KANDAアーカイブ

神田学会
お知らせ 神田資料室 神田マップ 神田写真館 百年企業のれん三代記 神田の花咲かじいさん 出版物紹介 神田学会とは 神田学会資料請求 関連リンク Perspectives in English 神田アーカイブとは リンクについて 問い合わせ

神田資料室

KANDAルネッサンス 34号 (1995.07.20) P.2〜3 印刷用

特集 太田姫稲荷神社

高台にそびえる高層オブジェ 〜三井海上火災保険株式会社

 学生街のシンボル、中央大学の校舎の移転後、昭和59年3月に地上24階、地下3階の三井海上本社ビルが誕生しました。
 近隣住民の生活空間を守ることを第一に、「緑と水と坂」がテーマのこのビルには1〜3階部分をくり抜きビル風対策を図り、その先に中庭が眺められるようになっています。また、ビルを囲む豊かな緑は人々の心をなごませ、高層ビルという圧迫感を緩和してくれます。大手町の高層ビル群をも見下せる高台に建つビルからの眺めは格別の素晴しさがあります。
私の少年時代 —同社石川会長インタビュー
名投手と学んだ錦華
 私は大正14年に駿河台の浜田病院で生まれました。私を含め兄弟5人浜田さんのお世話になったんです。実家は当時、一ツ橋通り町20番地と呼ばれ、家の周りには、医者、ブリキ職人や表具師がいて活気のある所でしたね。親父も通った錦華小学校へ行きましたが、同級生で後に日本人で初めてフォークボールを投げた中日の名投手杉下茂がいました。小学生の時から一まわりも大きい身体と豪速球を投げることで有名で、試合の時も、杉下とキャッチャーさえいれば他の守備の者は遊んでいても楽勝と言われていたくらいですからね。近所には同年代の遊び仲間がたくさんいました。今はなかなか聞こえなくなりましたがニコライ堂の鐘の音が合図で、みんな急いで家へ帰ったものです。
行きたかった映画館
 近くのさくら通りに、東洋キネマという映画館があって時々洋画も公開していて観に行きたかったのですが、親から止められてましてね。映画イコール“不良の観るもの”というイメージが強かったんでしょう。ほかに日活、銀映座(ル:ギンエイ)、南明座(ル:ナンメイ)などたくさんありましたよ。その代わりに寄席によく連れてってもらいました。立花という寄席によく行きましたね。あと花月。これは救世軍の建物の向いにあったと思いますが。それから兄に連れられて後楽園まで野球を観に行きました。巨人の三原や水原が活躍してころで楽しかったです。
屋台のにおい
 実家は三崎神社の氏子で、お祭りといえば神輿に屋台ですね。親から買い食いを禁止されていたので、焼きそばやお好み焼きのソースの焦げるにおいを嗅いで我慢しました。当時は、寿司の屋台が多くて職人さんがよく食べてましたね。その頃はとにかく安かったんです。
“やせがまん”の教え
 親からは「やせがまんのできない子はだめだ」とよく言われました。親の言う「やせがん」は、泣きっ面を見せるな、情けなく感じても表にはそれを出すなということだったと思います。
 神田で育ちまた神田で会社を更に発展させるためにも、感謝の念を忘れてはなりません。毎年正月と株主総会後には、必ず太田姫稲荷と神田明神へ参拝しています。

ゆるやかに流れる大正モダニズムの息吹 〜主婦の友社

 大正14年11月に竣工した本館(現お茶の水スクエアA館右あたり)は、その2年前に起きた関東大震災の経験に基づき、地震と火事に耐えうるものでなくてはならないことを第一条件に、創業者石川武美氏がかねてからキリスト教の関係で知り合っていたアメリカの建築家ウィリアム・ヴォーリスに設計と監督を依頼し、東京での復興第一号になるということで各方面から注目されました。地上4階地下1階の鉄筋コンクリート建築、外壁には古典的な彫刻が施され内部には大理石を使い暖かい雰囲気に包まれ、外観の芸術性・機能性・耐久性の3拍子兼ね備えた建物になりました(現在のビルには当時の外壁の彫刻や窓枠がはめこんである)。昭和13年、左隣に同じくヴォーリスにより建てられた新館は、GHQの米軍婦人部隊宿舎として使用されたというエピソードが残っています。女性に使い易く、清潔感ある内装が敗戦後の東京では珍しく接収された理由もそこにあるのではといわれています。
 昭和62年10月、装いを改にした社屋は12階の近代的なビルの前にヴォーリスの設計を忠実に受け継ぐ2棟の建物の堂々たる姿が逆に新鮮に写ります。また音楽・文化のシンボリックな存在になりつつあるカザルスホールをはじめ、情報・文化の発信地として、改たな歴史の一ページを開いています。
ヴォーリスの功績
 W・メリル・ヴォーリスは、明治13年米国カンザス州生まれ。明治38年にキリスト教布教のため来日。日本では400余の住宅を残しているが代表作に大阪心斎橋の大丸百貨店・神戸ゴルフ倶楽部ハウス・明治学院チャペルなどがあり、神田には主婦の友社々屋のほかに山の上ホテル・石川武美邸(現存していない)がある。ヴォーリスは昭和16年に“一柳米来留(ひとつやなぎめれる)”という名を得て日本に帰化した。温りがあり、芸術性の高い彼の作品は今日も愛され続けている。


ページの先頭へ

戻る

ホーム ホーム