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神田資料室

KANDAルネッサンス 38号 (1996.07.20) P.4〜5 印刷用

特集 秋葉原 現在・過去・未来

秋葉原いま・昔

鐘の音響く、外神田の大時計
 上野に下車するお上りさん達に「文明開化」のシンボルとして瞠目され、また須田町方面への恰好の道しるべとしても重宝がられた京屋時計店時計塔。
 明治9年頃建設され、解体された大正5年頃まで時を刻みつづけました。場所は当時の外神田旅籠町1丁目13番地、現在では、電気街にまっすぐ伸びる中央通りに面する東京三菱銀行秋葉原支店(外神田3丁目)のあたり。京屋時計店の創業者であり時計塔の設計者でもあった水野居和造氏は、明治6年頃旅籠町で時計舗を開業。明治期の東京時計業界の巨頭の1人と伝えられています。
■土蔵造2階建ての屋上に、屹立していた時計塔は、非常に高音の鐘の音だったという。
(参考・平野光雄著『明治・東京時計塔記』)
はじめは貨物駅だった〜JR秋葉原駅
 明治19年、東京湾との舟運連絡のために、当時舟運に便利であった神田川に面した昌平橋と和泉橋との中間秋葉ケ原の空き地に、貨物取り扱い所が設けられました。のち23年に上野・神田川河岸間貨物線が開業しました。水運・陸運ともに富んだ神田の交通事情は、まさに文化・情報の交流地点を作りました。
 下の写真は大正14年のもの。線路を高架化し、停車場史上初めての試みであった立体貨物駅として注目されました。
■現在は京浜東北線・山手線・総武線が乗り入れている。1日平均20万人が秋葉原を利用するという。
■駅の前にはどんな景色が広がっていたのだろう。現在は神田市場跡地の広場でバスケットボールやスケートボードを楽しむ若者の人気スポットに。
神田で誕生した百貨店 伊勢丹
 10年前に創立100周年を迎え、今やデパートの老舗としても名高い伊勢丹。実は発祥地は神田なのです。
 住所は東京市神田旅籠町2丁目4番地、現在の東京都千代田区外神田1丁目5番地です。明治19年11月5日に『伊勢丹治呉服店』として創業、お馴染みのトレードマークもこの時に誕生しました。当時の神田の街は、明治23年の秋葉原貨物駅が新設、36年には路面電車が走り、45年には万世橋駅が開業する人の集まりやすい場所でした。特に中仙道(今の昌平橋通り)に面した旅籠町は人通りが多く、商店や旅館が軒をつらね、芸妓を抱える講武所花街を有していました。ちなみに旅籠町の由来は、中仙道を往復する商人や旅人のための旅館が多くあったことから名付けられたといいます。(『伊勢丹75年の歩み』参考)
道路に、頭上に電車の走る街
 現在の神田消防署前交差点(神田淡路町2丁目)付近。昌平橋を渡る路面電車は明神下方面へ向かっているのでしょうか。高架の先に見える町並みがやけに賑やかそう。


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