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神田資料室

KANDAルネッサンス 8号 (1989.01.01) P.3〜4 印刷用

東京ルネッサンスを考える

街づくりフォーラム 結果報告(抜粋)

神田っ子大集合

講演 草柳大蔵

 街づくりをずっと見てまいりましたが、面白いことにこの十年ぐらいまでの間は、日本全国どこへ行っても同じでした。
 例えば秋田県で県立美術館ができると高知県でもできる、よいうように。
 これは、日本の地方行政の一つの典型である“遍(アマネ)く等しく”という思想が戦前からあったためです。“遍く等しく”地域を発展させなければいけない。
 ところが、この十年位で“遍く等しく”という課題が、県立美術館とか公民館とか県民ホールとかのいわゆる“箱物”と呼ばれるハードウェアの点では、日本全国だいたい終わってしまいました。
 そうしましたら、この四、五年の間はどういう現象が起こっているかと申しますと。面白いことに“遍く等しからず”、つまり「私の街は私の街なりに何かをやらしてもらいますよ」という“等しからず”が今度始まりました。これが実に面白いんです。その街の人達の、その街に対する思いというものがはっきりとそこに表れます。
 つまり、それが持続するかどうかということは、その街に住んでいる人と街との関係の密度によるんです。密度が非常に高い所は、持続させた上にどんどんそれを磨き上げていきますが、駄目な所はもう作りっぱなしで、いつのまにか何を呼び掛けても十人位しか人が集まらない、というようなことなのです。
「松本を語る時、人々は少年のような顔になる」という言葉があります。羨ましいことです。事実、信州の松本へまいりますと少年のような顔になります。アルプス山脈があって、昔の街並みや、お城も残っていますし。
 神田を語るとき、何かそこに顔つきがほしいんです。それはやはり、神田という空間を人がよぎる時に、神田という空間とその人がどんなリスペクトを起こすかという問題なんだろうと思います。
 リスペクトという英語は、「尊敬する」と訳されていますが、字引をひくと最初に出てくるのは、「関係する」「響き合う」という意味です。
 つまり、人間と人間、人と街というのは、何か響き合うものを持っているのです。
 ですから、そのリスペクトを起こさせるような街というのは、すごいなと思います。それが、おそらく街づくりのゴールではないかと私は思っています。そして、そのリスペクトを起こさせるというものは、この街の持っているいくつかの文化的要素というものを、その街の人が発掘し、洗い上げ、強調し、光を当てるということに他ならないんだろうと思います。
 そして、今、日本中の人が、そういうことを求めているんだろうと感じます。
 例えばきょうは、「東京ルネッサンスを考える」と出ています。ご承知のようにルネッサンスとは、再生ということです。蘇生する、生き返らせる、ということですね。
 それでは、東京を何からルネッサンスさせるのかということです。現代の幾つかの最もパワフルな特徴、現代を支えている幾つかの柱が、私達の人間の感性というものと馴染まなくなっているものがあるに違いないと思います。
 一つ例を挙げれば、それは「猫馬社会」からのルネッサンスです。
 もうこの頃の日本人のパフォーマンス=生活原理というものは、本当に猫か馬になってしまったようです。「猫も杓子も」といって皆一斉に同じことをやるのです。
 例えば、女子高校生、女子大生、この辺に勤めているOL、朝シャンプーをしていくんですね。「朝シャン」て、一斉にやります。
 今度、大人の社会になると、馬社会になる。馬というのは、一頭が走ると、全部その後をついて走る傾向があるようです。どっかの会社がドライビールを出すと、他の会社も全部ドライビールを出す。電気パン焼き器などもそうです。
 そういう、猫馬社会からの自立的な回復というのは、「〜ならでは」という価値なんです。神田ならではの価値、信州ならではの価値なんですね。そういう方向に今帰ってきています。もう猫馬はいいという気持ちがだんだん出てきたんだろうと思います。面白い社会になってきたという気がいたします。
 今、津軽では「地吹雪体験ツアー」、新潟では「コシヒカリ体験ツアー」とか「屋根の雪下ろし体験ツアー」というのがあって、何十人何百人という人が集まります。東京から、大阪からわんさと来るんです。
 しかし、東北新幹線、上越新幹線があり、東海道新幹線ももちろんあることですし、逆に神田に呼ぶことを考えたっていいのではないでしょうか。東京人が出ることだけが能ではありません、東京に呼ぶことを考えるべきなのです。
「コシヒカリ体験ツアー」というのがあるなら。「神田っ子体験ツアー」というのがあったっていいじゃないですか。
 本当の神田っ子の気質に触れる、本当の神田弁に触れる、明神祭りのミニチュア版でもいいから経験させてあげる、寿司の食い方を教えてやる…。
 こういうことだろうと思うんです。「神田っ子体験ツアー」というのを新幹線の中にポンポンポンと広告を出したら、おそらく今度は、逆にこっちに来ると思います。それをひとつの基盤として発展させていけばいいのです。
 国家が、これから文明軸が発展していく上において何が一番大切かと考えた末に、ひとつの特徴として出てきたのは「時短」、つまり時間短縮ということです。
 新経済五ヶ年計画がいよいよスタートいたしまして、現在は週四十八時間労働ですが、昭和六十七年には「待ったなし」で週四十時間労働になります。そこで、これをどう使うか、つまり、省時間=セービング・タイムして得たものをどういうふうに消費するのかということです。「省時間」から「消時間」へ、コンシュウムです。
 そこで考えたのが、これはテーマとしてふさわしく、神田がやったら面白いと思うのは、「生涯学習のセンター」というテーマです。
 今、日本全国の中で生涯学習都市を「はい、私がやります。」と手を上げたのは、北海道の空知郡滝川市です。この街は人口が全く神田と同じです。ここが先に生涯学習都市宣言をしたのです。
 神田はもともと学問の街なのですから、二番手でも結構だから、「生涯学習やります。」と言ったらいいと思います。
 その生涯学習も、この神田に住んでおられる方が持っているいわゆる“神田学”を教えてあげたらどうでしょうか。
 神田囃子の歴史そのものについて語ってあげる。江戸城とはどういう城だったかについて語ってあげる。江戸城の図面をコンピュター・グラフィックで書いてみて、その合理性と非合理性を見る会、つまり「江戸をコンピューターで考える会」というのを生涯学習のカリキュラムの中におさめていいだろう思います。そういう面白い試みがいくらでも展開できるんじゃないかなと思っています。
 これはただ単に客寄せ、人寄せだけが目的ではなくて、神田と、神田に住む人、神田に来た人との間に二十一世紀に向かっての最も人間的な“リスペクト”という関係を作りたいというふうに考えています。


 
草柳大蔵
評論家。放送番組向上協議会副委員長、日米関係交流委員会委員(外務省)他を歴任。大正13年横浜市生まれ。昭和23年東京大学法学部政治学科を卒業後、雑誌社、産経新聞社の編集記者(経済担当)を経て、大宅壮一氏に2年間師事。以降、同32年に独立しフリーランサーとなり、同42年には著書『現代王国論』で文藝春秋読者賞、又同59年には放送文化賞を受賞している。主な著書には『現代王国論』の他、『企業王国論』『世界王国論』『実録満鉄調査部』『私の応援歌』『自分の人生、生きてますか』などがある。
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