい水の回廊を何事もなかったかのように散歩している。真ん中の車道はいつの間にか小川になっていた。水面を這うように風が通り過ぎ、さざなみが立った。確か昨日まで狭い通りは一方通行で猫道をたどるようにゆっくりと車が通っていたのだ。その車道が今満杯の水をたたえて心地よい音をたてながら三省堂の方へ流れている。歩道にはベンチが置かれ、東京堂の前には漆色の小さな橋まで架かっている。何ということだ。さらに欄干には「渡り初め」と書かれた流麗な文字まで浮き出ていた。
 渡り初めなんていう橋の名前があるものだろうか。すずらん通りには「すずらん橋」か「神田小橋」がいいに決まっている。そこまで考えて「いや、待てよ、こんな短絡的な思考回路が蔓延しているから街はいつまでたっても、廊下に立たされた子供のように何かを待ち続ける人間しかいないのだ」と反省した。待つことなんかない、常に渡り初め、誰が付けたか知らないがこれでいいじゃないか。恐る恐る小橋を渡る。すると急に外灯が灯り、墨を掃いたような冷たい闇のシャッポが上から下りてきた。どこからか三味の音がしてぷつんと消えた。そして「もうお稽古なんか、いや」という幼い声が「東京堂人力寄せ場」の2階から聞こえてきた。
「あああれは『金魚亭冨山房』のかみさんだな、何もあんなに子供に仕込むこたあねえ」とふと思った。しかし金魚亭といい東京堂といい、どこか涼しい風が吹いている。さあて、この端はどうなっているんだろうと思って、すずらんの遊歩道をさらに行くと、駿河台交差点の前で川は終いになっていた。おそらくこの先は水は地下に潜り込んで大川へと流れ込んでいるのであろう。乾いていた昨日が白昼夢のようだ。そしてふと横を見ると三省堂の前庭から明かりがもれている。ビルの前の入口は平屋の木造になっており、その正面は白い障子の引き戸になっている。そして書かれている文字を読んだ。そこには墨の香も新しく「船宿 三省堂」とあった。
 船溜まりに船や宿か、ほろ酔い加減の二人連れが「三省堂で休んでいこうぜ」と隣の肩を小突いている。「あの野郎、三省堂にしけこむつもりだな」やっかみ半分、そねみ半分、ねたみ半分、外野がまた自らの容量を越えて他人を肴にしている。本当はだな、人間の存在は地球より重く、林檎よりも軽いのを知らないのかと言いたくなった。

 神田はいったい軽くなったのか、重くなったのか。この分でいくと昔の「すずらん湯」もどこかに隠れて「スパ・リゾート」かなんかになっているのに相違ない。最近は特に時計の針が早いのだ。特に都心は目覚ましく、そして台風の目のように中央の皇居でどんよりと無風になっている。
 そしてウォーターフロントは別にして、つい最近まで水路をつぶすのは当り前のことであった。東京でその例を挙げれば枚挙にいとまがない。昔の水路は多く今、道路か乾いた公園になっている。そして今この「すずらん運河」。何としっとりと、歩く人と神田の夕暮れが調和していることだろうか。これはまったくこの水路の突然の出現のせいである。道路を水路に変えるとは何という千代田区長の壮挙であろうか。全国でも初めての試みであるに違いない。早晩、銀座や新宿、渋谷にも街中に小川が出現することは間違いないものと思われる。
 しかし考えてみれば、彼「水」の場合、神田も仮の宿でしかない。再び蒸発するか、流れに身をまかせるしかない宿命であった。また、水は同じミネラルでも人間に良いもの悪いもの両方をその中に溶かし込む。だからその包容力はとてつもない。そして、どんな形にも収まるものだから、始末がいいのか悪いのかすら見当がつかない。
 荀子の言葉に「水は方円の器にしたがう」というのがある。方は四角、円は丸、したがってどんな形の器にも収まる浮気者という意味らしい。そのかわり包容力は限りが無い。そして太古の海はすべてを取り込んで溶かし込み、その中から我々の遠い祖先である生物が生まれたのだ。したがってこれがまず私たちの「第一の記憶」ということになる。
 我々は単純に「水」と言う。化学式でH2Oと考える。しかし純粋なH2Oはこの世に存在しないのだという。H2Oは今のところ観念的な水なのだ。実験室でもゴミだろうが何だろうが何らかの闖入者によってすぐ侵されてしまうのだという。逆に言えば、すべてのものとすぐ溶け合って仲良くなってしまうのが水であった。
 コンピュータ世代は特にこの傾向が強いが、H2Oの観念的な水のほうが現実の水に先行する。現実の水は彼らのいう不純物、飲んでも何の害もないゴミ、微生物の死骸などに満ちている。しかし彼ら現代の若者は単にボトル入りのミネラルウォーターに純粋のイメージを重ねて、さらに殺菌しきれない部屋にイラつきながら、無菌と純粋の幻想の中で眠ろうとする。

