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神田資料室

KANDAルネッサンス 33号 (1995.04.20) P.4〜5 印刷用

特集 神田西口商店

昭和薬品(創業昭和30年)
 現在商店街には3件ほど薬局屋があります。その中の新谷正樹さんが経営するお店は商店街に初めてできた 薬局屋なのです。

木造2階建てでスタート

 私(新谷正樹さん)が神田に来たのは昭和50年でした。当時は距離制限という半径200m以内に同業があった場合は開業できないという制限がありました。そのため昭和薬品(株)という会社ごと買ったのです。
 当時は商店街も物販が2、3件しかなく、しもた屋が多くありました。
 店舗は古い木造の2階建て。2階には大家さんが住んでいました。開業して6ケ月後に建て替えることになり、その時仮店舗で借りたのが現在の本店です。

これからも西口で…

 開業当時、広域にチラシ等の宣伝をしたこともあって遠方からのお客様が随分ありました。近年は至る所に同業ができたこともありそのようなお客様は少なくなりましたし、神田もビルの空室が多くなりましたね。
商店街の進めているカラー鋪装の計画や各種イベントなど、商店街が更に発展するよう努力していこうと思っています。
神田 淡平(創業明治28年頃)
 伝統の味を守る煎餅が所狭しと並ぶ店内。いつまでも神田で愛され続けています。

“激辛”はここで生まれた!

 以前からさんしょうや七味のきいたお煎餅を作っていたのですが、永六輔さんがラジオで当店を紹介してくださったのがきっかけで、それ以来聞きつけたお客様からの「もっと辛いものを!」というご要望から激辛煎餅ができたんです。“激辛”という名で商品を出したのは当店が初めてで人気商品になりました。それからあちこちで激辛商品が出回りブームになりましたね。一種の社会現象のようでした。昭和61年の流行語大賞の新語の部で表彰までいただいたんです。
 
“きどらない”それが神田流

 神田にお店を出して30年程たちます。現在私で4代目になりますが30年前の通りは長屋ばかりでした。今はビルが建ち並んで眺めも一転しましたが、いつまでも変わらないのは神田には人情の厚い人ばかり集っているということです。お店に座ってても不思議と落ち着くのは、やはりお客様にも下町に思い入れの強い方が多いからだと思います。そして何よりも気どらないことですね。
 人気商品は丸せんべい(1枚110円)。鈴木さんの暖かい笑顔で一杯のお煎餅屋さんです。
中華料理 華福
 先代伊藤省一さんの無類の落語好きから誕生した華福寄席は昭和60年11月30日に始まって今年で10年
 目。今や西口商店街の名物に。

継続は力なり〜華福寄席〜

 寄席のときは3階の宴会場が華福演芸場になり、現在は年に2〜3回のペースで興業しています。
 前座さんに活躍の場えを与えたい。寄席の伝統文化の継続そして生の良さを分かっていただきたいという先代の願いが込められています。昭和40年に現在のビルになったのですが、すでに3階には寄席ができるような舞台や看板を設けました。最初はなかなか人の入りが悪かったり、咄家さんのスケジュールの都合を合わせたりと苦労もかなりありましたが10年近く続けてきて思うことは「継続は力なり」につきますね。今までに木久蔵さん、金馬さん、圓蔵さんそれから林家こん平さん、猫八さんなど大物の方々に出ていただいています。
 これからもお客様に喜んでいただける寄席を目指していこうと思います。

ホテルに負けないおいしさ

 戦前は同じ場所で炭屋を経営していました。戦後は米を扱ったりもしていましたが、飲食を扱う店が必要ではないかと考え、寿司、そば、和食の3種類を始めました。中国料理専門のお店にしてからは5年目になります。
 当店の自慢は何といっても材料、蝶理技術はどこのホテルにも負けないということ。とにかく手ごろな値段で本格的な中国料理を召し上がっていただきたいですね。
かね本 野田岩(創業昭和56年)
 麻布に本店がある鰻の老舗「野田岩」ののれんが神田にお目見えして約14年。この道40年余のご主人金本雅夫さんの腕、そして上品な器に見せられてやってくる口コミの常連客が多いようです。

