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KANDAルネッサンス 39号 (1996.10.20) P.2〜3 印刷用

特集 お茶の水 音楽のまち

 カザルスホールをはじめ、世界各地で幅広い活動をされているクラリネット奏者の村井祐児さん。昨年7月には、外神田の教会でコンサートを開くなど、神田での思い出も数多くあります。中でも、教鞭をとっていた東京芸大付属高校のあったお茶の水界隈には強い思い入れがあるようです。
 まだ蝉の声が暑さを感じさせた8月最後の土曜日の夕方。村井さんとお茶の水駅で待ち合わせをし、一緒に歩いてみました。そして、村井さんから、キーワードの「音楽」のまち“お茶の水”について語っていただきました。

音楽は静けさ

クラリネット奏者 村井 祐児

 音楽をしていて思うのですが、音楽は静けさのためにあると感じます。
 つまりff(フォルテシモ)という最強音も、その後にくるpp(ピアニシモ)の為の対照としてあり、佐渡は鼓童の太鼓のパラパラと鳴る雨の音も素敵だが、最後に現れる大太鼓の一打の後にくる悲しいような静けさ、その為だけにあるような気がします。
絵の前での感動もほとんど自分一人が静けさの中に居り、エネルギッシュな弱音の中での感動も、自分は、高速度カメラで映し出される過去の記録のように、時間が止まり、さらにゆっくりと動いてゆく無音の(または海の中の)静寂の中にいるのです。また、大きな鐘の音を聴く時も、私達は音の色、音の幅、音の渋みを悦びつつも、最終的にはあの鐘の音と共に静まってゆくpp(ピアニシモ)へ、沈黙へと消えてゆく余韻の細い糸にすがって静けさの中に吸いこまれてゆくのを願っているのです。
 お茶の水を汲み、湯を沸かしながら鐘の音を聴いていた昔の人達は、私の故郷、札幌でやはり時計台の鐘を遠くの丘で、働きながら聴いていた時の母と同様に『静けさ』を知っていたのだろうと思います。
 音楽をしていると、たまに舞台の上で、今、その静けさが舞い降りてきているのを感じることがありますし、聴いている時も、度々その神様のような静かなものが、じわりと自分を包んでくれているのを感じます。

さて、新宿から電車に乗ってお茶の水駅に近づくと、横に神田川が現れ、急に深く遠くなり、高低さが増してドラマティックな風景となり、昔の人は谷底を歩いていたのか、上の方を歩いていたのか知りたくなったりします。川辺に細い道でもついていて旗の立つお茶屋さんでもあったのでしょうか? それとも水量がもっと多くてお茶どころではなく、上の方に畑があって下はライン河のようだったのかしら。そういえば駅をすぎると左手の岩の中から突然赤い地下鉄が出てくるほどですから、あのあたりはローレライのような難所。カザルスホールから聴こえてくる妙なる音楽に魅せられ、舟人が沢山遭難したとか………。
 どこの町を訪ねても駅を見ないとその町を知った気になれない私は古いタイプ。お茶の水も駅を降り、水道橋側の改札口を出ると居るわ居るわ学生達の群。特に予備校生達の群は私の最も苦手とする所。若さと反抗心又は個性という感じは全くなく、いつも日本風に集団で、その中をよろ少し抜きんでようとするスタート時からの没個性。彼らが駅から数百メートル四方を占領し、簡単な食事と簡単な時間つぶしを連日繰り返すと近所の商店も、その量と薄利のための店に押しつぶされ大人の店は皆無か、あるいは、ずっと道を下るなり横丁に入らないと「お茶の水」という言葉にイメージされるような場は見つからない。少し歩いてみたが、文化の発信地だった日仏学院も、わが芸大付属高校模向かい合って両方共に無く、以前ようやく見つけた大人用(?)の天ぷら屋さん(太の字がついていた)も、和食を昼に食べさせてくれた割烹もいつのまにか無い。
 カザルスホールに入ろうとすると向かいの明大校舎から、そてはそれは下手くそなラッパやサキソフォンの音が聞こえ、苦虫を噛みつぶしたような顔で駅から雑踏の中を歩いてきた私をニッコリさせてくれたものだが、これも、今日行ってみたらきれいに取り壊されていて、どこもここも人の群か、変に取り澄ましたビル群。カザルスホールの前のほんの少しの空間にベンチでも置いては、と取材の女性がいってくれたが、これとてウンコ座りの学生に占領されるのがヤマ………。もう、こうなったらドイツ風にホーフ(HOF)をまねて四方を囲った建物を作り、その中庭又は中庭からさらに奥に入ったホールで音楽をしないと、静けさは無理。
 坂があって期待していたのに、やはり東京の街は人の数に負けてゆくのでしょうか?


 一つひとつ思い出を確かめる楽しい散歩でした。
あまりの町の変化の早さに驚きの色を隠せなかった村井先生が終始口にしていたのは、「人が多い」こと。ことにお茶の水は学生達の若さが町のイメージを作っているとはいえ、その中に「音楽」の要素を取りいれるには、現在の町並みでは困難を要するというご意見でした。
 しかし、音楽の国オーストリアやドイツなど海外へ旅が多い村井先生ならではのアイデア、さすが音楽家としての町の見方の格調高さを実感した一日でした。



村井祐児 クラリネット奏者
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