 純粋な水とはどんなものだろうかと思って、今流行りのウォーターフロント、お台場に出かけてみた。海の風は実に気持ちがいい。私はこの海の風、第一の記憶だけで充分なのだが、子供と母親は冷房付きのテントにもぐり込んでサーカスを見るのだという。私の場合は赤・青・黄色のライトの下の軟体少女を見るよりは、水族館でクラゲのめくるめくような優雅な動きを見ていたほうがずっとましに思えるのだ。しかしそんなことを言い出せば「いつも勝手なお父さん」、これで終わりだ。「お父さんはね、水の科学館に用事があるんだ」ということにして、またもや単独行を決め込む。水の科学館とサーカス、いずれにしても子供の場合は行ってみないと分からないのだ。母親の意見は子供の意見、そういう時期が過ぎ去るまで、またの機会を待つことにした。
 この近辺も水に関しては様々な工夫がこらされている。ホテル日航や科学館の前庭には瀟洒な池が設けられていたし、他のウォーターフロントでも天井から落ちてくる巨大な滝、霧を噴出させる池など、一度は行ってみたいとわくわくさせる水の企画が目白押しであった。しかしそれらはどこか白々しい。巨大な滝に、当たり前だが修験道の行者はいない。なぜならそれらは見せ物だったからである。そこでしかできない何らかの体験とは滝が落ちてくる間、最も地味な眼の快楽が数秒続いただけであった。見せ物は一回見れば飽きてしまう。また、自然に触れるような奥行きがない。アイデアは悪くないのだ。しかしそれで終わっている。人工物の作者は自分のつくった建物でくつろがず、家の自室にこもってやっとくつろいでいるのであろうかと思わせた。
 科学館は他人の子供でいっぱいだった。様々な水の遊びがあって、巨大なしゃぼん玉の中へ入ることもできるし、水滴が決して涙型ではなく饅頭型であることも観察できる。テーブル上の実験ももう少し余裕があればもっと面白くなる可能性がいっぱい詰まっていた。いずれにしても最近の施設が見るだけではなく「体験型」であるのは喜ばしい。子供は面白い体験は何度でも繰り返す。そういう意味では大人の空間も同様であるはずだ。私も同様だが、自室で籠もる以外楽しい空間をつくるコツを忘れてしまった人種を大人というのかもしれない。
 帰り際に不思議な文字に出くわした。「超純水」。これにはたまげた。こんな言葉は聞いたこともなければ、見たこともない。純水の上に超が付いているのだ。水の世界にも頂点があるのだろうか。いずれにしても過激なネーミングだ。また逆に、何でも「チョー」を連発する超軽薄なネーミングでもある。
 しかし残念ながら、超純水なるものは展示されていなかった。あったのはパネルの説明板だけだった。これによると超純水はミクロ単位の半導体の洗浄に使われるのだという。不純物を極力取り除いた限り無くH2Oに近い超純水。これを半導体に漬けてやると逆に半導体のミクロの汚れが純水へと移行する。これが洗浄のしくみだ。つまりこれは、純粋ゆえにどんな色やゴミにも染まりやすい性質を利用して単に汚れを移動させただけなのだ。純「水」と純「粋」。言葉は違えどこれらに寄せる人間の幻想は実に軽薄である。「あの人は純粋な人間だ」という言い方も使う人は多発し、使わない人はまったく使わない。漠然としていて実体が感じられない言葉だからこそかえって他人まかせの人にとっては好都合なのだろう。一方、世の中の実体のあるものはすべて混じりけがあるという認識には、どこか人をほっとさせるものがないだろうか。純粋な心、純粋な人間という言い方はもうすでに言葉で破綻しているのをうすうすは知りながら、我々はなぜいつもこんな単純な思考回路に振り回されるのだろうか。
 すずらん通りにすずらん橋、人間という不純物に純粋を付けてみる。これではまったく内容がないのだ。
 ここに一幅の絵がある。あらゆる色に囲まれ、種々雑多なものが描かれているが、ピカリと光る美しい色がある。しかし、美しい色は実はそれだけではなく、まわりにある濁色が演出してくれていたのだとその時気が付くことがある。
 我々はすべて濁色である。混じりけのあるのがこの世のものである。そして水はあらゆるものを取り込んで、生物の生みの母となった。純水。あらゆるものを取り込むもの。その男凶暴につき、注意されたし。




中西隆紀 フリーライター
1947年、大阪生まれ。多摩美術大学油画科卒。神田で『本の街』を創刊。『神田300年地図』発行。
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