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神田資料室

KANDAルネッサンス 4号 (1988.01.01) P.9〜10 印刷用
神田の音・神田の耳(3)

鐘のスケッチ

今田匡彦

 鐘の音が揺らめいている。
 先日ある人から、ピアノを聴いて瞑想的になることは出来るか、と質問された。
 私はもう随分と長いことピアノを弾いている。随分と多くの演奏を聴いたような気もする。その人は、ピアノはとても装飾的で、瞑想とは遠いような気がすると云う。そう云われてみればそうかしらん、とも思う。
 初めて出逢ったときからそうだったような気がする。ニコライ堂の鐘は、一瞬“時”を止める。私の意識の中の何かが止まり、体が風に押し上げられるような気持ちになったりもする。独得のテンションだ。ピアノはスルスルと私の心を掠めもせず、摺り抜けていってしまうことが多い。人の演奏を聴くときは特にそうだ。

 何とはなくだけれど、夏も終るのかなと思った頃だった。日暮れ刻でちょっと気分が沈んでいたが、頑張ってY女史とインタビューを続けていた。ニコライ堂についての聴き取り調査だ。特定の地域において、人々にある程度共通して認識されている音、研究会では本研究期間前半の主なプロジェクトのひとつとして、ニコライ堂の鐘に関する集中的な調査を行った。

 お茶の水、サンクレールでのインタビューから。
 ——鐘の印象は?
「ローマかなんか、そんな感じじゃありませんか?」
「芸術ですね、神秘的だと思う。」

 十月三十一日トヨタ財団に提出した本研究中間報告書では、このインタビュー記録は“表面的な感想”という項にある。インタビュアーであった私の印象としては確かにそのカテゴリーで正しいのだけれど、応えてくれたアルバイターらしきお兄さんにとっては、結構素直な感想であったのだろうなと思えたりもする。
 鐘の音は人を多弁にさせ、尚且つ、パフォーマーにしてしまうらしい(私自身も例外ではない)。報告書の中には、そのような裏付けが沢山収められ、どれもがとてもアーティスティックだ。血が通っていて温もりが感じられる。

 ——言葉で云うと、なんて聞えますか?
「しあわせ………しあわせになって、アハハハハ………、ちょっと、ちょっとあれだったかな。」
「アクセントみたいなもんだなあ。今、夕方になったんだなあ、遊んでいるときゃ家に帰らなきゃなあってのが夕方の鐘だったわな。」
「お葬式は、僕ら子供の頃はこわくてね、すごい音がすんの。」
「う〜ん、早くお嫁に行きたいなという音に聞こえます。」
「余り好きじゃないな。なんか沈んじゃうね。あの音聞くと昔を思い出すけどね。僕の小さい頃のね、やっぱり貧しかったでしょっ日本が………だから。」

 鐘は日曜日に鳴る。それ以外は何もしてくれない。聞き過ごしてしまえば、ただそれだけのことである。
 鐘の音が人々の生活に降りてくる瞬間がある。人々の感性が鐘の音に反応し、一種の創造が行われる瞬間だ。そしてそのときは、誰もが自らの表現者と成り得る筈である。サウンドスケープとはそんなものではないかとも思える。

「騒音じゃないですよね。懐しいですよね。」
「どっちかっていうと、山寺の鐘の方がいいね。」
「バラバラでいいかげんな音。」

 私の中に鐘の音が在る。それは今も、スルスルと摺り抜け切れず、体の何処かで燻っている、微かなシグナルのようなものだ。



【ニコライ堂の鐘】調査結果全体図
神父
(1)信仰の意味
(2)精神の表われ
(3)鐘を鳴らすことの問題点と困難さ
………………………………………………
信者
(1)儀式上の意味・合図
(2)信仰のささえ


神学生(鐘つき)
(1)伝統継承の意識
(2)音の意味・価値・影響を考慮
(3)つき手としての葛藤
(4)鐘楼での体験


周辺住民:大人
(1)宗教を超えた交わり
(2)生活や思い出との関連
(3)特定のイメージとの関連
(4)鐘の歴史的記憶
………………………………………………
周辺住民:子供
(1)異質な世界の体験
(2)大きな音という意識
(3)生活との関連
(4)無関係・無関心


通勤・通学者
(1)各人のバックグラウンドによる独特な聞き方
(2)無関係・無関心
………………………………………………………………
通行人
(1)間接的な接触
(2)表面的な感想
(3)無関係・無関心




今田匡彦 神田サウンドスケープ研究会会員
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