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KANDAルネッサンス 14号 (1990.07.10) P.1 印刷用

特集 街の魅力の発掘と未来・V

神田駿河台学生街その1 明治大学

 お茶の水から靖国通りに向って、駿河台の丘のゆるやかな坂道を下っていくと、左手には楽器店がずらりと軒を並べ、右手には、オシャレで真新しいビルが建ち並ぶ中に、あのドーム形屋根を冠し、神田の街の象徴でさえある明治大学記念館が忽然と姿を現します。
 もともと学生街のルーツは、明治前期にこの神田に創立された東大、一橋大の前身にあるといわれています。そしてその後も、明治大をはじめ、日大、専修大、数々の専門学校がこの地に集まり現在もなおフレッシュでエネルギッシュな賑わいを見せています。
 それでは今回は、百年余の間この神田駿河台に居を構えている明治大学をのぞいてみることにしましょう。
 明治大学の歴史は、明治十四年、フランスから帰国し、近代国家=法治国家樹立のためには法学普及が最急務であると考えた岸本辰雄、宮城浩蔵が矢代操とともに、現在の有楽町マリオンの地に明治法律学校として創設したのがはじまりです。教師三名、在学生四十四名から出発した明治法律学校は、明治十九年、神田駿河台南甲賀町に移転し、明治三十六年、明治大学と改称、百年余の苦難の歴史を経て現在に至っています。これまでに世に輩出した卒業生は約三十万人にのぼり、各界で活躍されています。現在の在学生は約三万三千人、教師陣は専任一千人、兼任二千人と、開校時に比べ文字どおりマンモス大学になるとは創始者も予想できなかったことでしょう。

 開校以来幾多の難局をのり越え、輝しい歴史を築きあげてきた明治大学にも将来を左右する大きな問題があります。それは地価高騰の波です。まさに都心のど真中である神田駿河台に敷地面積二万五千二百十平米の構内に十八の校舎を擁している明治大学にとって、頭の痛い問題です。しかし、数多い大学の郊外移転の風潮の中で明治大学は同調せずに、あえて、この地に居残る選択をしたのです。国際化、情報化社会に対応した人間の育成、学生のためだけの大学ではなく、地域への還元を目指した新しい都市大学としての道を選択しました。
 現に明治大学では地域の人々に門戸を解放し、夏期大学セミナー、人間科学研究所や社会科学研究所のセミナーなどの公開講座を企画・運営しています。また、大学内には、刑事博物館、考古博物館、商品陳列館が設けられていて、無料で一般公開されています。その他、千代田区、専修大と共同で地域のための公開講座を行なったり、毎週土曜日には大学内に無料法律相談も設けています。明治大学で行われているこうした地域に根差した都市大学としての役割は、社会の多様化、国際化、情報化の中で今後ますます重要なものとなるでしょう。
 
 明治大学は百年余の輝しき伝統を保持しながらも、バイタリティーがあり、自由闊達な気質を持っているといわれる明大生とともに新しい社会に対応し、地域に根差した都市大学として新しい歴史を築こうと将来に向って歩みはじめています。♪白雲なびく駿河台…♪ではじまる明治大学の校歌がいつの日か神田の街の歌になる日が来るかもしれません。


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