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神田資料室

KANDAルネッサンス 13号 (1990.04.10) P.1〜3 印刷用

特集 街の魅力の発掘と未来・IV

著者の夢と読者の想い出が詰まった巨大な図書館 神田神保町古書店街

五人のREAL

四代目は燃える一代目
 
高山肇(高山本店四代目・四二才)
 古書店街でも異色の四代目神田っ子。ボランティアで一神町会、靖国通り商店連合会はもとより、より良い街づくりの為ならばと、数々の団体の役員を引き受け、精力的に飛び回っている。
 肇氏は、明治八年に創業の高山本店の専務であり、同時にすずらん通り裏に昨年オープンした、惣菜売場と食事処とを兼ねた店“イッピン”の主人でもある。高山本店の出発は、学生を相手とする教科書の販売からだった。「その後、医学書、郷土史と続き現在は邦楽と武道を中心に扱っています」。
 街づくりの為に奔走する肇氏に、この街に必要なポイントを伺ってみた。「千代田の街づくりには企業のあと押しが必要です。激減する夜間人口と呼ばれる住民の力では限界があるのです」。その第一歩として一神町会の“祭り”というイベントを通して、地域の住民と、昼間人口と呼ばれるその街で働く人々との融合を図ろうと、地元の企業に自ら足を運び参加を呼びかけている。「頼んだり、頼まれたりすることでコミュニケーションというものは出来上って行くのでしょう。我々住民が企業で働く人々に一番自然に声をかけれる手段として“祭り”があり、確かにコミュニケーションは良くなっていると思いますよ」。
 この街で不足しているものはありませんか、という質問に「130の古書店だけでは街として見て魅力不足です。街の活性化には、どうしても人々が滞留出来る飲食店が沢山必要です」と、自ら食事処“イッピン”を昨年オープンした。「おかげ様で、連日売り切れてしまいます」と言うとおり、店は大繁盛。
 “読む”こと“食べる”こと両方の楽しみをこの街に定着させようと、書店の四代目、そして食事処の一代目は、今日も燃えている。
この店の国際化は、とっくに始まっていた
纐纈公夫(大屋書房三代目・五一才)
 江戸時代の古書、浮世絵を中心に扱っている店らしく、店頭の浮世絵の看板が道行く人々の目を引きつける、「自分が二〇代の頃、お客様はほとんど五〇才以上の人ばかりでした。商品の知識が皆さん豊富で、ずい分教えられました。今は一変して、ファン層がぐっと拡大されてます。小学生から老人までのマニアが集まるのですが、最近の傾向として広告、宣伝関係の会社の方々がそれに加わってます。企業の新聞、雑誌の広告でよく使われているようですね。いずれにせよ、この仕事は職人的要素が強い職業であり、なんといってもお客様とのコミュニケーションが基盤です」と。
 又、竹下政権で出来た“ふるさと創生”の影響からか、地方の博物館、美術館からの需要も増えているという。「今後の品揃えも課題のひとつです。高価なものを一年で二〜三回売って営業上の数字を作ることは出来ても、毎日来ていただくお客様に、商品を一つひとつ確実に提供していくことの方が、ずっと大切なのです」。
 外人客が多いのも、この店の特色。「浮世絵のファンが世界中から集まります。アメリカ、ドイツ、フランス、イギリスと西洋人が多いのですが、彼らの好みでどうしても解明したい“何か”があるのです。それは、西洋人から仕入れた浮世絵は、沢山の絵の中に混ぜて店頭に置いても、どういう訳か又、西洋人によって買われて行くのです。図柄が大きいとか、色が沢山使われているとか、基本的なことはすべて把握しているのですが、もうひとつ西洋人だけが感じ、彼ら引きつける“何か”があるのですよ」と語る三代目の目の輝きに、浮世絵の不思議な魅力を広く提供しつつ、自ら探究も怠らない古書店主人としての静かで熱い情熱を感じた。
アンティークブックにとり組んでます
中野智之(中野書店二代目・三五才)
 古書センタービルの二階に漫画本、三階に全集、美術書、五階には文芸書、肉筆、和本と三つのフロアーにジャンルの違う店をそれぞれ出している中野書店の二代目智之氏は五階の店の一番奥にいた。
「本に囲まれての、この仕事が大好きで、今この街に望むものは、と聞かれたら、我々の為の図書館が欲しいと答えます。調べ物をしたいと時、その度に他の店へ行って、売り物としての本を勝手に使うわけには行きませんからね」と言う。
