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KANDAルネッサンス 2号 (1987.07.01) P.1〜2 印刷用

特集 神田川を考える

「書を捨てて、川に出よ」 —神田川・都市・そして心のツアリズム—

望月照彦
二時間の川の旅から
 「神田川舟の会」に初めて参加させてもらった。
 その日、五月十六日は晴。初夏の光がまばゆい。竹芝桟橋から、なにやらなつかしいポンポン船団のシップに乗る。乗員は30名ほどか。どんなことでも初体験は胸が高鳴る。
 隅田川の河口に近い界隈は、今“ウオーターフロントの時代”ということで、注目されているところだ。再開発の計画が目白押しで、数年もすると“インテリジェントビル”なとと呼ばれている超高層の建物が林立してしまうのかも知れない。
 浜離宮に面した小さな船着き場を離れ、水門を通って隅田川に出ると波が少し高くなって潮の香がツンと鼻を突く。船のエンジンと、水面にぶつかる振動が、身体に心地よい。
 今は開かなくなってしまった勝鬨橋(かちどきばし)をすぎて佃大橋に向かう。佃の町は、何年か前に、三年に一度開かれる佃祭の晩に呼ばれて、それ以来すっかり私のお気に入りになってしまい、何度も通っているところだ。このの町には、お清(きよ)さんとおしいさんというおばあちゃん二人が暮している家があって、私はおしゃべりに佃を訪れる毎に必らず寄ることにしている。船から彼女たちの家が見えたら、手でも振りたいところであるが、残念ながら堤防がタウンスケープをさえぎっている。
 隅田川をどんどん上って、両国橋をすぎると、すぐ左手に神田川が現れる。船が神田川に突入すると、突然のように風景は一転する。川幅の違いもあるが両サイドの施設が変ってくるのだ。柳橋、浅草橋、左衛門橋と名前が示すように、かつてはこの界隈は料亭や小料理屋が並ぶ繁華な場所であった。その名ごりはわずかに川に張り出した釣宿や飲み屋の建物が刻刷している。
 さらに万世橋、昌平橋をこすと中央線の鉄橋が見えて、その先に優雅なフォルムを持った聖橋を望むことができる。この辺りがいわゆる御茶の水渓谷と呼ばれているところで、丘を切り通しにして深い谷間を開き運河にすることによって創出された風景なのである。
 水道橋、後楽園橋をすぎると堀留川、内濠川、日本橋川と隅田川に再びループする流れがはじまる。これらの流れのほとんどに高速道路がまたがって、常磐橋や日本橋といった日本を代表するような名ブリッジの存在をそれこそ台無しにしている。何百年もかかって構築された“川の文化”が近代文明によって極めて短期間の内に消し去られてしまったように思える。

都市の川に向かう心を
 二時間の船旅は、私に幾つかのことを教えてくれた。明らかに都市には歴史的に川に顔を向けている時代があった、ということである。現代の私たちは、都市から川を眺めるスタンスは持っているが。川から都市を眺めるという視点を失ってしまった。従って、都市は徐々に川に対しては背中を向けてしまうという流れになってしまったのである。
 背中を向けられた川は、無論大切にされない。平気で汚物が投げこまれ、何の議論もなしに高速道路が川を覆ってしまうのである。堀留川から日本橋川の間では、白い腹を上に向けて浮んている魚を何匹も見つけた。酸欠死なのであろう。多分、それは川の中の魚にだけ与えられた運命ではない。川を大切にしない人間自身にも向けられた運命の暗示なのであろう。
 もう一つ「神田川舟の会」で気が付いたのは、二時間も船に乗っていて一つも“親水空間”が川辺に存在していない、ということである。それは、物理的な問題だけではなしに私たち都市人間の“心情”が都市の生命線でもある川に背を向けてしまっているんだな、ということである。
 こんな神田川界隈の在り様に対して、世界の様々な国で“川のある環境”を大切にしている風景が心に残っている。
 例えばアメリカのテキサス州にあるサンアントニオという街では、市の中心部を流れるサンアントニオ川から運河を引いて、その川沿に遊歩道やショッピングモールを人工的に配備して“リバーサイドウォーク”と呼ばれる親水空間を生みだしている。800mの運河には、その河をまたいでステージと観客席のあるオープン劇場まで造られている。オーケストラのメンバーは、船でやってくるのである。この街では川は市民に疎外されていない。市民の生活の一部になっている。
 ニューヨークでは、マンハッタンを一周するサークルラインという船のコースがあって、人々は自慢げに、自分たちの都市を眺めて楽しんでいるのである。私たちといえば年に一度の“舟の会”でしか、街を見ることができないでいる。
 かつて詩人・寺山修司は、<書を捨てよ、街に出よ>といった。その言葉を借りるとすれば今私は、<書を捨てよ、川に出よ>と言いたい。川に出ることによってしか、その川の大切さを知り、都市の美しさを感じる手段しか私たちには残されていないほど、都市人人類は追い込まれているのである。


望月照彦 都市計画家
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