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神田資料室

KANDAルネッサンス 29号 (1994.04.20) P.10〜11 印刷用
私説神田豊嶋町

神田探訪(18)

藤井康男


東京・名古屋・大阪人
 次に並べる数字は何をあらわすか、というクイズで今回は始まり。
 大阪1.60 東京1.56 鹿児島1.33(参考までにパリ46 マニラ24)
 実はこれは歩行者の平均速度(メートル/秒)を比較したものである。驚くなかれ、大阪は調べた限りでは世界一。二番目は東京だというのである。我々は何となく江戸っ子は気が短かく、関西人はのんびりしているという一般常識のようなものを持ってしまっているが、事実は反対で大阪人の「いらち」(短気というようなニュアンス)は何と世界一なのである。
 先日たまたま大阪出張の時、何か面白い本はないかと駅の本屋を物色していたら、『大阪学』(大谷晃一・経営書院、千二百円)という妙な本が眼についた。早速買って大阪迄の間に面白いので読み終わった。この歩行速度はこの本に出てくる。著者は大阪生まれ、もと朝日の記者で現在、帝塚山学院大の教授。
 この表題で大学で講義したものが今若者の間でウケているという。東京と大阪は同じ国と思えない程違う。しかしその違いはもう一つつかみどころがない。その点この本は相当いい線で様々なアプローチをやっている。もちろん優劣論ではない。あんまり面白かったので会社の営業担当にまわしておいた。
 世俗に東名阪の違いは多くのたとえやジョークになっている。私が最近聞いたのは次のような話である。「東京ものと名古屋人と大阪人が飯を一緒に喰った。東京ものは内心『これは自分が全部払う』ときめていた。大阪ものは『割カンになるだろうが、どうやってオレの分を安くしようか』。名古屋ものは『何とか払わないで逃げよう』と考えた」。この話名古屋ですると大ウケに受けるから面白い。
 大人のセンスであると同時に名古屋人は理由もなく他人におごるのはバカだと本当に思っている。世界から単一に見えるこのせまい日本でのこの文化の違いは興味尽きないものがある。
 私は東京生まれだが、実は商売を仕込んでくれた祖父(二代目得三郎)は名古屋から養子に来た人で、純粋の名古屋人であった。大学を出てから大阪大学理学部の大学院へ進学したので足かけ六年大阪に住んだ。面白いことに私の中には東名阪のエッセンスが混在するのである。江戸、神田の話を中心に書いてきたが、実はその背景には常に東西文化の比較がチラホラ顔を出していたのである。
 考えてみれば、私の役人ぎらい政治家ぎらいは大阪の気風からきていると思われるし、自分でも江戸っ子にあるまじき執念深さとしつこさは名古屋的だと考える他はない。そして両方に友人も得意先も少ないが、本心から名古屋も好きだし、大阪も好きだしうまくやっていけるのは、以上のような理由だとすればまことに幸運だと言わざるを得ない。
 今回は別に東名阪比較論をやろうというのではない。第一とてもそんなに簡単に片づけられる問題ではない。『大阪学』の中から耳よりな話を拾って参考に供しようというだけのことである。

