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神田資料室

KANDAルネッサンス 8号 (1989.01.01) P.14 印刷用
神田の音・神田の耳(7)

音・パフォーマンス

今田匡彦

 世紀末フランスの作曲家エリック・サティのバレエ音楽「パラード」が、パリ、シャトレ座で初演されたのは一九一七年のこと。この作品は“一幕の現実主義的バレエ”という副題を持ち、オーケストラの中に、サイレン、ピストル、タイプライター、拍子木、無線通信機などの具体的な音が付け加えられている。
 ディアギレフのロシアバレエによるその初演はスキャンダラスなもので、所謂“現実主義”は当時の観客を憤慨させるに充分なものであった。テーマをジャン・コクトー、幕、舞台装置、衣裳をパブロ・ピカソがそれぞれ担当したこのユニークなバレエ音楽は、その後一九二〇年まで再演されることはなく、現在もバレエ付きで上演されることは殆どない。
 私は八八年の二月から、駒場東大前の喫茶店で「サティのある空間」というサロン・コンサートを催している。今までに四回を数えるのだが、この「パラード」は九月と十二月、ピアノ連弾とシンセサイザーによって演奏した。即ち、シンセサイザーの機能によって“騒音”を挿入したのだ(因みにスキャンダルにはならなかった)。
 九月にカザルスホールで初演した「サウンドスケープ・パフォーミングアート」は、サティの「パラード」とは逆のメソードだ。つまり、この作品では予め用意された街の具体的“騒音”に、ピアノ、ソプラノ、朗読が付け加わる。これらの間にヒエラルキーは存在しないのだが、テープに収められた街の音をメインに据えた点、「パラード」とは多少行き方を異にする。
 予め用意された具体的な音、即ち、「明神男坂」の足音、「サンクレール」の滝、「中央通り」の喧噪、JR水道橋駅のガード下の音響、そして「ニコライ堂」の鐘は、勿論観客を憤慨させる為のものではない。
 私は、この「パフォーミング・アート」を大きく三つの段階に分けて考えている。第一段階は「神田サウンドスケープ研究会」の研究活動であり、その方法論の模索の中でインスパイアされた様々な音の発見である。この段階で、私はテープで扱う音、ピアノ、詩、コロラテューラ・ソプラノ等の素材を決定し、全体を構成した。第二段階は、近代的コンサートホールでのパフォーマンスである。この段階では、神田の音場、空間感覚が舞台空間に移され、ピアノ、ソプラノと組み合わされて「雑音」と「楽音」の融合がはかられる。朗読は両者を微妙に繋ぐ役割を果たす。第三段階では、コンサート・ホールを出た後の、聴衆の生活そのものが問題とされる。日々の暮らしに戻ったときに「再認識」される音である。都市空間を無造作に飛び交う音をコンサート・ホールで再現し、再び実際の都市空間でそれらの音に触れることで、別の「面白さ」を感じることができるのではないだろうか。
 七〇年前の「パラード」のプログラムに於いて「超=現実主義」という表現を用いたのは、アポリネールであった。だが、大方の批評家は、当然サティを攻撃したのである。
「われわれの生きている時代は、そもそもこの種のこけおどしにふさわしいものではない。」(ジャン・プエーグ)
 では、一体われわれの生きている時代はどうか。都市は常にカオスを生みだし、無定型のサウンドスケープは一人の人間の生活をぐるりと取り囲んでいる。音は、生活空間に溢れる事柄の一要素であり、「楽音」もまた同様だ。二〇世紀末の東京に生きる一人の人間にとって、それらの「音」がどのような意味を持ち、またどのように変化していくのか。安易に過去を振り返り、自然音のみに逃避、固執することが、必ずしも豊かさの象徴とはいえまい。となれば「サウンド」はパフォーマンスされることで現実の空間と時間に取り込まれていくしかないのだ。
 音は一瞬現われ、また消えていく。その微かな光源を見逃してはなるまい。クリエイティヴィティとは、そのようなものなのだ。




今田匡彦 神田サウンドスケープ研究会会員
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