40年は向上心の積み重ね

 高校生の頃から父(4代目)や兄と一緒に調理場に立っていました。今まで鰻一筋でこれたのも師匠である父の教えのおかげと常に向上心を持ち続けてきたことが一番だと思います。向上心が欠けると自堕落になってしまいすぐにお客様に見透かされてしまいます。いかにおいしい鰻を差し上げるかが私にとっての最大の課題。結局それは鰻だけでなく鰻がのる丼や漆器類、店内にある物すべてに気を配らなくてはなりません。単に色が素敵だからだけではコレクションで終ってしまいます。陶器でもその魅力が十分生き愛されるものを自ら探しに行くんですよ。常に先を見て動くこと、それが私の向上心の源です。

夢を神田で実現!

 以前から家内と2人で直接お客様と会話ができるくらいの店を持ち、独立することが夢でした。下町神田は麻布生まれの私にとっては憧れの地で、お店を出すなら神田しかないと考え続けていました。そして昭和56年に鍛冶町に店を構えました。その後鉄道工事のために引越しがあり西口商店街に越してきてまだ3年目です。もうここから離れる気はありません。むしろここで夢が実現したのですから知り合えたお客様との縁を大切にしていかなくてはなりません。そもそも西口で開店する時に広告を出さなかったのは、外部の助けを借りずに自分の力でお客様にお越しいただける店にしたいという思い入れが強かったからです。
「趣味の良い丼で食べてこそ粋」とご主人。夏冬の丼を使い分ける凝りようには鰻にかける信念が感じられます。「余計なことはせず鰻一本」と言い切る金本さん。食後には自家製のわさびシャーベットがおススメ。他に、しそやゆずなどがあり、口の中を爽やかにしてくれます。
がんこ鮨(創業昭和40年)
 西口商店街にはお寿司やさんが目立ちます。さすが寿司どころ神田です。商店街の理事長を務める堀田武三郎さんも寿司屋の初代ご主人なのです。

2代目はがんこ“一徹”

 今の屋号は浅草の修業先のご主人からいただいたものなんです。神田は昔から寿司どころだと耳にしていたので、店を出すのなら絶対に神田だと決めていました。開店当時は夜中の2時まで休憩時間を惜しんで働いていました。大手町や丸の内からもお客さんが来てきださってあまりの人の多さに、足音が雨の降る音かと勘違いしてしまう程でしたね。
 京都で3年修業してきた息子の晋一(32才)が独立して神田駅前に店を持ちました。屋号は「一徹寿司」と付けました。
「人世で大切なのは心の健康。そして世の中で1番自分が好きだと言えるようになりたい」と堀田さん。寿司職人には技りょうだけでなく人としての器ができていなくては失格だとか。なるほど、板前さん達の威勢の良さは堀田さんの教えをきちんと受け継いでいるからなのですね。
ビストロ コロンブス(創業平成6年)
 木の香りと柔かいライトが忙しげな空気を和げてくれる店内。洒落たお店が昨年誕生しました。

西口にこんなお店が欲しいな

 以前は父が20年程中華料理店を経営していました。私がこの地を引き継ぎお店をオープンしてからまだ1年ですが、普段慣れ親しんでいるお店にプラッと気楽に入れる飲食店が欲しいなという気持ちを込めて作ったお店なのです。

新しい発見…コロンブス

 とにかく地元の方々に来ていただきたいですね。西口商店街への希望や期待をこのお店を通して皆様にお伝えしたいのです。常に新しい発見をし、努力していく信念を持ち続けようと屋号にはそのような私の気持ちから生まれてました。
 新鮮な材料、季節を食していただきたく、2月から新しく2週間ごとのランチ(800円〜)の献立を登場、また夜9時以降はレストランバーとしてゆっくりお酒を楽しんでいただけます。人気の高い“シェフセット”は、お客様の好みや好きな食材でメニューを決めていくもので、お客様と共に新しい喜びを作り上げる当店ならではのメニューです。
 気の合った仲間で円テーブルを囲めば会話も献立の仲間入り。会社帰りに寄ってみては…。


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