大阪精神のルーツ!?
 江戸より大阪の方がはるかに歴史は古い。大阪の人口は明和二年(一七六五)に四十二万三千四百人。多分同じ頃江戸は百万人を超していた。しかし大阪には武士が五百人、江戸の半分の五十万人は武家人口、この違いは大きい。江戸がルールを尊ぶタテ割り社会で大阪が町人が実権を持った横ワリ社会であることはこの武士の数を知るだけで充分説明がつく。
昔、水運がさかんだった大阪(中之島界隈)
 大阪は古く聖教の町として栄え、江戸は政治の中心として日本の総城下町であった。大阪は俗に八百八橋(実際には百数十)といって水運のさかんな橋の多い町だったが、橋のほとんどは江戸と違って町人のかけたもので、いまにいたるもその名が残っている。淀屋橋、常安橋、従って大名貸しなどで大きくなった財閥は圧倒的に関西系だった。天領ではあっても実権は町人の側にあったといって良い。江戸はその点やはり武家中心のところが少なくなく、町人も武士にならってルールを尊んだ。
 大阪の経済力は水運と大陸貿易によるもので、それが変わるにつれ中心は東京へ移る傾向にある。一極集中の批判にもかかわらず、東京が政治経済文化すべての中心になったことにより東京は世界のトーキョーに変ってしまった。いまや地盤沈下などという大阪人のなげきは見当違いで、東京を世界のトーキョーにした力の少なからざる部分は大阪の経済力であったという皮肉なことになってしまった。国際都市東京は古き良き江戸と訣別した。しかし大阪には大坂時代からの根強い伝統と歴史が亡びるどころか、いよいよ個性的に強化されている。
 大阪は見ればみる程、町人文化一色の町である。西鶴も秋成も反体制すれすれの町人文化の代表者で江戸ではみられないタイプであろう。良くも悪くもそういう性格が大阪の今後をきめていくのではないだろうか。だから大阪というのは東京人にとってとりつきにくい、異質なものに見えるが、一旦入りこんでしまうと実に気易い自由な町であることがわかる。
 大阪は歴史が古くプライドが高いのに以外と排他性がない。昔から九州・四国・関西一円から人が集まり散っていくからであろうが、その点東京と似ているかも知れない。京都や金沢のようなところでは住んでみてはじめてわかる他国者に対するバリヤーがある。三代住めば江戸っ子と名乗れるが、排他性の強い土地ではそんな程度では「あれはよそ者や」と言われる。この排他性は自分の土地の文化、生活を護ろうとする本能的なもので、歴史の浅い土地には見られない。しかし伝統文化の深い土地でも、昔から江戸・大坂のように人の出入りがはげしく人口増え続けた土地ではそんなことは言っていられない。開放的な態度の中によそ者を短時間に同化してしまう強力な文化的影響力を持つことになる。それがパリであり、ニューヨークであり香港なのである。これからのわが国の進路を考える時、少なくとも国際都市になりうる文化的要因を持っているのは東京と大阪ではないだろうか。

浪花の商人・大阪人
 大阪といえば「きつねうどん」とくる。起源は意外と新しく明治十年代というから驚く。もっともドイツのジャガイモもイタリアのトマトも新大陸から来たものだからそう古くはない。トマトケチャップの無いイタリアなんて考えられるだろうか。きつね、別称けつねは大阪のシンボルであろう。安くて旨くて早くできる。ところが、最近これがカレーやハンバーガーに押されメニューから消えつつあるという。揚げの仕込みが結構手がかかり、原価も上り気味なのに値上げができないかららしい。きつねうどんは全国区、どこへ行ってもうどんプラス油揚げだが、たぬきになるとそうではない。京のたぬきはあん掛けのきつねうどんで、東のたぬきは揚げ玉をのせたうどんである。大阪からは新しい文化が出てくる。スーパーのもとのダイエーやアルサロなどは大阪発が全国制覇した例である。今でも商売は大阪というジンクスは変っていない。やはり大阪人は商売人なのである。
 大阪の人とつきあってみて、なるほどこれが浪花商人かと感心することが多い。我々東京人と違って商取引に関して取組み方がねばり強い。悪く言えばしつっこい(東京人はあちらからみてさっぱりしているというか、あきらめが良すぎると見られるであろう)。
 中国人に似ていなくもない。そういえば華僑になぞらえて阪僑ということを言った人がいる。「商人」という言葉はもともと中国の古代国家商の人(殷(イン)の人は自国を商と呼んでいたらしい)という意味であるという。商は周に亡ぼされたが、中国全土にちらばった商の人々は、みんな商売が上手であったことから「商人」という言葉が生まれたと前に書いた。中国の商人は一つの特色がある。それは工業が無いから物の原価が判然としない。如何なる手段を用いても安く仕入れ、高く売ることが哲学になる。勢いサギすれすれのこともやるし、売値は吹っかけるだけ吹っかける。今は儲かるが他人のうらみを買うのでは長続きしない。中国では大金持ちはできるが大企業が育たない。一方日本人はどちらかというと職人気質で、品質に重きを置いた掛け値なしの商いをするので信用が高まる。以上は邱永漢さんの説であるが、何か東京と大阪の違いにも当てはまる気がしないでもない。
 大阪人は気を悪くするだろうが、これからの国際ビジネスは東京タイプでないとうまくいかない事は自明の理である。大阪人の悩む大阪の地盤沈下はこんなところに一因がありはしないか。
藤井康男 株式会社龍角散社長、理学博士
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