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KANDAルネッサンス 15号 (1990.10.18) P.1 印刷用

特集 街の魅力の発掘と未来・V

神田駿河台学生街その2 日本大学

 皇居の森の北側一帯に広がる神田の街は、様々な顔を持っています。そのひとつに“学生街”という顔があります。数々の大学、専門学校を抱えながらそれらと共存し、文化を築き上げてきた街、神田。今回は神田学生街シリーズの第2弾として、昨年創立100周年を迎えた我が国最大規模を誇る日本大学をのぞいてみます。
我が国最大の総合大学(ユニバーシティ)
 現在、日本大学は人文科学、社会科学、自然科学のすべての領域にわたり、十四学部、八十一学科を置き、約七万人の在学生(学部・短大)と七千七百人の教職員を擁している日本最大の総合大学です。そして、世に送り出した卒業生は六十七万余にのぼり、各界の中枢として活躍されています。日本一の規模と一世紀にわたる歴史と伝統を有する日本大学は、いま第二世紀へ向けて新たな道を歩みはじめています。
 日本大学の歴史は、明治二十二年“日本近代法の父”と呼ばれた、時の司法大臣・山田顕義によって、現在の飯田橋にあった皇典講究所内に日本法律学校として創設されたのがはじまりです。近代国家日本の草創期において、日本法律学校は単なるヨーロッパの法律のまねではなく、日本の歴史や伝統に根差した日本独自の法律の研究と教育に力を注ぎ、新たな時代の日本を担う人材の育成を目指しました。
 第一回卒業生を世に送り出す年に学祖である山田顕義が死去し、廃校の危機に瀕しましたが、学生や教職員の並々ならぬ努力によって危機をのりこえ、明治二十八年には神田・三崎町(現在の法学部)に校舎を構えるまでになりました。そして、明治三十六年には日本大学と改称、以後今日まで輝かしい発展を遂げてきました。
 今や我が国最大の総合大学となった日本大学は、北は福島県郡山市から南は静岡県三島市まで、十四の学部が恵まれた環境の中に置かれ、三崎町の地には大学発祥の学部である法学部をはじめ、経済学部、通信教育部が、また御茶の水地区には理工学部、歯学部、医学部付属駿河台病院などが置かれていますが、どのキャンパスや学部もそれぞれ地域に根差し、地域社会と活発に交流しています。
“開かれた大学”として
 大学が持っている知識・情報・技術を広く社会に還元し、地域に住む人々との交流を図ろうという試みは全国の大学に広まっていますが、日本大学では、千代田区と共催の公開講座をはじめ、各学部においても、専門分野を越え、バラエティに富んだ公開講座が行なわれています。
 また、公開講座以外にも、医学部の農山村無料診療や、歯学部の歯科巡回診療、法学部の巡回無料法律相談など、社会に開かれた大学として、活発な活動が行なわれています。
 さらに、日本大学の“開かれた大学”としての活動範囲は、国内のみに止どまらず世界にも広がっています。現在、八カ国十二大学と学術交流協定等を結び、各国の政府や研究機関の要請を受けての共同研究・技術協力などに積極的に参加、活動しています。また、交換留学生や教授間の交流、スポーツ交流も盛んに行なわれています。
新たな歴史の創造へ
 現在、そして未来を見据えた日本大学のこうした活動は、国際化、情報化社会がますます高度に発展していこうとしている日本において重要なものとなっていくと思われます。
 大学が掲げる『目的および使命』の下、いま、第二世紀目の新たな歴史の第一歩を踏み出した日本大学は、都市型大学、日本最大の総合大学として、大学発祥の地であるこの神田を拠点に、全国そして世界へ翔こうとしています。


日本大学の『目的および使命』

日本大学は 日本精神にもとづき
道統をたっとび 憲章にしたがい
自主創造の気風をやしない
文化の発展をはかり
世界の平和と人類の福祉とに
寄与することを目的とする

日本大学は 広く知識を世界に
もとめて
深遠な学術を研究し
心身ともに健全な文化人を
育成することを使命とする



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