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神田資料室

KANDAルネッサンス 6号 (1988.07.01) P.6 印刷用
神田の音・神田の耳(5)

すずらん通り・精神空間

能澤壽彦

 青年期の記憶の刻まれた通り。
 三十歳を超えた者たちの胸の底には、各人固有の、そうした想いの通りが沈んでいよう。
 神田すずらん通り。
 学生の街・神田たる重みを以って、この通りを挙げる旧人は多かろう。私もまた然り。神保町のこの一角へ結びつけたものは、一に本、二に時代状況、三に喫茶店となろうか。
「三省堂に無ければ東京堂へ」——学生たちの専門書探しは、昔も今もそう変わるまい。
 昨今、神保町へ行くと、私の足は半ば無意識的にか、いつも路地へ向かう。路地とは、私にとって唯二つ。書泉グランデ裏のラドリオやミロンガのあるそれ、及び白山通りへ抜けるさぼうるのあるそれを指す。
 縮小したラドリオの古びたレンガを眺めて安心し、「まだ何とか、あの頃の……」とつぶやく。昭森社の表札を見ては、「現代詩は健在なりや。アマタイ(天沢退二郎)はまだ詩を書いてるのだろうか……」などと思いがよぎる。路地のほの冥い翳りは、かの「空気」を証す。かつ、それは嘗てのすずらん通り全域に充ちていた空気へと玄妙に響いてゆく。
 一九六八〜七〇年。催涙弾のバーンという音やシュプレヒコールに満ちた、奇なる音風景が神田を飾っていた時代。しかし騒ぎの本陣・駿河台に接近しつつも、すずらん通り一角は、妙に落ち着きと風格があった。「知とセンスの牙城」と思えた。
「行動する」気力なき一般学生の私は、そのマイナスイメージを、時代への認識者たらんとすることで払拭しようとした。認識の鍛えは、骨のある本から。リュック持参ですずらん通りへ通った。ヘーゲル、ニーチェ、ハイデガー、ベンヤミン、ヴァレリー、ブルトン、バタイユ、クロソウスキー、ブランショ……。
 むろん知とセンスの牙城は去り難い。ヴァレリーの『テスト氏』は、ラドリオの珈琲の香りと共に第一頁をめくるのが相応しかった。

 昭和六十三年五月一日。研究会は大学二年生数名をも含む多人数で、すずらん通りの音響聞き取り調査を試みた。各人の耳を頼りに数時間、あらゆる音事象その他を筆記し、マップに落とす作業である。この日判明したことは多い。
 ——白山通りからすずらん通りへ何歩か踏み入ると、にわかに気配が変容する。車騒音が断たれ、かつ微妙に何かが加わる。
 ——樹木皆無の環境に、あるビルの上方一角のみは鳥影が多く、そのさえずりがはからずも、「山野の興」をもたらす。等々。
 そして私は密かに思う。東京堂、冨山房、東方書店に囲まれたあたりが、すずらん通りの中心である。……重い書物を購入した充実感と共に、ふと東京堂前から見上げる。と、古色蒼然たる二つのレンガ建築の威容が迫ってくる。重厚で佳麗な装飾。白山通りへ向かって歩く。左手にすぐ画廊の硝子窓がある。一息ついてたたずむ。と、ふと頭上高くから降りてくる小鳥のさえずりに気づき、耳をそばだてる。こんな筋書きが、すずらん通りを歩く手応えである。魅力である。

 なお研究会では今春から、当地域の住民へのインタビュー調査も進めている。旧新の音風景はいかに。
「大正期、三省堂前でいつも政友会の院外団の青年たちが演説をブチ上げていた。」
「この通りは常店の夜店の並びで有名だった。ステッキ屋、小物売り、古本屋。声を出す商売人は両端に配置されていた。」
「道で演歌師がヴァイオリン弾いて歌っていた。彼らは人々に歌詞の本を売っていた。」
「このあたり下宿屋とか旅館が多く、夏になると学生が下駄はいて、カランコカランコ夜店ひやかしに来てたもんです。」
 戦後になると、
「二十五年頃から店始めたが、車などほとんどなく、アメちゃんのジープだけがバヒーッとすっ飛んでるだけで。」
「三十二年から店始めたが、当時のお昼の人間のざわめきのすさまじさ。人があふれて車はすずらん通りに入れない。」
「飯田橋の鉄道車庫で車輌がたてるガタンという音がここまでとどいた。」等々。
 今日となると、車の音、スピーカー音など、都市一般の音環境の話題とほぼ同じになる。

 今、すずらん通りは改革プランの胎動のもとにある。過去の良さを再結集するような新しさであってほしい。全国に散った元学生たちの胸中にある「精神空間」としてのすずらん通りにも通底するような……。




能澤壽彦 神田サウンドスケープ研究会会員
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