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神田資料室

KANDAルネッサンス 5号 (1988.04.25) P.6 印刷用
神田の音・神田の耳(4)

神田明神・男坂

佐故圭子

 ここに、ひとつの道がある。
 神田明神・男坂。
 神田明神の表参道が南北に通じているのに対して、男坂は神田明神から東の方向に通じている。男坂という名のとおり勾配の急なこの坂は階段状になっており、その石は男坂の歴史を秘めて深い趣をみせている。
 男坂の入り口は車の激しく行き交う昌平橋通り。当然、車の走音に満ちている。そこから神田明神にむかって歩いていくに従ってだんだん騒音レベルが下がる。しかし、ある点を静かさの極みとして再び騒音レベルは上がっていく。坂を昇りきった所では、車の走音は遠くにかすみ、神田明神の境内附近特有のサウンドスケープへと変化している。俗の空間から聖の空間へ。その橋渡し役を、この坂は音響的に見事に果たしているといえよう。
 
 冬の寒い或る日、男坂の石段の中間附近で音の調査を行った。一時間ごとに環境騒音レベルの測定をし、同時にこの坂で聞かれる音をチェックしていく。じっと耳を傾けていると、音のひとつひとつがはっきりと聞きとれる。遠くに車の走音。ブレーキ。私達の横の笹やぶで葉ずれの音。坂の下を流れる下水の音、ドアを開ける音、モップをふるう音、ネコの声、咳込む声……。音は、この坂に人々の生活が息づいていることや、見落しがちな自然の存在を知らせてくれる。
「こんにちは。」
 見知らぬおじいさんから挨拶される。
「こんにちは。」
 少しとまどいながら挨拶返し。
「何やってるんですか?」
 通りすがりの人から気軽に声をかけられる。
「環境音レベルの測定と、それから、ここでどんな音が聞こえるのか調査してるんです。」
 私達の横を、小学生がふざけながら登校する声。
 遠くに車の走音を聞きながら、この坂ではゆっくりと時間が過ぎてゆく。

 男坂周辺に住んでいる方々は、どんな音を聞き、そして聞いたのだろうか。男坂の音についてお話を伺った。男坂はその両側が高い建物になっており、坂という地形も手伝って天井のない音響ボックスのようになっている。ここでは、劇場のように音がよく反響するらしい。そのせいもあってか音に敏感な方が比較的多いようだった。男坂の様々な面が浮かびあがってきた。
「明け方の五時くらいに聞こえる音があるの。地下鉄の音。昼間はないんだよね。今だって通ってんですよ。でも、朝、聞こえますよ。地響きです。寝てなきゃわかんないよ。とても深いんだから。」
 住んでいる人にしかわからない地下の音。
「日曜日はニコライ堂の音まで聞こえます。日曜日は意外とこの辺静かなんですよね。」
 外堀通りの喧噪をこえて、ニコライ堂の鐘の音は男坂まで届いていた。
「夜中の一時二時にね、酔っぱらいの人が、石段でヨーイ・ドンとかやるんです。走ってく音も聞こえます。で、走ってって誰が一番だどうだとかね。お前遅いとか速いとかね、そういうのかまわずやるでしょ。それはね、意外と多いんですよ。」 
 坂は人を童心に返すのだろうか。
 男坂周辺は、今は減ってきてはいるが、かつては料亭が立ち並び、芸者さんが粋な下駄の足音をさせながら行き交った花街であった。
「少し前までは新内流しが来てたんですよ。着物着て草履で二人で。三味線ひきながら歩いてきて、御料理屋さんの窓の下で歌うんですね。そうするとお座敷へ呼ばれて中へ上がる方もあるし、外でやって二階からお金つつんで投げる人もありますよ。」
 男坂はそれ自体が舞台でもあったのだった。子供達にとっても楽しい劇場であった。
「昭和になると紙芝居がね、自転車に乗っけてこの辺に来て子供に飴を売って紙芝居を見せてくれる。黄金バットとかね。カチカチって拍子木をたたいて子供を呼んでね。僕の家はすぐここだったし、カチカチってくればすぐ飛んでっちゃってね。それがまさにこの石段でね、紙芝居の人が下にいて子供が上にいて。階段だから後ろからも見える。」

 男坂、それは人がただ行き過ぎるだけの道ではない。昔ながらの石段は人の心を開放する。男坂では常に、何かが起こりそうな気配がしている。今も、何かが……。




佐故圭子 神田サウンドスケープ研究会会員
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