 「古本は、セコハンブック、所謂古くなったから安く売る本。一方古書は、アンティークブック、古いから価値を増す本。これから時代がどう変ろうが、古書の世界でもっともっと古いもの求めたいですね」。
 氏の囲りには、有名作家の書いた書が額に入れられ、飾ってある。「古書のジャンルに入ります。手紙も沢山ありますよ」。変ったものを見せてもらえませんかと尋ねると、奥から一巻の巻物を出して広げてくれたのが、あの徳川家康の古文書であった。
 二階のフロアーに行くと、一転してそこはカラフルな原色の世界。最近は故手塚治虫氏の本に人気が集まり“新宝島”の初版本はなんと五〇万円以上!
「昨年の秋、青空古本市で本捜しの為のコンピューターでの検索担当をしました。インプットの量が満足いくものでなかったのでが、問い合わせが予想以上に多く、本を捜し求めている人の数がいかに多いか、実感しました。将来古書店街として、このようなサービスが常設出来るといいですね」と明るく話してくれた二代目は、自分の好きな稀覯本の集まるこのフロアーで今日もコツコツと、研究に余念がない。
二代目は古書店街の生字引
八木壮一(八木書店二代目・五一才)
 八木社長から古書店街についての話を伺っていると、この街の売り場総面積、一店一店の歴史、書物に関してのあらゆるデーターが、スラスラ出て来る。それもそのはず、八木書店は古書販売はもとより、新書の販売、卸業、出版業と幅広く書物を扱う、書籍の総合サービス会社であった。
 「当社での古書販売の傾向としては、目録販売が多くなって来ています。当店の古くからのお客様を中心にDMで注文を受けます。この様なスタイルで営業している店は、ざっと四〇軒ぐらいでしょうか」。目録のいくつかを見せてもらい驚いた。江戸時代の村松物語絵巻一億二千万円とある。「これはもう売れてしまいましたよ。このような絵巻も古書のジャンルに入ります」。
 又、八木書店の発刊する沢山の本の中に、この街の古書店二六店の歴史を丹念に綴った「紙魚(しみ)の昔がたり」全二巻があった。他店情報も豊富な訳が、これで判明。この街の情報通がかわれてか、東京のビッグイベントにまで育った、恒例の秋の「青空古本市」の広報役員も昨年担当されている。
 又、忙しい社長業の傍ら、街づくりの為にもひと肌脱いでいる。「神保町に乗り入れた地下鉄の駅の標示板に“本の街”という文字を入れてもらうのには苦労しました」又、「昭和四〇年代の話ですが、靖国通りの上を、岩本町の方までずっと高架高速道路でフタをする計画がありました。ちょうど今の六本木のようにですね。着工寸前のところで、我々住民が中心になり反対をし、何度も話し合った結果ストップしてもらいました。あの時反対運動をしていなかったら、と思うとゾッとしますね」。
 街の歴史と、発展のすみずみまで知り尽した二代目は、この街の生字引と言えそうだ。
父の教えが礎です
北澤一郎(北澤書店三代目・三五才)
 古書店街西側に、石造りのひときわ美しい、デザイン化された建物の一〜二階に洋書専門店の北澤書店がある。その二階の一番奥に三代目一郎氏がいた。
 「英文学の学者であった父が好きで始めたこの仕事を継ぐのは、大変抵抗がありました」。ところが一郎氏が高校三年の時、父は突然病床に臥せてしまった。当時をふり返り、「父は病魔と闘いつつ、二代目である私にこの仕事を教えようと一生懸命でした。父から直接指導を受けたのは二年程です。地域を愛し、家業に誇りと厳しさを求めていた当時の父からの教えが、今の私の礎です。又、もうひとつ忘れてならないのは、若い私にいろいろ教えて下さったお客様の存在ですね」。
 八年前出来上った現在のビルに入ることができずに亡くなった父上。「それからは、店を傾かせないように無我夢中でした。生き延びる為と言ってもよい年月でしたね。二階の奥のこの場所は、実は父の為に用意しておいた場所なのです。そのような意味からも、私がいつもここにいるということは、自分にとって大変大事なことなのだと思っています」。
 店は地下鉄半蔵門線が出来て、ぐっと客足が増えたと言う。「気さくであくのない、この街が大好きです。130の書店が集まることのメリットを、どの店主も知っているのではないでしょうか。先人達の残してくれた知恵と言えるのでしょう。ただひとつ心配なのは、私の年代の若いあと継ぎが、少なく感ずることです」。
 この街で生まれ育った一郎氏だけに、自ずと街の変化に敏感だ。来たる二一世紀に向けての店の経営と街づくりに、二代目は若さと情熱でチャレンジしようとしている。


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